オランダの学芸員の方に依頼していた、パレンバン降下作戦時に展開していたKNIL部隊の情報についての回答がありました。 この回答と各種資料の精査によって、日本側資料や出版物に記載されているABDACOM(連合軍)側の指揮官名や兵力等の殆どに誤りがある事が確実となりました。
こんなん笑うわ 皮肉の中にも知性が溢れる良い歌です。
ちなみに彩色前の写真がコチラです。 かなり綺麗な機体だった事が分かりますね。
このエピソードは、 挺進第二聯隊第一中隊で編成された精油所急襲部隊BPM精油所急襲隊の小川弘軍曹の回想から引用しています。 ここでは怒られる小川軍曹ですが、 彼は作戦成功の立役者の一人で、精油所内の戦闘で八面六臂の活躍をしています。
しかし怒られただけで終わらないのが古参下士官小川軍曹。 彼の当初の目的は、 精油所に設置された爆破装置の解除でしたが、技師が必死に止めるその姿からBPM精油所に爆破装置が無い又は爆破意図が無い事を看破します。 そして直ちに精油所防禦に方針を変え、奪還しようとした蘭印軍を撃退しました。
その努力は認めたい。
【サイパン島海軍落下傘部隊最後の突撃】 突如ラッパが鳴った。 前方を見れば、大隊附下士官が道路上で軍艦旗を振って居る。 『何をしてるんだ』 左後方で日章旗を振っているのが見える。 『陸軍だ!!陸軍がついて来るぞ!!』 不安が喜びに変わった。 百萬の味方を得た様な気がする。 『前進!!』
みんなの力で挺進兵をもっと有名にしてくれええええええ!!!! もっともっとみんなに知って欲しいんだああああああ!!!!!! twitter.com/Ran_Paratroope…
パレンバン降下作戦でNKPM精油所攻略を担った長谷部小隊の隊旗です。 長谷部少尉は激戦の中、頭部に敵弾を受け壮烈な戦死を遂げ、この隊旗も血に染まりました。 自衛隊の空挺レンジャー旗にも髑髏がデザインされていますが、長谷部少尉の決意を偲ぶと感慨深いものがありますね。
パレンバン降下作戦で戦死した挺進兵の類型別死因は、 頭部     17 肩胛・胸部   7 腹部     10 頸部      2 航空事故    2 その他     1 となっています。
このAT機がなぜ脚を出して飛んでいるのかと言うと、機の速度を限界まで落とす為なんです。 輸送機の飛行速度が速すぎると降下部隊は広範囲に散らばり、部隊集結をより困難なものにしてしまいます。 その為、挺進飛行戦隊の空勤者には、編隊を保ちつつ超低速で飛行する高い技量が求められていました。
ツール・ド・マレー
それを聞いた男は警察に届出をし、所定の手続きを済ませると、晴れて習志野駐屯地に所蔵する事が決まります。 所蔵の日、男は二式小銃を担ぎ、息子に弾薬箱を持たせると、意気揚々と駐屯地へ入っていきました。 これが挺進兵が生命を託した二式小銃を今日でも多くの人が見る事ができる理由なのです。
後の滑空歩兵聯隊となる挺進第五聯隊に配備された一式機動四十七粍速射砲です。 滑空機ク8に搭載し、敵地に於ける重速射砲の迅速な展開を目指しました。 滑歩一の御遺族からの提供写真です。
硫黄島の九八式十糎高角砲です。 幾つも残る生々しい弾痕が戦闘の凄まじさを物語っています。
落下傘部隊に対する射撃が困難と言う話の続きです。 独軍の行った実験によると、 落下傘降下するダミーに一級小銃手が射距離160y(146m)で射撃した所、一発の命中に340発を要し、その倍の320y(292m)では1708発もの弾薬を要したとの事です。 こうなると自動火器による実験結果も欲しい所ですね。 twitter.com/Ran_Paratroope…
【横須賀軍港奇襲演習】 S特は米本土上陸作戦準備の総決算として、警備厳戒の横須賀軍港に潜入する演習を敢行しました。 葉山・長者ヶ崎に潜水艦から夜間上陸した想定で演習は開始、地元の憲兵、警察、地域住民に発見されぬようS特は忍者の如く三浦半島を横断し、横須賀軍港に忍び寄っていきます。続
自動砲は頼もしい見た目をしていますよね。 使用弾薬も20mm弾なので、 装甲車や歩兵部隊には大脅威ですよ。
今日の成果を一つ紹介 精油所急襲部隊の某軍曹は、精油所に至る道で乗り捨てられた一台の高級乗用車を発見しました。 数人で箱乗りして精油所に一番乗りした所で、部隊主力方向に銃声を聞き慌てて転進します。 敵前まで来た軍曹達は、なんと乗用車内に重機を据え敵にぶっ放しこれを撃退したのです。
ネグロス島バコロド地区に増援降下した高千穂降下部隊本村隊41名は、前進陣地展開中にM4中戦車4両と装甲車、歩兵約一個中隊が進撃してくるのを認めました。 慎重な本村大尉は陣前約100mまで引き付けると猛射を加え、これを潰走させます。 この時、部隊にあったのは軽迫1、重機1と小火器のみでした。
映画『空の神兵』撮影時のこと。 輸送機から跳び出したある練習員が、恐怖の為か跳出口の両側に取付けられた手摺りの片側を掴んだまま輸送機の胴体下方にへばりついてしまいました。 これを見た機上のA教官は咄嗟にその練習員の手を蹴り飛ばして大空へと放り出し、なんとか開傘と相成りました。
陸軍空中挺進部隊を示すこのマーク、 よく落下傘そのものを模したのだと解説されますが、それではやや説明不十分です。 正確には、 漢字の『傘』の簡易字体である『仐』に、落下傘の傘体の丸みを当ててデザイン化したものになります。
見ているだけでヒヤヒヤします。 架橋、渡河の連続であった大陸戦線の経験があったからこそ、南方での疾風の様な早さの進撃ができたと言えますね。
一式落下傘予備傘です。 主傘のトラブル用として装帯の胸前に接続します。 パレンバン降下作戦の際には、多くの将兵が傘体を抜いて弾薬や手榴弾、爆薬を詰め込みました。 中身を全て抜くとバレるので、手動索(写真左上、橙色の持ち手)だけ見せかけで残したそうです。
【補足】 勿論、要地要所の確保を目的としない、 敵の高等司令部・兵站線の破壊、将官や要人の殺害など防禦戦闘を余り必要としない空挺作戦も存在しますが、これは投入兵力が少数に留まる特殊作戦となるのでやや趣を異にします。 一般的に大規模空挺作戦には前述の様な空挺堡の構築は必須となります。