そういえば、BBCの第二次大戦の各国指導者の人物像を比較検討するドキュメンタリーを書籍化した本を読んだころがあるが、英米ソ独伊を一通りやった後、最後に日本があり、「この国の奇妙なところは、誰が最高指導者なのかわからないというところ。わからないのに戦争を遂行しているのもわからない」と
水木一郎さんがアニソンを歌うようになった時、当時は歌謡ジャンルとして決して高いものではなかったけど、ファンの前で歌う機会があると「子供達は真剣に聴いてくれる。歌い手として幸せだった」と語っていたのを新聞で読んだことがありました。
そういえば今朝のNHK総合の「目撃にっぽん ずっと父親が嫌いだった」は、このところNHKが熱心に伝えている「PTSDの日本軍兵士の戦後」だった。ものごころついた頃から、無気力で働かない父親のために貧しい暮らしを強いられ、ずっと父を軽蔑していた息子が、戦時中の父について調べて意外な事実を知る
「スポーツ嫌いを五割減らす」って、そういう発想がそもそも嫌だと感じる。
NHK新潟のローカル番組だが、興味深い内容だった。新潟県では今農業の獣害被害が一憶二千万円を超え、被害のショックで離農する人も続出しているという。しかし、肝心の猟友会は高齢化と後継者不足。そこで産官学がドローンチームを編成し、猟友会の巻狩りを支援することに。 nhk.jp/p/ts/Y6GJQ815N…
この前、甥っ子(中学生)に「ネットがない頃って、みんなどうやって調べていたの?」と聞かれ、「人に聞いたり、本を読んだりした」と言うと、 「それじゃ時間かかるでしょ?」 「そう、調べる事に時間もかかるし、結局わからない事もある。そういうものだと思ってた」
これを作っておられる方が 「国会で野次を飛ばすときに、これを机に打ち付けるのは止めて欲しい。丁寧に作っているので、もっと大事に扱って」 と言っていた。 twitter.com/sex_sence/stat…
「指導者という個人ではなく、集団主義の国民全体が自発的に戦争を遂行していると思われるが、我々の価値観とは非常に異質である」みたいな困惑気味のまとめ方だった。
知り合いの息子さん(小学生)が、 「自分にも都合があるのに、テレビは自分勝手(放送時間を自分の都合に合わせない、という意味)に放送しているので嫌い。YouTubeはいつでも見られていい」 と言っているそうで、進む世の中についていけないものを感じてます。
こういう分析を読むと、欧米の人達は日本を「真面目に仕事をする」とか「納期を守る」という意味では信用するかもしれないが、本質的に信頼はしない、というか、出来ないのかもしれないと思う。結局、利害関係のつきかいか。
Nスぺのウクライナ特集、小泉先生の 「ロシアの侵攻を許してしまった時点でハッピーエンドはない。どのバッドエンドを選ぶか、という問題」 という総括が一番の見どころでした。
今、 「えきねっと(JR東日本のサイト)に二年以上ログインしていない方を自動退会にします。退会を希望しない方は以下のサイトにログイン下さい」 というメールが来た。そういえば、コロナ禍になってから使ってないと思い、ログインしようっとすると警報が出た。引っかかるところだった。
元日本兵の方の文で、 「米軍の捕虜はタバコやコーヒーが無くては戦えぬと泣き言ばかり言う。梅干しと握り飯の粗食に耐えて奮闘する我が兵が、何故こんな奴らに負けるのか、と悔しくてならなかった。しかし、戦後になると、泣き言を言わねば戦えぬという兵を養うほど豊かな国が強いと思い知る」と。 twitter.com/oldpicture1900…
PTSDの元アメリカ兵の「戦場で精神を病み、帰還後に家族との関係が壊れた」という証言に父の事が浮かび、調べてみると戦前に出征した頃の父は精悍な容貌の若者で、戦功で表彰される優秀な兵士だった。しかし、何年も従軍した中国でゲリラ掃討戦に参加し、その中で精神が病んでいったらしい。
息子は、生活力のない無気力な父を軽蔑し、無視し続けた。しかし、自分は父のおかれた境遇も苦しみも全く理解しないまま、死に別れたのでないかと深い悔悟を持つようになる。とても悲痛な内容の番組だった。今では、同じようなPTSDの日本軍兵士の遺族と交流する活動をしている。
インドでは、病院で使う酸素不足で患者が「診察してもらいたかったら、ボンベは自己調達」と言われているとかテレビで見たが、とうとう「闇酸素」が売買されているという。先週辺りは、「病院から酸素ボンベを強奪しようとして、ボンベ爆発。病院は炎上」という信じがたいニュースも見た。
「クロ現」の戦争ボケの男性は、元は精鋭部隊である空挺部隊の兵士だったが、戦時中に精神に変調を来して病院に収用され、そのまま終戦を迎える。軍のエリート兵士が、戦後はバカ扱いで生涯を終えた。人生って何だろう。
同じPTSDになった日本軍兵士の父を持つ男性は、「子供は子供で、戦後の社会を生きなければならなかった。あなたの立場も仕方がなかったと思う」と語りかけていた。確かに、父親が戦争で精神を病んだことを、社会的にもなかなか知られない中で子供に理解し共感せよ、とは無理だろう。
昨日のBS1「市民が見たコロナ禍」。一部では「模範的コロナ対策の国」とも称賛されているニュージーランドから、観光会社を経営する男性が「この一年半仕事がなく、政府に補助金を頼んでも返事もくれない」と嘆いていた。まぁ、全てが上手く行っているわけはないよなぁ、と思う。
「怒りの葡萄」を読んだら、「最後まで葡萄が怒りません。書名に騙されました」とか。 貧窮した農民の苦しみに、葡萄畑の葡萄が遂に怒った!憤怒する葡萄の群れは、農地を取り上げる下請け業者や銀行を襲撃する。しかし、それでも怒りが収まらない葡萄の群れは街を遅い始めた。
指導者、指導者って言われると、「君達、リーダーシップがないと秩序が作れないのか、面倒臭い人達だなぁ」と思うこともあります。そんなもんは非常時だけでいいでしょうが、年がら年じゅう存在感あるリーダーなんて鬱陶しいわ、と。こういう事だから、リーダーがいないんだろうか。
「帰ってきたヒトラー」「帰ってきたムッソリーニ」に引き換え、本邦にはそれらしき人物が・・・という嘆息がございますが、一人だから無理があるのではないかと思ったりします。いっそ、近衛文麿、東條英樹、小磯国昭、鈴木貫太郎の四人の宰相が令和の時代に突如復活する、「帰ってきた帝国宰相たち」
翻って、自分達はどうだと言われれば、少なくとも自分は信用云々は個人個人の問題というか、状況によるとしか言えないが、どこかものの考えた方や捉え方のような本質的な部分で信用できないというよりも、「わからない」という感じ。現象としては理解出来ても、どこまでも腑に落ちる事がない。
多くのリツイート、いいねを頂き、ありがとうございます。 この本は、地元の図書館で偶々見つけた「ウォー・ロード 戦争の指導者たち」という本です。余り期待もしないで読んだのですが、意外にも一番興味深かったのが日本に関する部分でした。とにかく、書き手の困惑ぶりが伝わってきました。
先週の「クローズアップ現代+」でも、この問題が取り上げられ、戦後周囲から「戦争ボケ」と呼ばれた男性の事が出てきた。やはり戦後は無気力で仕事もせず、地域では「戦争で頭がボケたらしい」とバカにされ、他人とも交わらすに生きた。親族は「本人も皆から見下されてるのはわかっていただろう」と。