そこにいた人全員が「サイコロジカル・ファーストエイド(PFA)」の対象になるよ、PFA実施の手引きには 「何があったか尋ねて、詳細を語らせないでください」 「記者やその他のマスコミ、野次馬、法律関係者から保護してください」 と書いてあるよ、マスコミと野次馬は同列だよ j-hits.org/document/pfa_s…
NHKが女子高生のインタビュー流してたけどな、安心できる場所で自分からしゃべりはじめるならともかく、心的外傷になりかねない大事件を目撃した子どもに内容や気持ちを根掘り葉掘り尋ねてしゃべらすのは、今ではもうアカンとされるやつやで、目撃者だって被害者になる可能性を考えてや
急性喉頭蓋炎は風邪の延長ではないしステロイドでは良くならない、これは急性喉頭炎と喉頭蓋炎を完全に混同している そんなことも調べられないで事実に基づかない推測や医療批判をするのはやめてほしいし、なんなら医療に詳しいフリをするのもやめてほしい
被害を受けた方の安寧回復と、事実が明らかにされた上での厳正な処分を望みます ただ記事にて名指しされてるクリニックのページを見た限りでは、該当する医師は小児科医じゃないようにも見えるのでそこはちゃんと確認してほしい、子どもにとって小児科が信頼できなくなるなら大変なことなので twitter.com/livedoornews/s…
「ちゃんと監視してれば子どもの事故は防げる」 という主義の人、 「うちは監視してても事故にあったよ、予防したほうがいいよ」 といくら言われても 「それは監視が不十分だったからだ、自分はちゃんと監視してるから問題ない」 となりがちで話が噛み合わず、歴史より経験に学ぶ人を具現化してる
学校休んでても生活リズムを崩さないようにというのはその通りなんだけど、「朝起きるとつらいことがある」を繰り返して起きられなくなった子を無理やり起こしてもあまりいいことはないんよね、自分を守るために昼まで寝てる子には「朝起きてもつらいことは起こらなかった」を繰り返す必要があるんよね
「成功体験を積ませましょうとは言われたけどそのやり方がわからなかったので、泣いても叫んでも成功するまで厳しく叱りつけてました」とか困り果てた挙句に保護者が教えてくれたとき、責められるべきは保護者ではなくて具体策を示せなかった支援者だよなあ
合理的配慮を何のためにするかと言うと、その子に学習の機会を与えるため、に尽きるんよ 学習の場の多大な苦痛を和らげることで、その子の学習に対する適応を最適化して実力を発揮させるのが合理的配慮なんよ 跳べないハードルや出しきれない実力は誰のせいでもなくて、自分のせいにさせてはあかんのよ twitter.com/hiyokoharumaki…
自分で決めたんでしょ、と子どもに責任を負わせてどんどん追い詰めて逃げ場所を無くしてコントロールするのはわりとよくあるやつ
舞妓さんについては児童虐待の文脈で考えても間違いではなさそうに見える
14歳の妊婦とか16歳の母親とかに対応してるとね、15歳に性欲を抱く人にはそれをなんとか我慢して生きていってはくれまいかとは思うよ
力を振り絞って保健室登校をしてる子に「今度は頑張って教室に行こうね」と無邪気に言い放つ養護教諭の存在を複数聞いているので、養護教諭といえどもチーム教員としての呪縛からは抜け出せないのだなあと思っている
「自分は休めないのにあいつは休んでる、ズルい!」という感情をぶつけたい子の気持ちもわかるし、「理由があって休んでるんだよ」てのもちょっと違う、「休みたい時には休む権利があるんだよ、世の中に逃げ場所はあるんだよ」てのは子どものうちに体験しといた方がいいのではと思いました
休んでた子が頑張って学校に行ったら、たいして親しくもない子に面白半分で「どうして休んでたの、ズル休み?」と訊かれ、もう嫌だと行きたくないなる子はとても多いのですが、人間にとって全ての休みは生きていくために必要な休みなので、ズル休みという概念は廃止しましょう
「私はどっちでもいいんですけど、この子が学校に行きたいと言うから行かせてるんです」とか、親の希望が社会的に正しいこととされているならなおさら
「親は子どもに自由に選ばせてるつもりでも、子どもは無意識に親が望みそうな選択をしてるよ」 となってしまっている時には、それをわかってもらうのは難しいなあ、子どもにも親にも
子どもは環境の変化や不安やその子なりの理由でわりと簡単に食べなくなってしまうし、将来的に「食べないことが美徳だ」という考え方に結びつくのはとても危険なことなので、食べないことを叱りつけて否定する必要はないとしても、できれば保護者には自分が食べる時には美味しそうでいてほしいなあ
子どもに36時間断食させたアレ、親の行動を見て「こうすれば親が喜ぶんだな!」と学習してしまった可能性が高いし、万が一無理に食べさせることで食行動に対する不安が出たらと考えると単純に虐待とは言いにくい部分もあるんだけど、少なくともブログに載せて称賛すべき行動ではない
「私は傍観してたけど実は苦しんでた、あなたが幸せになったことで楽になった」って言っちゃう人、自分の利益に正直すぎるんだなという印象しかない
Oくんがこれを読んだらどう思うか、という想像力が政治家には必要なのではないかしら いじめを傍観してた人を責めるわけにはいかないのだとしても、自分を助けてくれなかったの人の肩の荷を下ろすために幸せになったのではないのですよ twitter.com/mizuho_ishin/s…
宇多田ヒカルのインタビュー読んで思ったのは、どうしてこんな気持ちになるのだろう、なんとかしなくてはと焦る子どもに「いろんな気持ちがあるよね、基本的に気持ちというものはあなたを危険から守り安全へ近づけてくれるためのものだよ、今必要だからそうなってるんだよ、
正しい気持ちとか間違ってる気持ちとかはなくて湧き上がって当たり前のものなんだよ、そうなってるあなたが悪いということでは全くないんだよ」などから話していくとすごく安心されるんですよね 気持ちをコントロールしなければと思う前に、まず自分の気持ちを受け入れる作業が必要なんだなと
柏の吹奏楽部員の高二の件、このTOSSの指導をいやでも思い出すよ 学校が子どもの逃げ場所を前もって潰していくんだから、最終的に逃げる場所がないくらい追い詰められた子どもが最悪の判断をしても不思議ではないよ twitter.com/kamekurasan1/s…
耳鼻科の先生もドツボにハマってから相談された例をたくさん経験してるだろうから、早めに紹介して怒られることはないはず
これは小児科専攻医あるあるなんすけど、鼻とか耳とかに丸くて小さいものを入れた子どもが受診して、いかにも取れそうに見えるんだけど鑷子とかルーツェで取ろうとすると滑ってどんどん奥に押し込んでドツボにハマるので、さっさと耳鼻科の先生に頼んで異物鉗子かなんかでとってもらおうね