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近所の公園と薬局にしか行けなかった連休、子ども達はきっと退屈だっただろうと思っていたら今朝
「ニィニハ?」
「ネェネハ?」
末っ子が玄関で不思議そうにそんなことを聞いてきたので2人とも学校だよと言ったら急に泣き出した。
3人ずっと一緒の数日間、3歳はとても楽しかったらしい。
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幼稚園、娘②は初めて自分と少し違う、健康な子ばかりの環境を目の当たりにして不思議そうにそしてずっと緊張していたけれど、半日登園したその帰り道
「タノシカッタネエ」
と言った。
そうでしょう。お母さんも病院の先生達も娘ちゃんをずっとここに連れて来てあげたくて、結構頑張ったんだよ。
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4年前、娘の入院中に平昌での羽生さんに大変勝手に一方的に励まされた私と4歳になった娘は今日、テレビに声援を、転んでも立ち上がる姿に拍手を、プログラム終了時は一礼を送りまして、娘は興奮しすぎて数分顔色が悪くなりましたが、とにかく私と娘はあの日から4年、ここまで来ました。ありがとう。
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平昌五輪の時、大学病院で羽生結弦選手の決勝の演技を見ていまして、その時の事を書いたら羽生さんを好きな方がそれを読んでくださるのですよね、あれから4年が経ちまして現在はこうですと手紙のような物を書きました。
4年後、オリンピックが来た。|きなこ @3h4m1 #note note.com/6016/n/n08252f…
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障害のある人が公共交通機関を使う時にどう対応するべきか、その出来事の見え方はその人の経験の有無で情報の解像度がきっと全く違う。電動車いすがどんな物か、小児用の車いすがどんな構造か、介助者としてでも一度見る価値はあると思う。経験して初めて見える景色があって、それには結構愕然とする。
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『音楽は一生のお友達』と仰ったのはうちの10歳のピアノの先生ですが、楽器というのはほんのひととき一緒にいただけでも多分ずっと優しい友達でいてくれるのであって昔々吹奏楽部だった私の友達はコントラバスです。好きな楽曲は『宝島』。
ではリプ欄にあなたの楽器と好きな楽曲、はいお願いします。
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近所のパン屋に今日は焼きたてのぶどうパンがあって皆それに並んでいたのだけど、私の前で順番を待っていたスーツ姿のお兄さんのスマホが鳴って
「ハイ、もう向かってます今駅です」
そう言っていた割に会計後店の外で焼きたてを嬉しそうな顔で齧っていた。
なんか、そんな感じでいいのかもね。
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空手が縁で結婚したご夫婦が披露宴の新郎新婦入場の際2人して胴着に黒帯締めて
『押忍!』
の掛け声と共に入場したのが相当素敵だったので医療職のご夫婦には是非、ドクタースクラブにリットマンを肩から下げ白のクロックスで
『酸素何リットル入れてる?』
とか言って入場して来てほしい。
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娘らの髪が随分伸びて出かけた美容室の待合の赤いソファで中学生くらいの女の子がかばんから取り出したのが新潮文庫の『銀河鉄道の夜』、同じタイミングで私がトートバッグから出したのが角川文庫の『銀河鉄道の夜』
お互いに「あっ」って微笑んで、私が13歳だったらお友達になれたかもね。
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「1人10万円だとウチは5人家族だから50万だね」「家族みんなが必要な物に使おうね」という会話の最中息子が言った希望が
「新型の電子顕微鏡が欲しい」
その標準価格大体65,000,000円〜
「遠心分離機でもいい」
電子顕微鏡却下。
遠心分離機はビニール袋に検体を入れて振り回せ。
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4歳は心臓の病気があって本来あまり運動はできない子ではあるけれど、運動会の秋の思い出は今しか作れないのだし、主治医も「ある程度はええ」て言うし、運動会は少し走って楽しもうと思っていたら本人が
「その日、先生トーチョク?」
当日主治医は当直かと聞いてくるもので、真剣すぎないですか。
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今朝も息子(小6)が何かタブレットで遊んでいるなあと思っていたら
「おかーさん!視力検査のあのフチがくっついてない黒マルって『ランドルト環』ていうねんで!」
そう叫んで学校へ駆けて行き
母の無駄知識は増え
そして上靴と体操服と給食袋の入った手提げが丸ごと玄関に残された。
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田舎、そこは一切の個人商店が消え去り車で30分の地に巨大イオンだけが存在し買い物はそこ一択のLife or death。
