某中隊付将校、パワハラ聯隊長にカメラを向けて『聯隊長、一枚撮りましょうか!』と一言 聯隊長、カメラの前で勇ましくポーズを披露 満足気に去る聯隊長を背に不敵な笑みを浮かべる中隊付将校が部下に一言 『フィルムの入ってない写真機で写したのに格好をつけておったぞ』
挺進聯隊の訓練に於いて、なぜ銃剣術が重視されたのか。 それは、降着直後に近接戦闘が生起する可能性が極めて高いと言う他に、 『歩兵以外(工兵や砲兵等)の兵科が中隊人員に多数混ざっており、その者らはとにかく銃剣術が弱い。』 と言う編成上の特殊な事情がありました。
映画『空の神兵』撮影時のこと。 輸送機から跳び出したある練習員が、恐怖の為か跳出口の両側に取付けられた手摺りの片側を掴んだまま輸送機の胴体下方にへばりついてしまいました。 これを見た機上のA教官は咄嗟にその練習員の手を蹴り飛ばして大空へと放り出し、なんとか開傘と相成りました。
硫黄島の九八式十糎高角砲です。 幾つも残る生々しい弾痕が戦闘の凄まじさを物語っています。
挺進聯隊の拳銃装備に関する話。 当初は小銃を縛着して降下できず、物料箱回収に頼るが故に拳銃を部隊全員に配備しました。 程なくして二式小銃を縛着して降下する技術革新を迎えますが、それでも拳銃は全員に配備されます。 これは『降下戦闘の要訣は近接戦闘』という運用思想に基づくものでした。
私が戦史を語る上で絶対にしない事が『例え話』です。 例え話は、例える物に対する正確な知見が必要になりますが、多くはステレオタイプに基づいているので、それ自体が頓珍漢な事がままあります。 これで揚げ足を取られて失敗している人を多く見るので、私は例え話はしない事にしています。
今日は赤穂浪士が吉良邸に討ち入った日ですね。 実はこの赤穂浪士、挺進聯隊には非常に縁深い存在なんです。 と言うのも、挺進聯隊で強く指導していた降着直後に手近な3人で速やかに集まり、それを一つの戦闘単位とする通称『三人組戦法』は赤穂浪士討ち入りの故事に着想を得たものでした。続
先般した戦中広告に纏わるツイートで『戦時中なのにめっちゃ敵性語使ってるけどいいの?』と言ったリプが多くありました。 陸軍の作戦計画ですら『デリケート』なんて言う言葉を使っている位なので、敵性語狩り運動が公的機関や重工業等にはまるで無縁のものであった事が分かって頂けると思います。
今年も、 『パレンバン降下作戦で空の神兵は植民地の白人を放逐してアジア解放に一役買った。』 …みたいなツイートを連続で目にしなければならない憂鬱な時期が近付いてきました。 先に言っておきますが、パレンバン降下作戦の目的は“”飛行場”“精油所”のみです。
烈號作戦(沖縄へのグライダー空挺特攻)の武装自動車隊隊長のH大尉は、終戦を受け入れられず、自隊の武装自動車で首相官邸を襲撃する計画を実行しようとしていました。 それを知った滑空飛行戦隊のF中佐は、その武装自動車の弾薬が保管されている弾薬庫の鍵を持って基地から消えてしまいます。続
サイパン島で玉砕した海軍落下傘部隊唐島隊(横一特)生還者の手記から。 補給を受けようとする拳銃の弾が合わない一幕が印象的です。
実際には、重傷の某将校と当番兵が鹵獲装甲車と車載機関銃をトーチカ代わりにして主要道路を封鎖し、撤退してくる敵に損害を与え続けたと言うものです。 これだけでも充分な逸話だと思うのですが、 当人ではない某挺進将校が投稿した脚色記事が広まってしまったのが原因の様です。
対戦車の話になると、 まるで自分がどこかで戦車を撃破してきたかの様に雄弁に語る人が必ず現れてリプするので、悪いと思いながらもつい笑ってしまう。
自動砲は頼もしい見た目をしていますよね。 使用弾薬も20mm弾なので、 装甲車や歩兵部隊には大脅威ですよ。
落下傘部隊の降下戦術には『直上降下』と『間接降下』が存在します。 これは降下作戦を実施するに当たり非常に重要な選択であり、敵情や降下地形に合わせて適切に使い分けないと作戦の成否そのものが危ぶまれる場合があります。 各々の戦術について逐次解説していこうと思います。
まともに戦史を研究していれば南方作戦の主たる目的が自国の為の資源獲得である事は明白です。 くどいようですが、有色人種を解放してやった等と言う横柄な論理を日本人自身が振りかざす事は恥ずべき事です。
後期ブーゲンビル島戦の明兵団は、 濠州軍に対する攻撃の際に、これまで行っていた操典通りの散開や匍匐による攻撃前進を一切止め、 小銃や軽機を腰だめでぶっ放しながら突撃した所、敵が度々潰乱し、胸のすく様な戦闘が出来たとのこと。
横山孝雄『少年兵レイテに消ゆ』を入手しました。 オムニバス形式の反戦漫画で、その中に高千穂降下部隊の章があるのですが、よく調べられており大筋は割と正確です。 反戦を謳っていますが、一〇〇式機関短銃が大活躍したり、鹵獲ボフォースで対戦車戦闘するなど結構好き放題な内容となっています。
『日本兵の戦車肉迫攻撃が凄い!!』 …と言う話は、その肉攻兵の大部分は戦車に辿り着く前に撃ち斃され、無惨な屍の山を築いたのだと言う事実を忘れてはいないだろうか。 戦史の美化は、得てしてこう言う切り取り話から生まれるんだなと思ったり思わなかったり。
ツール・ド・マレー
【横須賀軍港奇襲演習】 S特は米本土上陸作戦準備の総決算として、警備厳戒の横須賀軍港に潜入する演習を敢行しました。 葉山・長者ヶ崎に潜水艦から夜間上陸した想定で演習は開始、地元の憲兵、警察、地域住民に発見されぬようS特は忍者の如く三浦半島を横断し、横須賀軍港に忍び寄っていきます。続
以前、パレンバン降下作戦に関する戦争美談について、日英両資料精査の結果、『創作である。』と断定した事がありました。 ですがこの度、当事者である某挺進将校の新たな回想を発見し、同人が『装甲車で体当たりした。』と証言している事が判明しました。続
以前、史料批判は大切ですよね、と言う主旨のツイートをしたら、まぁまぁいい大人に、 『参考文献のあるWikiとアジ歴の一次史料は信頼に足るかと。』  と言われ、やっぱり史料批判は大切なんだなと思いました。笑
パレンバン降下作戦で戦死した挺進兵の類型別死因は、 頭部     17 肩胛・胸部   7 腹部     10 頸部      2 航空事故    2 その他     1 となっています。
挺進聯隊が降下戦闘に於いてとにかく重視したのは『降下即突撃』『三人組戦法』の2つでした。 『降下即突撃』とは読んで字の如く、 部隊集結等に時間を割かず、降着と同時に攻撃を発起する事で、急襲による敵への心理的効果を高める狙い等がありました。続