【急募】 不登校経験者・保護者にお聞きします。 不登校になる前から『これを知っておきたかった』『これを知ってて良かった』と思うことを教えてください。 リプ欄にコメントをお願いします。 #RT希望
オンライン授業が「できるか?」「できないか?」ではなく、 本当は公教育としてオンライン授業を「やらなきゃいけない」だと思う。 子どもたちにはあるのは『学校に行く義務』ではなく、『教育を受ける権利』なのだから。
何度も言うけど義務教育ってのは、子どもが学校に行く義務じゃなくて、大人たちが子どもに教育を受けさせる義務なんだよ。 そして、子どもには適切な場所で教育を受ける『権利』がある。 もし今の場所での勉強が苦しかったら違う場所で教育を受ける権利があるんだよ。
「不登校は甘えだ」と言うけど、 むしろ、学校が生徒に甘えてきたのでは? 学校は学校が変わることを放棄して、不登校の原因を子どもや家庭の問題としてきた。 忙しさを理由にするなら、どうしてその働き方を変えようとしないんですか?
『不登校になったら将来困る』ではなく、『今、困ってるから不登校』なんだよ。 将来の心配よりも、まず今の困り事は何か? 見るべきは、今、目の前のその子。
感のいい人は気づき始めてる。 今の日本の社会はおかしい… 今の日本の教育はおかしい…と。 しかし、大多数の気づいていない人たちが、その考えを否定する。 いや、考えどころか人格をも否定する。
16万人もいる不登校の子に対して学校以外の学び場の選択肢も提供できなくて、何が多様性社会だ。 教育が多様化しなければ、多様性を認め合える社会になんてなるわけがない。
日本の学校では、インフルエンザや怪我など目に見える体調不良で学校を休むと何も言われないが、心の調子が悪くて学校を休むとズル休みだと言われる。 若者の自殺が多い国だというのに、心の健康が未だに軽く見られている。
教育界ではよく『成功体験』が重視されているけれど、 それよりも大切なのは、「失敗しても大丈夫、なんとかなる、誰かが支えてくれると感じれる『失敗の安心体験』」。 自分が成功した時の喜びを強調するよりも、失敗したときの怖さを小さくする方が、人は新しいことにチャレンジする。
「一度学校を休ませると学校を休むことがクセになりますよ」とよく聞きますが、クセになるんじゃなくて、学校が苦しい場所だったと気づくんですよ。 学校のすべきことは保護者や子どもを脅すことじゃなくて、他にあるでしょ。
日本では「逃げぐせがつく」と言って我慢させることを『教育』や『指導』と言うことがあるけれど、 そのせいで「我慢ぐせ」がついてしまい、最後まで追い込まれ、自殺という手段を選択してしまう。 日本は逃げる練習が足りていない。
『社会に出ると理不尽なことが多いから、学生のうちに理不尽に慣れておいた方が良い』みたいなことを目にすることがありますが、学校で理不尽に慣れるから理不尽がまかり通る社会が変わらないんですよ。 どうして教育を理不尽な社会なんかに合わせなきゃいけないんですか。
オンライン授業が「できるか?」「できないか?」ではなく、 本当は公教育としてオンライン授業を「やらなきゃいけない」だと思う。 子どもたちにはあるのは『学校に行く義務』ではなく、『教育を受ける権利』なのだから。
何度も言うけど義務教育ってのは、子どもが学校に行く義務じゃなくて、大人たちが子どもに教育を受けさせる義務なんだよ。 そして、子どもには適切な場所で教育を受ける『権利』がある。 もし今の場所での勉強が苦しかったら違う場所で教育を受ける権利があるんだよ。
【急募】 「学校に行くか行かないかよりも大切なことは何だと思いますか??」 #RT希望 あなたの回答をリプ欄に書いていただけると幸いです。
18万人も不登校がいるというのに、今の学校教育が制度疲労を起こしていることに気づいていない人が多すぎる。 「不登校」を無くすのではなく「不登校という言葉」を無くすための改革が必要。
毎日「今日は学校に来れそうですか?」って、 不登校になった原因が取り除かれていないのにどうして行けるでしょう? 学校に行けないのを子どもの気持ちの問題にしないでください。
18万人もいる不登校の子に対して学校以外の学び場の選択肢も提供できなくて、何が多様性社会だ。 教育が多様化しなければ、多様性を認め合える社会になんてなるわけがない。
不登校の数は約18万人。 クラスに必ず不登校の子がいる計算なのだから、教育学部で「不登校対応」の授業を必修にすればいいのに…。 先生によって対応がバラバラすぎて、子どもも保護者も辛い。 不登校対応について習ってこなかった学校の先生たちも暗中模索で苦しい。
今の日本の学校教育は誰がなんと言おうと時代遅れですよ。 子どもたちの学び方はもちろん、先生たちの働き方も時代遅れ過ぎる。 時代は刻々と変化しているのに、現状維持はむしろ退化ですよね。 何も変えれないことを『伝統』なんて言葉で誤魔化さないでもらいたいですね。
日本の学校では、インフルエンザや怪我など目に見える体調不良で学校を休むと何も言われないが、心の調子が悪くて学校を休むとズル休みだと言われる。 若者の自殺が多い国だというのに、心の健康が未だに軽く見られている。
教育界ではよく『成功体験』が重視されているけれど、 それよりも大切なのは、「失敗しても大丈夫、なんとかなる、誰かが支えてくれると感じれる『失敗の安心体験』」。 自分が成功した時の喜びを強調するよりも、失敗したときの怖さを小さくする方が、人は新しいことにチャレンジする。
『不登校からの大逆転エピソード』ばかりはいらないんです。 ただ普通の選択肢の1つとして「学校以外の場所で学ぶ」があって、『逆転』なんて言われずに、1人1人が活躍できる社会であってほしい。
日本では「逃げ癖がつく」と言って我慢させることを『教育』や『指導』と言うことがあるけれど、 そのせいで「我慢ぐせ」がついてしまい、最後まで追い込まれ、自殺という手段を選択してしまう。 日本では逃げる練習が足りていない。
文科省「学校を休むことを認めましょう。フリースクールなどと連携を取りましょう。」 保護者「フリースクール近くにないし、フリースクールに通わせる金銭的余裕ないよ。」 文科省が休むことを認めたなら、ちゃんと環境も整備して下さいよ…。