それだけに人混みに出ないで買い物どうしてるの大丈夫と実家の母に聞いたら
「畑がある」
「米も家にある」
「養鶏場の知人に卵を貰った」
田舎民、日本沈没のその日も多分生き残る。
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実際は文言通りの疑問なのかもしれなけど、もし「どうして子どもが欲しいって思うんだろう」というあの問いの底にあるものが自分の親への「大切に愛してくれないならどうして私を産んだの」という子どもの叫びなのだとしたら、親と名の付く他人1万人が回答しても得心はできないだろうし、せつない。
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うちの4歳は24時間医療用酸素を使用してSpo2は大体88%、運動制限のある先天性心疾患児なんですが、本人の強い希望で補助輪付き自転車を買ったらそれを初日から完全に乗りこなし、彼女に繋いである酸素ボンベを背負う私が全速力で伴走することになって、あのねこんなことできるなんて聞いてないから。
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私は娘に関わっていた医療者の多さに驚愕しつつ深々と頭を下げてその場を辞した。すごい人数の笑顔だった、歩いて退院する患者を見ることは稀だと、嬉しいと言ってくれた。会いたいけどもう来るなとも言ってくれた。毎日報道される「本日の重症者」の数字を見る時、私はいつもあのICUの人々を想う。
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病気と闘って0歳や1歳で向こうに渡った顔も名前も知らない小さなお友達はあの子もあの子も今年が新盆かと、同じ新盆を迎えた祖母の写真の横にラムネを並べてみた。もう呼吸が苦しくなくて線も管も付いていなくて何処にでも行けるあの子達、お母さんの所に走って帰ろう、向日葵と入道雲を横目にして。
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アンデルセンは生涯156編もの童話を書き世に送り出したそうで、その中に『パンを踏んだ娘』という靴を汚したくないが為に水溜りにパンを置いて踏み台にしようとした心無い娘が地獄に堕ちる話があって誰に言っても「は?」と言う反応なんですけど、Eテレに人形劇もあってトラウマ級に怖かったですよね?
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さっきNICUからまるで南海の真珠粒のように可愛い赤ちゃんを抱いて退院されたお母さん、同じエレベーターに乗りあわせた人々が口々に
「おめでとうございます」
を告げて降りていったのに驚いたことでしょう。私達は小児病棟に入院中の子の親で、あなたと同じNICUの卒業生の親です。
退院おめでとう
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明け方、タイムラインに大体毎日同じくらいの時間に起きてるなあって人達が「コーヒーこぼした」とか「仕事行きたくない」とか「赤ちゃん寝ない」とか「猫のカギしっぽって可愛いな」とかとりとめなく言ってるのを見ると意味なくほっとするので、こういう雑駁な場所が消えないでほしいなと思う4月。
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小児外来では毎回必ず採血のある3歳、毎回泣いて怒って最後は私に抱えられて入室する処置室に先日1人で入室し生まれて初めて
「なかなかった!」
と誇らしそうに出て来て「お姉さんだねって、皆褒めてくれた」と大威張りで、子どもは大きくなるし世界は変わりゆくもので私はなんだか嬉しくて寂しい
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インターフォンを押せば
「国税局査察部です」
電話をかけてきたと思ったら
「俺だよ、オレオレ」
それが鉄板の持ちネタの息子、本日誕生日。本日の晩餐については
「俺の誕生日ケーキは娘②の退院まで保留」
バースデーケーキの『ろうそくフー権』を入院中の妹に譲るらしい。誕生日おめでとう。
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小児病棟には幽霊が出る。それを見たのは去年の春に4歳の娘が長く入院していた頃のこと、深夜娘の狭いベッドの隙間から這い出した私は青い服の青い顔の男がふらふらと廊下を歩く姿を見た。それは救急車が立て続けに3台救急入り口に停まった日、PICUの廊下が潮騒のようにざわついてそれが引いた後。
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術後、在宅酸素の他に再び経管栄養児になった娘②は、絶賛摂食リハビリ中。
今日は突然ヨーグルトを完食。
娘②のように疾患と闘う医療的ケア児が世に出た時、次に直接世の中と闘わないといけない、そんな事にならないよう、彼等が安心して暮らせる世界を大人である私達が希求したいと思います。 twitter.com/medcare_kids/s…
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この度、紙の本を上梓させて頂きます
『まいにちが嵐のような、でも、どうにかなる日々。』
noteの記事と書き下ろし原稿を選んでまとめて夏中かけてこつこつ執拗に書き直しました。発売は9月28日、Amazonのカートは既に開いています。素敵な表紙だけでも見てってください。
amazon.co.jp/dp/4046058633