海法 紀光(@nk12)さんの人気ツイート(古い順)

「Netflixで、ダークエルフの作品が禁止される」って話が出てますが、別にダークエルフの登場作品が片端から消えたとかそうではなく、学園ドラマで、ダークエルフのコスプレをした回が、ブラックフェイスではないかと引き揚げになった、ということみたいですね。 deadline.com/2020/06/netfli…
声優の場合も同じです。声優の場合、役者よりも異なる人種を演じる壁は低いのですが、その分、有色人種の声優が白人キャラとして活躍してるかというと、そんなことはなく、そもそも良い役をなかなかもらえない。 なら、せめて有色人種のキャラの担当は、有色人種の声優をあてよう、というわけです。
これを前提に、ホワイトウォッシュ問題というのがあります。 これは、原作で有色人種のキャラが、映画化の際に、白人に変えられることへの批判です。ここでの前提は、逆は少ない、ということです。白人キャラが映画化の際に有色人種になることは、メジャーなハリウッド映画では、まずないが、逆はある
役者のキャスティングの一つの理想として、演技力のみで公平に評価する、というのがあります。しかし人種の観点から見ると、そうはなっていません。ハリウッド映画等で、有色人種の役は少なく、あっても主役級には、まずなれない。「演技力を公平に評価」どころか肌の色だけで機会を奪われているのです
つまり「キャラと俳優の人種を常に同じであるべき」というのではなく、「ただでさえ有色人種の役は少なく、限定的なものなのに、原作有色人種のキャラを白人に変えて、少ないポジションをさらに減らすのはやめろ」というのが、ホワイトウォッシュ問題であると理解しています。
確か、ル・グィンが書いてたのですが、表現の自由というのが少数意見を尊重し、あらゆる表現に機会を与え、検閲を許さない、というものであれば、実のところ「経済」そのものが一番大きな検閲官である、という話を昔読んで、「それは確かに」と思ったことがあります(続)
犯罪等に関して、事実を指摘するためであっても、他人を属性で呼ぶと、犯人個人を超えて、その属性全体の悪印象に繋がるん問題があるんですよね。 その属性が元から差別されがちなものならば、なおさら。 人間はどうしても印象で動く動物なわけで、属性を必要以上に強調せぬようにしたいところです。
fivethirtyeight.com/live-blog/2020… 大統領選、ウィスコンシンで急に票が増えたやつ、ミルウォーキーの不在者投票分が、一度に足されたから(投票箱の開票とは別にやってるんでしょうな)と解説が出ています。 別に陰謀ではなくて、開票の結果である、と。 変なトレンドが出てたので、念のため。
アメリカの同人誌が発展してない理由の話、「そもそも発展してないの?」「というか、アメリカの同人界隈ってどんな感じ?」から調べる必要があるんですが、なんか「発展してない」前提で書いてる人が多かったので、危険だなぁと。
ゲームデザイナーの桝田省治氏が『ガンパレ』再始動に熱烈ラブコール。いくつか前提条件をクリアすればビジネスで十分通用するはずだと太鼓判 news.denfaminicogamer.jp/news/210421m @denfaminicogameより
戦時中、日本が国の方針に反する人を、非国民と呼んで傷つけ殺し、自由な意見を封殺した結果、国全体が道を誤った、という反省があって現在の日本があります。 自民党広報本部長代理の方が「反日」というレッテルを使って予備校の教科書に圧力をかけるのは本当にどうかと。 twitter.com/yamazogaikuzo/…
アメコミがポリコレ展開で読者置いてきぼりにして売れなくなった的な意見を時々、見かけますが、マーベルもDCも、営利企業ですからえ売上を犠牲にして信念を追求するほど出来た会社じゃないですよ。 個々の作者、編集者の信念も、もちろんありますが、売れる算段があり、いけそうだからやるわけです。
売れると思ってやった結果、コケることもありますが、それはどんなネタも同じですわな。 日本の漫画だって新企画、新連載なんてのは、商業的には殆どがコケて、ごく僅かが生き残るわけで、アメコミも同じです。
付記しておくと、ポリコレと言われる傾向が、単発でなく長続きしてるというのは、それなりに商業的成功を収めてるからです。
「がっこうぐらし!〜おたより〜」も、楽しんでいただけると思いますが、現在「きららファンタジア」で進行中のイベント「歩き続ける君のために」も、併せてプレイしていただくと面白いかもしれません。 大人のみーくん、ゆきも出てきますよ!
「私たちはここにいます」は、『がっこうぐらし!』をまとめるフレーズとして、最初からあったかのように、ここぞというところで使わせていただいてますが、くまのきよみさんが作詞されて、藤本貴則さん、佐々木裕さんが作曲・編曲されて、生活部の皆が歌い上げた曲からなんですよね。
作者(原作者)が一番、作品をわかってるかというと、そうでもなくて、別の方が、作品の中心をばしっと言い当てるということは本当にあることで。 そういう出会いに恵まれたのは、幸せだったな、と、「おたより」ときらファンイベントを読み返して、改めて思ったのでした。 ありがとうございます!
アメリカの多人種社会の多様性概念は、等質な日本にそぐわないと言う意見をみました。 社会のあり方が異なるので、そのまま移植できないところはありますが、日本の社会にもさまざまな多様性はあり、かつ、「一見、等質に見えるから」それが抑圧、差別されてる問題もあり、多様性の理解は大切だなと。
どんな意見、立場にも、穏健なものも過激なものも、Aは賛成だけどBは反対とか、その逆とか色々いるわけで、細かく見ていかないと、相手がひとまとめに「過激なことを言って、何もかも反対して、絶対に譲らない集団」に見えてしまう。 対立陣営を悪魔化しないのは、大切だなぁと思うのです。
どういう表現が公の場でふさわしくないか、というのは、簡単には言えない話で、内容、文脈、時代性もろもろによって変わる、曖昧な部分を多く含んでいます。 かといって「客観的な基準がないから全部無視していい」となると、幼稚園前で大画面、大音量で陵辱エロ動画流していいのかってなるわけで。
「社会的にアリかなしか」というのは、結局のところ、個別の表現について、綱引きして決めていくしかないわけです。で、綱引きなので、大抵は中間、つまり「どっちも不満」なところに落ち着きます。 「譲歩しても相手は満足しない」という意見がありますが、それはまぁ綱引きなのでそういうものです。
だからといって、様々な話し合いや意思表示が無意味ということはなくて、毎回、全力で綱引きしてくことが大切なのだと思います。 表現のラインについての「議論自体を否定」してしまうのは、綱引きを降りることを意味するわけで、長期的には、損になると思うのです。
それはそれとして、自分は成人がプライベートな場で見るエロ表現についてまで、法的規制があるのは何とかして欲しいと思っています。性器を描写できないとか、何の意味があるのかと。
こんばんは! 今日は、『がっこうぐらし!』のみーくんこと、直樹美紀さんのお誕生日です。皆さん、お祝いありがとうございます。 #直樹美紀 #がっこうぐらし
北米にあって日本にあまりない多様性というのも色々あるわけで、こういうまとめ方はミスリーディングだと思うのです。 多種多様な作風を目指すなら、海外作品の良さも見ていく必要があります。 日本のアニメや漫画もそうやって進歩してきたわけで、雑な「日本スゴイ」は進歩を止める道になりかねない twitter.com/dankanemitsu/s…