ここまではっきりした形ではなくても、戦争体験で精神にある程度変調を来した人は結構いたのかもしれない。アメリカ映画の「ハクソー・リッジ」でも主人公の父親は第一次大戦に従軍後家族に暴力を振るう情緒不安定な人になったという描写があった。日本だけであるはずかない。
先週の「クローズアップ現代+」でも、この問題が取り上げられ、戦後周囲から「戦争ボケ」と呼ばれた男性の事が出てきた。やはり戦後は無気力で仕事もせず、地域では「戦争で頭がボケたらしい」とバカにされ、他人とも交わらすに生きた。親族は「本人も皆から見下されてるのはわかっていただろう」と。
同じPTSDになった日本軍兵士の父を持つ男性は、「子供は子供で、戦後の社会を生きなければならなかった。あなたの立場も仕方がなかったと思う」と語りかけていた。確かに、父親が戦争で精神を病んだことを、社会的にもなかなか知られない中で子供に理解し共感せよ、とは無理だろう。
息子は、生活力のない無気力な父を軽蔑し、無視し続けた。しかし、自分は父のおかれた境遇も苦しみも全く理解しないまま、死に別れたのでないかと深い悔悟を持つようになる。とても悲痛な内容の番組だった。今では、同じようなPTSDの日本軍兵士の遺族と交流する活動をしている。
PTSDの元アメリカ兵の「戦場で精神を病み、帰還後に家族との関係が壊れた」という証言に父の事が浮かび、調べてみると戦前に出征した頃の父は精悍な容貌の若者で、戦功で表彰される優秀な兵士だった。しかし、何年も従軍した中国でゲリラ掃討戦に参加し、その中で精神が病んでいったらしい。
そういえば今朝のNHK総合の「目撃にっぽん ずっと父親が嫌いだった」は、このところNHKが熱心に伝えている「PTSDの日本軍兵士の戦後」だった。ものごころついた頃から、無気力で働かない父親のために貧しい暮らしを強いられ、ずっと父を軽蔑していた息子が、戦時中の父について調べて意外な事実を知る
さっき、NHK第一の「地球ラジオ」を聴いていたら、パプア・ニューギニアのマッドメンがいる集落に、諸星大二郎先生の「マッドメン」のコミックを持っていき、ホンモノのマッドメンに見せたら、非常に驚いて(マンガというものを初めて見た!)、感動していたという話が面白過ぎた。
インドでは、病院で使う酸素不足で患者が「診察してもらいたかったら、ボンベは自己調達」と言われているとかテレビで見たが、とうとう「闇酸素」が売買されているという。先週辺りは、「病院から酸素ボンベを強奪しようとして、ボンベ爆発。病院は炎上」という信じがたいニュースも見た。
この記事の中でほぉと思ったのは、 「日本では文化芸術が産業として分析されていないので、国も業界のどこに金を出せば回るのかがわかっていない」 という指摘。 nikkei.com/article/DGXZQO…
「スポーツ嫌いを五割減らす」って、そういう発想がそもそも嫌だと感じる。
更に「スマホとかメールがない頃は、ドタキャンしたらどうしてたの?」 「まぁ、謝りの電話を入れたり、直に謝りに行ったり。今よりドタキャンはやり辛かったんじゃないかな」 「電話って家電?」 「そう。公衆電話を使うことも」 「公衆電話って、病院にあるみたいな?」 「昔は町中にあったの」
この前、甥っ子(中学生)に「ネットがない頃って、みんなどうやって調べていたの?」と聞かれ、「人に聞いたり、本を読んだりした」と言うと、 「それじゃ時間かかるでしょ?」 「そう、調べる事に時間もかかるし、結局わからない事もある。そういうものだと思ってた」
昔、新聞の投書で 「尋常小学校で先生から『人間の先祖はサルだった』と教えられた。その同じ先生が『日本人のご先祖は天照大神さまという神様です』と教えるので、その神様がサルだったのかと聞くと大変怒られて、成績も「可」にされてしまった。母親に『お前は何をしたんだい』と怒られた」 と読んだ
知り合いの息子さん(小学生)が、 「自分にも都合があるのに、テレビは自分勝手(放送時間を自分の都合に合わせない、という意味)に放送しているので嫌い。YouTubeはいつでも見られていい」 と言っているそうで、進む世の中についていけないものを感じてます。
「帰ってきたヒトラー」「帰ってきたムッソリーニ」に引き換え、本邦にはそれらしき人物が・・・という嘆息がございますが、一人だから無理があるのではないかと思ったりします。いっそ、近衛文麿、東條英樹、小磯国昭、鈴木貫太郎の四人の宰相が令和の時代に突如復活する、「帰ってきた帝国宰相たち」