精油所を巡る攻防は、 石油に引火するリスクから攻守共に火砲や手榴弾等の重火器を積極的に使う事ができません。 その為、西部劇の如き超至近距離の撃ち合いや時代劇さながらの白兵戦によって決着をつけざるを得ないと言う特異な戦場でした。
私が戦史を語る上で絶対にしない事が『例え話』です。 例え話は、例える物に対する正確な知見が必要になりますが、多くはステレオタイプに基づいているので、それ自体が頓珍漢な事がままあります。 これで揚げ足を取られて失敗している人を多く見るので、私は例え話はしない事にしています。
某中隊付将校、パワハラ聯隊長にカメラを向けて『聯隊長、一枚撮りましょうか!』と一言 聯隊長、カメラの前で勇ましくポーズを披露 満足気に去る聯隊長を背に不敵な笑みを浮かべる中隊付将校が部下に一言 『フィルムの入ってない写真機で写したのに格好をつけておったぞ』
横山孝雄『少年兵レイテに消ゆ』を入手しました。 オムニバス形式の反戦漫画で、その中に高千穂降下部隊の章があるのですが、よく調べられており大筋は割と正確です。 反戦を謳っていますが、一〇〇式機関短銃が大活躍したり、鹵獲ボフォースで対戦車戦闘するなど結構好き放題な内容となっています。
以前、史料批判は大切ですよね、と言う主旨のツイートをしたら、まぁまぁいい大人に、 『参考文献のあるWikiとアジ歴の一次史料は信頼に足るかと。』  と言われ、やっぱり史料批判は大切なんだなと思いました。笑
個人的に汀線などの開豁地を攻撃する際に一番出てきて欲しくないのがこの手の機銃です。
【挺進聯隊長 白井恒春 伝】 「なあに武者震いですよ。」 マラリアに臥し、身体を震わせながら取材を受ける彼の瞳はその病状とは対照的に爛爛としている。 伸び放題の頬髭を黒々と蓄えた彼こそ、伊予の肉弾聯隊で『鬼』の異名をとった白井恒春大尉その人である。続
挺進聯隊の拳銃装備に関する話。 当初は小銃を縛着して降下できず、物料箱回収に頼るが故に拳銃を部隊全員に配備しました。 程なくして二式小銃を縛着して降下する技術革新を迎えますが、それでも拳銃は全員に配備されます。 これは『降下戦闘の要訣は近接戦闘』という運用思想に基づくものでした。
挺進聯隊が降下戦闘に於いてとにかく重視したのは『降下即突撃』『三人組戦法』の2つでした。 『降下即突撃』とは読んで字の如く、 部隊集結等に時間を割かず、降着と同時に攻撃を発起する事で、急襲による敵への心理的効果を高める狙い等がありました。続
挺進聯隊の訓練に於いて、なぜ銃剣術が重視されたのか。 それは、降着直後に近接戦闘が生起する可能性が極めて高いと言う他に、 『歩兵以外(工兵や砲兵等)の兵科が中隊人員に多数混ざっており、その者らはとにかく銃剣術が弱い。』 と言う編成上の特殊な事情がありました。
サイパン島で玉砕した海軍落下傘部隊唐島隊(横一特)生還者の手記から。 補給を受けようとする拳銃の弾が合わない一幕が印象的です。
そして、 当事者やその家族の名誉を守る為に、関係者が押し黙っていた事実を、後世の我々が暴き出すが如く公開して良いのかと言う点については非常にデリケートな問題です。
対戦車の話になると、 まるで自分がどこかで戦車を撃破してきたかの様に雄弁に語る人が必ず現れてリプするので、悪いと思いながらもつい笑ってしまう。
落下傘部隊の降下戦術には『直上降下』と『間接降下』が存在します。 これは降下作戦を実施するに当たり非常に重要な選択であり、敵情や降下地形に合わせて適切に使い分けないと作戦の成否そのものが危ぶまれる場合があります。 各々の戦術について逐次解説していこうと思います。
そうは言うが、一線将兵はアジア解放を目途として戦ったではないか、首脳部は資源獲得を目指したかも知れないが一線がその意識であった以上は双方正しいではないか。 と言う論者がいますが、戦争は国家の意思であり、その正当化方策や従たる目的を論って主たる戦争目的とすり替えるのは誤謬です。
それはどう云う事か。 つまり、降下日から数刻又は数日の内に進攻してくる主力部隊と提携するまでは、敵の対空挺部隊の逆襲を弾き返す必要があるのです。 そうなると当然、堅固な陣地構築や空輸兵站を用いた武器弾薬等の補給が必要になります。 この降下部隊の立体陣地を『空挺堡』と呼びます。
知らない電話番号から着信したと思ったらとある兵器の解説書の注文先でした。 いい加減な相手には売りたくないとの事でしたので、挺進聯隊を研究している旨と最近読んだ書籍として『戦車第七聯隊史』を挙げた所、売って下さる事になりました。 ただ売れれば良いと言う発想では無い所に男気を感じます。
さる方提供の証言資料により高千穂降下部隊に阪神タイガースの外野手が所属していた事が分かりました。 巨人の川上哲治や千葉茂に匹敵する打撃力を持つこの選手は、ルソン島の要衝バレテ峠付近で戦死された様です。 当該選手名は想像に難くありませんが、証言内ではあえて仮名にしてありました。
今年も、 『パレンバン降下作戦で空の神兵は植民地の白人を放逐してアジア解放に一役買った。』 …みたいなツイートを連続で目にしなければならない憂鬱な時期が近付いてきました。 先に言っておきますが、パレンバン降下作戦の目的は“”飛行場”“精油所”のみです。
後期ブーゲンビル島戦の明兵団は、 濠州軍に対する攻撃の際に、これまで行っていた操典通りの散開や匍匐による攻撃前進を一切止め、 小銃や軽機を腰だめでぶっ放しながら突撃した所、敵が度々潰乱し、胸のすく様な戦闘が出来たとのこと。
初期の挺進団が作成した報告書には、 自動小銃の配備要望が繰り返し盛り込まれていました。 それから僅か1年の昭和18年時点で、 一線部隊に一〇〇式機関短銃が配備されたレスポンスを考えると、中央が如何に空中挺進部隊を重視していたかが分かります。
此の所、 パレンバン降下作戦をアジア解放の神話として聖戦美談にしようとする勢力がいますが、 まともな研究をしていればこの作戦にそんな要素が微塵も無い事は明白です。 あくまで攻略目標は、 『飛行場』『精油所』 それ以上でもそれ以下でもありません。 美辞麗句に惑わされない様ご注意下さい。
以前、パレンバン降下作戦に関する戦争美談について、日英両資料精査の結果、『創作である。』と断定した事がありました。 ですがこの度、当事者である某挺進将校の新たな回想を発見し、同人が『装甲車で体当たりした。』と証言している事が判明しました。続
『歴史戦』と言う語彙自体が、 既に歴史へのアプローチ方法を間違えている気がしてならない。 歴史はあくまで紐解くものであって、 無闇に戦いの道具にしてしまうと、場合によっては戦う為の歴史に構成し直された『まがい物』を国として推す破目になりそうです。
烈號作戦(沖縄へのグライダー空挺特攻)の武装自動車隊隊長のH大尉は、終戦を受け入れられず、自隊の武装自動車で首相官邸を襲撃する計画を実行しようとしていました。 それを知った滑空飛行戦隊のF中佐は、その武装自動車の弾薬が保管されている弾薬庫の鍵を持って基地から消えてしまいます。続