今日の成果を一つ紹介 精油所急襲部隊の某軍曹は、精油所に至る道で乗り捨てられた一台の高級乗用車を発見しました。 数人で箱乗りして精油所に一番乗りした所で、部隊主力方向に銃声を聞き慌てて転進します。 敵前まで来た軍曹達は、なんと乗用車内に重機を据え敵にぶっ放しこれを撃退したのです。
【サイパン島海軍落下傘部隊最後の突撃】 突如ラッパが鳴った。 前方を見れば、大隊附下士官が道路上で軍艦旗を振って居る。 『何をしてるんだ』 左後方で日章旗を振っているのが見える。 『陸軍だ!!陸軍がついて来るぞ!!』 不安が喜びに変わった。 百萬の味方を得た様な気がする。 『前進!!』
それを聞いた男は警察に届出をし、所定の手続きを済ませると、晴れて習志野駐屯地に所蔵する事が決まります。 所蔵の日、男は二式小銃を担ぎ、息子に弾薬箱を持たせると、意気揚々と駐屯地へ入っていきました。 これが挺進兵が生命を託した二式小銃を今日でも多くの人が見る事ができる理由なのです。
後の滑空歩兵聯隊となる挺進第五聯隊に配備された一式機動四十七粍速射砲です。 滑空機ク8に搭載し、敵地に於ける重速射砲の迅速な展開を目指しました。 滑歩一の御遺族からの提供写真です。
初期の挺進団が作成した報告書には、 自動小銃の配備要望が繰り返し盛り込まれていました。 それから僅か1年の昭和18年時点で、 一線部隊に一〇〇式機関短銃が配備されたレスポンスを考えると、中央が如何に空中挺進部隊を重視していたかが分かります。
ネグロス島バコロド地区に増援降下した高千穂降下部隊本村隊41名は、前進陣地展開中にM4中戦車4両と装甲車、歩兵約一個中隊が進撃してくるのを認めました。 慎重な本村大尉は陣前約100mまで引き付けると猛射を加え、これを潰走させます。 この時、部隊にあったのは軽迫1、重機1と小火器のみでした。
オランダの学芸員の方に依頼していた、パレンバン降下作戦時に展開していたKNIL部隊の情報についての回答がありました。 この回答と各種資料の精査によって、日本側資料や出版物に記載されているABDACOM(連合軍)側の指揮官名や兵力等の殆どに誤りがある事が確実となりました。
見ているだけでヒヤヒヤします。 架橋、渡河の連続であった大陸戦線の経験があったからこそ、南方での疾風の様な早さの進撃ができたと言えますね。
一式落下傘予備傘です。 主傘のトラブル用として装帯の胸前に接続します。 パレンバン降下作戦の際には、多くの将兵が傘体を抜いて弾薬や手榴弾、爆薬を詰め込みました。 中身を全て抜くとバレるので、手動索(写真左上、橙色の持ち手)だけ見せかけで残したそうです。
ちなみに彩色前の写真がコチラです。 かなり綺麗な機体だった事が分かりますね。
このエピソードは、 挺進第二聯隊第一中隊で編成された精油所急襲部隊BPM精油所急襲隊の小川弘軍曹の回想から引用しています。 ここでは怒られる小川軍曹ですが、 彼は作戦成功の立役者の一人で、精油所内の戦闘で八面六臂の活躍をしています。
パレンバン降下作戦でNKPM精油所攻略を担った長谷部小隊の隊旗です。 長谷部少尉は激戦の中、頭部に敵弾を受け壮烈な戦死を遂げ、この隊旗も血に染まりました。 自衛隊の空挺レンジャー旗にも髑髏がデザインされていますが、長谷部少尉の決意を偲ぶと感慨深いものがありますね。
みんなの力で挺進兵をもっと有名にしてくれええええええ!!!! もっともっとみんなに知って欲しいんだああああああ!!!!!! twitter.com/Ran_Paratroope…
陸軍空中挺進部隊を示すこのマーク、 よく落下傘そのものを模したのだと解説されますが、それではやや説明不十分です。 正確には、 漢字の『傘』の簡易字体である『仐』に、落下傘の傘体の丸みを当ててデザイン化したものになります。
それはどう云う事か。 つまり、降下日から数刻又は数日の内に進攻してくる主力部隊と提携するまでは、敵の対空挺部隊の逆襲を弾き返す必要があるのです。 そうなると当然、堅固な陣地構築や空輸兵站を用いた武器弾薬等の補給が必要になります。 この降下部隊の立体陣地を『空挺堡』と呼びます。
『歴史戦』と言う語彙自体が、 既に歴史へのアプローチ方法を間違えている気がしてならない。 歴史はあくまで紐解くものであって、 無闇に戦いの道具にしてしまうと、場合によっては戦う為の歴史に構成し直された『まがい物』を国として推す破目になりそうです。
落下傘部隊に対する射撃が困難と言う話の続きです。 独軍の行った実験によると、 落下傘降下するダミーに一級小銃手が射距離160y(146m)で射撃した所、一発の命中に340発を要し、その倍の320y(292m)では1708発もの弾薬を要したとの事です。 こうなると自動火器による実験結果も欲しい所ですね。 twitter.com/Ran_Paratroope…
さる方提供の証言資料により高千穂降下部隊に阪神タイガースの外野手が所属していた事が分かりました。 巨人の川上哲治や千葉茂に匹敵する打撃力を持つこの選手は、ルソン島の要衝バレテ峠付近で戦死された様です。 当該選手名は想像に難くありませんが、証言内ではあえて仮名にしてありました。
此の所、 パレンバン降下作戦をアジア解放の神話として聖戦美談にしようとする勢力がいますが、 まともな研究をしていればこの作戦にそんな要素が微塵も無い事は明白です。 あくまで攻略目標は、 『飛行場』『精油所』 それ以上でもそれ以下でもありません。 美辞麗句に惑わされない様ご注意下さい。
このAT機がなぜ脚を出して飛んでいるのかと言うと、機の速度を限界まで落とす為なんです。 輸送機の飛行速度が速すぎると降下部隊は広範囲に散らばり、部隊集結をより困難なものにしてしまいます。 その為、挺進飛行戦隊の空勤者には、編隊を保ちつつ超低速で飛行する高い技量が求められていました。
しかし怒られただけで終わらないのが古参下士官小川軍曹。 彼の当初の目的は、 精油所に設置された爆破装置の解除でしたが、技師が必死に止めるその姿からBPM精油所に爆破装置が無い又は爆破意図が無い事を看破します。 そして直ちに精油所防禦に方針を変え、奪還しようとした蘭印軍を撃退しました。
こんなん笑うわ 皮肉の中にも知性が溢れる良い歌です。
そして、 当事者やその家族の名誉を守る為に、関係者が押し黙っていた事実を、後世の我々が暴き出すが如く公開して良いのかと言う点については非常にデリケートな問題です。
今日はパレンバン降下作戦の日ですね。 この作戦の実相はいずれ私が形にして皆さんにお届けしますので、今日はひとえに彼ら挺進兵が成し遂げた世紀の空中挺進作戦に想いを馳せましょう。
そうは言うが、一線将兵はアジア解放を目途として戦ったではないか、首脳部は資源獲得を目指したかも知れないが一線がその意識であった以上は双方正しいではないか。 と言う論者がいますが、戦争は国家の意思であり、その正当化方策や従たる目的を論って主たる戦争目的とすり替えるのは誤謬です。