小野ほりでい(@onoholiday)さんの人気ツイート(新しい順)

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友達ができた。
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私は大人なので欲しいものは買えばいいのだが、子どもの頃にクリスマスの前に玩具屋のチラシを集めて自分が何を欲しがっているのかを考えていたあの時間は買うことができない。実はあっちが本体だったということに後から気づいたのだが。
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こういう、真面目な本に出てくる「特定の性質や状況を説明するために変なことをさせられている人」が好きなので見つけたら教えてください。(画像は「疾風怒濤精神分析入門」)
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そういえば、ふだん優生思想に大反対ですという人でも子どもを持たない理由を説明するのに「自分の劣った遺伝子を残したくない」とまんま優生思想な考えを発することがよくあって、自己否定の方向だと言葉や考えの攻撃性が分からなくなるという法則でもあるのかなあと思ってます。
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人が物語の「伏線回収」を好きなのは「人生に意味があると感じさせてくれるから」、つまり自分の人生の些事もいつかの時点で大きな意味を持ち得ると感じさせてくれるからだ…という言説を見て、逆に自分が「伏線回収」が「好きじゃない」理由が分かった。
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感情と論理が対立しているという空間だと「相手を感情的にさせたら論破」だということになってしまうのですが、昔の匿名掲示板はまさにそういう謎のゲームが支配する空間だったので、そこで覚えた「怒らせたら勝ちのゲーム」を外でそのままやっている人はいるのかなあと思います。 twitter.com/GengoTalk/stat…
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多様化が進むほどお金やいいね数のような普遍的な価値の地位が逆に上がってしまう、という話がさらっと書いてあるんですけど、これは賢い人たちにもっとこすってほしい問題だと思う。 twitter.com/fladdict/statu…
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自殺防止ポスターとかはさらにこの問題が顕著で、「自分の命が大切に感じられない」人に向けて「命の一般的な大切さ」を説くことで自分の命を大切にさせようとするんですよね。そうではなくて逆に「自分の命の大切さ」が「一般的な命の大切さ」の条件なのに。
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これを「いい話」に帰着させるなら、たとえば「すべての人は一定の手続きを踏めばかならず自分の人生を喜べるような何かを見つけることができ、その何かは殺しや盗みのような非倫理的なものでもなく…」と仮定を足していく必要があるけど、それをやると当初否定された性善説みたいなのに戻ってしまう。
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自分の生にまったく価値が感じられないという人に、命の普遍的価値を説くとか、あるいは死刑で罰するというのはまさにそう所作が前提にしているものを欠いたままでしかできない、という話だと思います。タイムリーかどうかは分かりませんが。
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ここで話を「殺人の道徳的、倫理的批判」ではなく「自分の生が空虚でつまらなかったという実体験」に持っていく根拠になっているのが上のような「倫理がまったく通用しなくなる場合」についての話だと思います。
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少し前に、爆笑問題の太田光がたしか通り魔殺人についてコメントを求められたときに「自分の生が最もつまらなく空虚だったときの無力感や苦痛」について語り始めて、その頃に見たピカソの絵について抱いた思いを吐露したことがあったと思うんですが、
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「肯定されるべきものであることを、体に覚え込ませてやることなのである。生を肯定できない者にとっては、あらゆる倫理は虚しい。この優先順位を逆転させることはできない。(「これがニーチェだ」p23)」
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「何よりもまず自分の生を基本的に肯定していること、それがあらゆる倫理性の基盤であって、その逆ではない。それがニーチェの主張である。だから、子供の教育において第一になすべきことは、道徳を教えることではなく、人生が楽しいということを、つまり自己の生が根源において(…)」
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たまたま「これがニーチェだ(永井均)」を読んでいたら「なぜ人を殺してはいけないのか?」という問いにニーチェがどう答えたかという話があったので一部引用してみます。
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「だからね、哲学の世界にはね、ヘーゲルとか、フッサールとか、ウィトゲンシュタインとか、すごい技を持ったやつがたくさんいるんだけど、技はしょせん技なんだ。そういう連中の技を習い覚えて、ヘーゲル主義者とか、フッサール主義者とか、ウィトゲンシュタイン主義者主義者になっちまったら、
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「悲しい」とか「寂しい」みたいな単なる気持ちを、単なる気持ちとしてでなく論理とか批判として表現するとめちゃくちゃにならざるを得ないけど、自分は合理的な人物でくだらない感情には流されないというようなセルフイメージを持ってる人ほどそういうめちゃくちゃな論理に落ち着きやすいと思う。
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読書はまったく役に立たなくても(いからこそ)よいものだ、という立場からしても、「読書を実用物的に捉えて自己啓発本を100冊読んでいるが実はまったく役に立っていない(なのに本人はかなり満足している)人」は読書体験を正当に享受している人に含められるのでは?
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遠藤周作は狐狸庵という別名で老翁のコスプレをしてふざけた文章を沢山書いていたんだけど、確かどこかで三島由紀夫について「あの人は若くて美しいペルソナしか持たないからムキムキになって最終的に死ぬはめになった、自分はこうして老人のペルソナを持つことで生き延びている」みたいに言っていた。
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「蒸気でホットアイマスク」みたいなやつ、「物理的に目を覆い隠す消耗品」というシステムによって意地でも絶対に電子画面を見ない十数分を作るというただそれだけのことに80%ぐらいの価値がある
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人権意識を欠いた人の人権意識を欠いた行い自体を問題にするより、その人の文体や表面的な気持ち悪さを面白がって、「俺がこうなったら射殺してくれ」みたいにひたすら印象のレイヤーで消費している人たちを見ると、面白くないことは面白がらないほうがいいな、と思う
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いわゆる老害叩きで叩かれる老害なる人ってほとんど「老いている」のではなく「精神的には幼いまま老化だけを経験している」人ばかりだと思うので、自分の皮膚がつやつやなのを良いことに老害叩きをしている若いだけの人もまっすぐそこに向かってると思う。
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こう、問題行為の多い人というのはけっこう「自分はかわいい/愛されている」みたいな意識があって、確かにその補正で見るとかわいらしいとかお茶目なとかいう表現ができるんだけど、補正を外すと単純にモラハラや恫喝になってることがあるんですよね。この認識の違いは誰にでも起こりうるので怖い。
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これは愛の恐ろしさですよね、愛されているがゆえに「あの人にはこういうダメなところがあるけど…」と補正をかけて許してもらえたものが、そのまま仇になってシンプルに「あいつはダメだ」となるタイミングが突然やって来るなんて、誰も教えてくれないじゃないですか
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これは来てる服とか趣味とかそういうことではなくて、「若さゆえに一般的な良識(人を悪く言ってはいけない、とか当然のこと)を身に着けていなくても許されていたものがある日なぜか許されなくなり、手遅れになってからはじめからダメだったということに気付かされる」みたいな話です