映画『加藤隼戦闘隊』 パレンバン降下作戦のシーンを再現する為に実際の落下傘部隊『挺進聯隊』が出演。 この映画の出演後に戦雲急を告げる比島戦線に出動、残念ながら彼らの多くは日本の土を再び踏む事はありませんでした。 #映画に出演したモノホンの人
何だかんだ言っても、 自分の陣地にコレ来たら普通に怖いですよね。
本日はパレンバン降下作戦の日です。 この作戦は、蘭印随一のパレンバン飛行場を主たる攻略目標、年産約400万トン強を誇るBPM・NKPM精油所を従たる攻略目標とした空中挺進作戦です。 作戦担当部隊は『第一挺進団挺進第二聯隊』と言う創設したばかりの陸軍落下傘部隊で、兵力は約360名程でした。続
#描写がすごすぎて言葉を失った映画 『加藤隼戦闘隊』のパレンバン降下作戦シーン 特撮等を使用せず、実際の陸軍落下傘部隊(挺進聯隊)を降下戦闘させた至極の一作です。
この時期になると、 やれ大東亜戦争は解放戦争だの仕組まれた戦争だの片腹痛い与太話が横行するから見るだけで疲れるなあ。 なんか風物詩化してますよね。
戦場に落ちてる木箱開けてこれ出てきたら冷や汗止まんないだろうなあ。
証言・回想の検証、名簿の突き合わせなどをしていると、誰も幸せにならない残酷な事実を発見する事があります。 部下が殆ど戦死した決死部隊の某隊長が致し方無く捕虜になっていたり、とある不祥事を起こしたが故に特攻部隊に左遷され戦死した某中隊長など、関係者が言い淀むのも無理ありません。
輸送船が沈み、部隊が戦わずして壊滅するケースをよく聞きますが、挺進第一聯隊も海難の憂き目に遭った事がありました。 …が、この部隊は一味違ったのです。 挺一は、降下作戦の為に輸送船『明光丸』で南方を目指していましたが、その途上、搭載していた焼夷弾が発火、船は大火災に包まれます。続
先般した戦中広告に纏わるツイートで『戦時中なのにめっちゃ敵性語使ってるけどいいの?』と言ったリプが多くありました。 陸軍の作戦計画ですら『デリケート』なんて言う言葉を使っている位なので、敵性語狩り運動が公的機関や重工業等にはまるで無縁のものであった事が分かって頂けると思います。
実際には、重傷の某将校と当番兵が鹵獲装甲車と車載機関銃をトーチカ代わりにして主要道路を封鎖し、撤退してくる敵に損害を与え続けたと言うものです。 これだけでも充分な逸話だと思うのですが、 当人ではない某挺進将校が投稿した脚色記事が広まってしまったのが原因の様です。
まともに戦史を研究していれば南方作戦の主たる目的が自国の為の資源獲得である事は明白です。 くどいようですが、有色人種を解放してやった等と言う横柄な論理を日本人自身が振りかざす事は恥ずべき事です。
挺進聯隊の火焔発射機によるトーチカ攻撃です。 同聯隊は九三式小火焔発射機や一〇〇式火焔発射機を装備していました。
カーネル殿の13人
男塾名物!!!直進行軍!!! 塾生たちが決して曲がる事なくただひたすらに突き進むあの恐ろしい訓練を実際に行っていた日本軍の部隊がありました。 『呉鎮守府第一〇一特別陸戦隊』 通称S特と呼ばれた海軍の特殊部隊です。続
パレンバン降下作戦で、BPM精油所急襲隊の実質的な指揮を執った挺進第二聯隊第一中隊第一小隊長の徳永悦太郎中尉(当時)です。 徳永中尉は、南方出動前に日本石油横浜製油所に於いて、設備操法を始めとした精油所破壊阻止の為の特殊教育を受けていました。
首都を占領すれば戦争は終わりですって…? そうですか。 中支那方面軍にそう教えてあげて下さい。
華やかで勇壮なイメージの強い落下傘部隊ですが、当事者にはこういった葛藤がある事も忘れてはなりません。
考えてみれば、 本国でも植民地でも降下作戦をされたオランダは不憫だな。 何なら味方の連合軍も降下してるし。 降下場じゃないんだぞ、オランダは。
アジア解放の象徴と喧伝されるパレンバン降下作戦ですが、挺進聯隊が主に戦ったパレンバン・ジャンビ管区司令部の第10大隊は将校を除く殆どの兵が現地人でした。 植民地軍に現地人部隊があるのは当然ですが、この事実は同作戦を安易な白人放逐論のシンボルとして語れない一つの難しさを示しています。
空挺先進国であった日米両軍は、 互いにその実態を真剣に調査していました。 両者を比較すると、 編制、運用、作戦可能規模は米軍 降下練度、戦術、装備は日本軍 が優れていたと言えそうです。
パレンバン降下作戦で精油所急襲部隊が危殆に瀕したKNIL(蘭印軍)の大規模な夜襲については、オランダ側では全く記録されておらず、まるで無かった事になっている。 夜襲を受けた日本側だけに『あの夜襲すごかったなぁ』と記録されているのはなんとも不憫な話だ。
読める、読めるぞぉ!
今日は赤穂浪士が吉良邸に討ち入った日ですね。 実はこの赤穂浪士、挺進聯隊には非常に縁深い存在なんです。 と言うのも、挺進聯隊で強く指導していた降着直後に手近な3人で速やかに集まり、それを一つの戦闘単位とする通称『三人組戦法』は赤穂浪士討ち入りの故事に着想を得たものでした。続
挺進兵が精鋭だ精鋭だと言うが、 一体その強さはどれ程のものなんだ! …と、もし誰かに聞かれたら、 『装甲車と自動貨車に満載の敵兵約300名を拳銃と手榴弾のみの5名で蹴散らせる程には精兵ですぞ。』 と自信たっぷりに答えて頂ければと思います。
『日本兵の戦車肉迫攻撃が凄い!!』 …と言う話は、その肉攻兵の大部分は戦車に辿り着く前に撃ち斃され、無惨な屍の山を築いたのだと言う事実を忘れてはいないだろうか。 戦史の美化は、得てしてこう言う切り取り話から生まれるんだなと思ったり思わなかったり。