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北米にあって日本にあまりない多様性というのも色々あるわけで、こういうまとめ方はミスリーディングだと思うのです。
多種多様な作風を目指すなら、海外作品の良さも見ていく必要があります。
日本のアニメや漫画もそうやって進歩してきたわけで、雑な「日本スゴイ」は進歩を止める道になりかねない twitter.com/dankanemitsu/s…
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付記しておくと、ポリコレと言われる傾向が、単発でなく長続きしてるというのは、それなりに商業的成功を収めてるからです。
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赤松氏が、(性、暴力描写のある作品が)単純所持が許されなくなる未来について述べていた動画を見ましたが、そうした直接の政治的規制は、松文館裁判にせよ、BL有害図書指定にせよ、児ポ法の際にせよ、主に自民党がやっていることを、忘れてはいけないでしょう。
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売れると思ってやった結果、コケることもありますが、それはどんなネタも同じですわな。
日本の漫画だって新企画、新連載なんてのは、商業的には殆どがコケて、ごく僅かが生き残るわけで、アメコミも同じです。
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差別は、その時々の社会構造と組み合わさっていることが多いので、変えるためには社会構造自体を変えていく必要がある。単に「差別心を持つ悪い人がいる」という話ではないのだ。
でも、そこから「だから、差別改善は、非現実的」みたいに開き直るのは、単なる「差別心を持つ悪い人」の例だろう。
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例えば、スーパーマンやキャプテン・アメリカがベトナム戦争に反対するコミックがあって、それは、その時、アメリカがベトナム戦争を行っていて、コミック作者も会社も、そこに反戦の意を表明した、ということにも価値があると思うんですね。
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「私たちはここにいます」は、『がっこうぐらし!』をまとめるフレーズとして、最初からあったかのように、ここぞというところで使わせていただいてますが、くまのきよみさんが作詞されて、藤本貴則さん、佐々木裕さんが作曲・編曲されて、生活部の皆が歌い上げた曲からなんですよね。
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小学校の体育の授業のサッカーで下手なやつにはパスが来ないのは当たり前っていうのを見たが、強制参加であることと、サッカーが教育目的であること、の、二つを加味すると、必ずしも正しくはないのよね。
サッカーを通じて運動を親しむための授業なわけで、サッカーが嫌いになったらダメなはず。
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ゲームデザイナーの桝田省治氏が『ガンパレ』再始動に熱烈ラブコール。いくつか前提条件をクリアすればビジネスで十分通用するはずだと太鼓判 news.denfaminicogamer.jp/news/210421m @denfaminicogameより
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自分の中の普通を描く時、あるいは、読者に伝わるように、読者にとっての普通を描こうとする時、そこには、自分や社会の様々な偏りが反映されることがあり、人に指摘され、また、自分で過去の作品を見返して、偏りのヤバさ、無神経さに、ギョっとすることは結構あります。
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デウス・エクス・マキナは、ゲームとかより前から、「機械仕掛けの神」という訳語が多かった気がする。
その訳語を見た自分は、吊されて登場する舞台装置である神=機械ということだと思ったのだけど、文法的には「機械(舞台装置)から出てくる神」で、神は機械じゃなかったんですな。
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選挙は「○○が勝つと/勝たないと日本が終わる」みたいな文をよく見ますが、実際問題すぐに「終わる」ことは少ないでしょう。でも長期では影響がある。
「さんざん警告されたけど別になんてことなかった」という肩すかしは「投票なんか意味ないじゃん」に繋がりやすいので、そこは気をつけないとなと
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小説において感情を直接書かず描写する、というのは、小説の持ち味の一つである「読者に自分で想像させることで心を揺さぶる」という技術なんですが、逆に言うと、読者に想像させるのが目的でない時、あるいは、直接書いたほうが深く心を揺さぶれる時なら、感情を直接書くことも有効なわけで。
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どういう表現が公の場でふさわしくないか、というのは、簡単には言えない話で、内容、文脈、時代性もろもろによって変わる、曖昧な部分を多く含んでいます。
かといって「客観的な基準がないから全部無視していい」となると、幼稚園前で大画面、大音量で陵辱エロ動画流していいのかってなるわけで。
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崩壊スターレイル、さすが、三体の国だなって感じで、SF的な小ネタがあちこちにあって面白い。
不老不死を達成した民族の盲目の才女。不老不死故に、身体の安定性が強く、手術などで治療できない、といアイディだけで面白いのに、彼女の日記の中で、様々な試行錯誤が語られてて、これが良い。
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作者も作品も、社会に影響を受ける。一方で、影響の受け方は様々だし、それが作品の価値の全てではなく、それと関係なく作品を楽しんだ人の感想を否定するものでもない。
色々な読み解き方があってそれぞれおもしろい、というところに辿り着くまでにずいぶん時間がかかった。
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あと、他人に迷惑がかからない趣味を否定すべきでないのはいいとして、趣味、好き嫌いの範囲にとどまらない批判はあるし、それまで否定してはいけませんわな。
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創作が人を傷つけないというのは勘違いで、「どう見てもダメだろってくらいに人を傷つける創作(ド直球で差別的なやつとか)」は、たいていの商業では企画が通らないので、目につきにくいだけです。
その商業基準というのも時代ごとに様々な話し合いを経て作られてるわけです。
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一方で自民党改憲案では、表現の自由が守られない場合として「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動」を入れている。
改憲されて戦争が起きたり起きそうになったりしたら、この条項で、自国を批判した人は逮捕されるだろうなぁと思う。
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どんな意見、立場にも、穏健なものも過激なものも、Aは賛成だけどBは反対とか、その逆とか色々いるわけで、細かく見ていかないと、相手がひとまとめに「過激なことを言って、何もかも反対して、絶対に譲らない集団」に見えてしまう。
対立陣営を悪魔化しないのは、大切だなぁと思うのです。
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ただ、その後、歳を食って、当時のアメリカを知り、ジャック・フィニィという人を知り、同種の侵略SFを色々読むにつけ、作品、作者の繋がり、文脈を語る時、共産圏への恐怖の影響はかなり大きく無視できないな、というのは、納得した。
それはそれで意味がある観点だ。
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それを読んで、なんか裏切られた気がした。当時の自分は、ソ連やら赤狩りやらについては無知で、それでも面白かったんだから、エイリアンの侵略を共産圏の洗脳やら転向やらに読み替えるのは安直で無粋ではないか。突き詰めて言えば、俺の感動に水を差すな!
という印象を得たことを覚えている。
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なろうとかの異世界物で主役が元の世界に帰りたいと思わない話、初期のテンプレとして「元の世界で孤独で報われていなかった」「死んで転生する」「女神様に、世界を救うなどの任務を与えられる」「異世界で大切な仲間を得る」という「そりゃ戻らないだろう」という動機付けが完成しています。
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「社会的にアリかなしか」というのは、結局のところ、個別の表現について、綱引きして決めていくしかないわけです。で、綱引きなので、大抵は中間、つまり「どっちも不満」なところに落ち着きます。
「譲歩しても相手は満足しない」という意見がありますが、それはまぁ綱引きなのでそういうものです。