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ブログを更新。 d.hatena.ne.jp/kamiyakenkyujo… 『この世界の片隅に』の原作とアニメの距離について。もしくは戦争についての創作はどう描くのが「成功」なのか、ということについて書いた。
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バニラエアの件での木島英登の対応は、事前連絡しないことを含め、惚れ惚れするほどロジカルである。ゆえに相談を受けた2自治体も対応が鋭かったし、バニラエアも一片の弁解もできなかった。航空会社がアシストストレッチャー程度の「合理的配慮」をしない問題がきれいに浮かび上がった。
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バニラエアの件で木島を「プロ市民」「当り屋」「クレーマー」と非難するむきがあるが「被害者は無垢で善意で中立で無力でなければならぬ」という「世間様」の「被害者」像に自分を合わせていたら、徹底的に毟られ搾り取られるだけ。そのとき当該「世間様」が助けてくれるわけではない。プロ市民万歳。
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この「ご飯論法」を初めて森友問題で聞いたとき足元が崩壊する感覚に襲われた。「(文書の存在を)確認したか?」と聞いてんのに「(ルールを一般的に)確認した」と答弁。これじゃあ全ての審議前提が崩れるわ。 / “「朝ごはんは食べたか」→…” htn.to/jfJKr3
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この「確認した」問答は佐川と菅が別々の場で似たような論法を言ってた。そしてこの加藤だ。「足元が崩壊」というのは決して大げさな表現ではない。もしこんな不誠実な答弁が許されるなら、野党議員はどんな答弁を聞いても安心できないし、記者は百万通りの質問をしないと回答が定まらないことになる。
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福岡市長選:神谷貴行氏が出馬へ 共産党市議団事務局長 - 毎日新聞 mainichi.jp/senkyo/article…
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とりあえず違法が確定してよかった。ニセの「中立性」が本当に行政に蔓延しているので心配していた。/九条俳句、公民館だより不掲載は違法 最高裁で確定:朝日新聞デジタル asahi.com/articles/ASLDP…
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ブログを更新しました。 kamiyakenkyujo.hatenablog.com/entry/2019/05/… 学校とか自治体とか町内会とかで「人権=思いやり」という洪水のような「教育」・啓発が行われていて、あれはマジでヤバいと思う。
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この選挙戦では『呪いの言葉の解きかた』を書いた上西充子などが「野党は反対ばかりで対案なし」論に斬り込んで、この雑な議論を相当崩す努力がされてきた。画期的だ。与党の現状と野党の対案を冷静に議論する時期。 / “「野党は賛成ばかりして対案を出し続けている」が客…” htn.to/5igs5zzBsh
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この声明は、表現を奪われた当事者が、知事と監督の中止「発表」に「反対」し「抗議」し、「主催者が自ら弾圧する」「歴史的暴挙」としている。メディアの皆さんは、トリエンナーレ実行委員会の体制と決定のプロセスをぜひ取材してわかりやすく報じてほしい。
asahi.com/articles/ASM83…
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今回の事件はそこがきわめてわかりにくい。ゆえに責任が不明瞭。例えば河村市長は実行委員会の会長代行で(おそらく委員にも市の局長クラスが入っているはず)、津田の証言を信じれば、事前に企画を知り協議もして開幕させたはずなのに、いきなり被害者然として中止・謝罪要求するのは異常。
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吾妻ひでおが亡くなった。宇崎ちゃんポスターが問題になっているこのタイミングでの吾妻の「功績」について、大塚英志の次の指摘は想起されてよい。「手塚的な記号からなるキャラクターに、改めて『あからさまな性』を発見したのが、七〇年代のおしまいから八〇年代の初頭において、(続く)
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(続き)いわゆる、おたく系のまんが家たちでした。/つまり、手塚的なキャラクターに「生殖器」があること、そしてその延長としての性行為を吾妻ひでおの周りに集まった第一世代のおたくたちがアニメキャラクターを使った性的な表現として描いていくのです。…(続く)
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(続き)この記号的なキャラクターをあからさまなポルノグラフィとして表現するという行為は肯定的に評価するなら記号的な身体が隠している性という、戦後まんがの一側面を可視化するいわば『運動』でした。/少なくとも吾妻ひでおによって主導されていた時点では一定の批評性が(続く)
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(続き)『ロリコンまんが』の描き手にはありました。当の吾妻ひでおは、自らそれをジャンル化して自らそれを放棄するのですが、結局、この領域が今日の『萌え』の起源になるわけです。…その時点では、それは一種のパロディ、つまり、ぎりぎりの批評的な行為だったといえます。(続く)
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(続き)手塚的なまんがが抱え込んでいた身体性は性を隠蔽しているではないかという、その意味で『悪意』の批評だったといえます。…しかし、そのあ『悪意』が最終的に除去されて、ただ、アニメ/まんが的な絵柄によるポルのグラフィとしての、今日の『萌え』に至るわけです」(続く)
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(続き)大塚・大澤信亮『ジャパニメーションはなぜ敗れるか』p.168-170 手塚的なものの中にある性的なものを暴く批評として吾妻を評価。そして今日(大塚が書いたのは2005年)の「萌え」はそこから批評性を取り去ってその性的な要素に無自覚に戯れ、享楽しているとした。(続く)
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(続き)「宇崎ちゃんは性的でもなんでもない」というふうにナイーブに振舞っている人の方より、宇崎ちゃん(だけでなく「萌え絵」全般)の性的ニュアンスを自覚的に抉出させた太田啓子の方が、ある意味「(第一世代的な)おたく」であったと言える。
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しんぶん赤旗本日付。青山学院大学の髙佐智美教授(憲法、国際人権法)。「表現の自由は、自分にとって好ましくない異論も認めるもので、ある意味『面倒くさい自由』です。多くの市民が素朴な感情に従って排除してしまう傾向がある。世論を誘導する権力者に足をすくわれないためにも、(続く)
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(続き)一歩踏みとどまって、異論に対し耳を傾け対話する、寛容さと理性を持たなければなりません。異論を認めないことは、自分の意見も排除される危険を認めることですから、表現の自由を認めることで、自分の自由も確保されます」。「自分が不快な表現」を規制する立場になってないかどうかの自戒。
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表現の自由は「人権宣言のカタログにおいて花形的地位を占め」(芦部信喜)「第一の自由」「すべての自由一般の基礎」とされるほど重要なものだという認識が決定的に欠落している人がいるのがすごく心配。ヘイトや性のことになると「表現の自由とは別」といって簡単に除外してしまう。
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ヘイトスピーチやジェンダー上の規制について考え、提起することはもちろんあり得る。大事な議論だ。しかし、それが表現の自由と緊張関係にあり、重大な人権を侵すかもしれないという覚悟をもってその問題を提起したり、考えたりしてほしい。「カジュアルに規制」を持ち出す政治家は本当に心配。