「こんなことを言うと『クローンに任せて吉田は引退するのか』というお声が出てくると思うんですが、誤解です。私がふたりとなることで更に先へと進化するFF14にご期待ください」
そりゃあPS5がまだ発売されてないのにPS4は切れないでしょ 発売されてないのに 発売されてねえよ!!!!!
トトラクの千獄を絶対に許さない委員会の会長をかれこれ八年以上努めてきた当方、新生したトトラクに行ってきたのですが、パッチ6.1をもってトトラクと和解するとともに、トトラクの千極を絶対に許さない委員会の会長を辞任並びにトトラクの千極を絶対に許さない委員会を解散することを宣言します
オンラインゲームでの発言は「自分の家族とか職場の上司とかの前でも同じことが言えるか?」というファクトチェックが自分の中にあれば間違いない、と俺は思ってる。そんなん硬すぎるという向きもあるかもしれないけど、ペナルティを受ける発言や振る舞いは絶対にこのチェックに引っかかるので。 twitter.com/miyutaeokiba/s…
これ、20年くらい前だと明確に「FF7っぽいやつ」としてイメージつけやすいんだけど、現代では「ファイナルファンタジーっぽい小説」ってなんだろう……となるな……。 twitter.com/terry10x12th/s…
ルヴェユール家の執事は花の手入れとかいいからすべての材料とスクリップ交換をアメリアンスの隣でやってくれ
僕はFF14のコンテンツルーレットを回す時「よろしくおねがいします」と「おつかれさまでした」をチャット履歴から呼び出して入力するのが習慣になっているのですが、先ほどアルカソーダラ族のデイリーをやっている途中でレベルレに入った際、見知らぬ人たちに開口一番「我こそはマヌシャ神」と
あいさつはマクロや履歴からではなく心を込めて毎回打とう マヌシャ神との約束だす
これ「お一人様に島をひとつあげます」とか言ってるけど無人島で素材から道具作って開拓しろって実質的に島流しなのでは? 世界を救った光の戦士はもはや新たなる秩序の元ではただの脅威でしかないのでは? 狡兎死して走狗烹らるのでは?
俺の仲間内でモンハンの戦闘中に尻尾の剥ぎ取りをすることを、Vガンダムでシャクティが上空でドンパチやってる中ひなげしの種を植えていた行為になぞらえて『シャクティする』と言ってるんだけど、あまりにも長年使いすぎたため最近はこれが一般のネットスラングであるかのような錯覚に陥ってきた。
新式禁断、半年〜八ヶ月の間に一度だけ体験できるFF14屈指の脳汁コンテンツなので、やるやらないとか要不要とかはともかく全力で楽しんでいこ 半年かけてこつこつ貯めたギルとマテリアがえぐい音をたてて虚空に消えていくの最高だよ 俺はゆうべ戦技のオメガマテリジャが一気に74個砕けた
『無人島開拓 ランク上げ 効率』なんてワードで検索をかけるような人間が無人島に行ってもスローライフを送れるわけがないんよ 考えてみれば当たり前のことだったんよ スローライフが送れない原因はコンテンツじゃなくて俺自身にあるんよ
AVとかラノベとかのタイトルが具体性を求めてどんどん長くなっていく中、食い物は逆に具体性を失い「無限」とか「悪魔」とかの抽象化したラベルが貼られている気がする。 twitter.com/pirlo05050505/…
漫画やアニメだとまだ早期発見が可能だが、小説媒体で作者の想定する「獣人」と読者の想定する「獣人」が食い違っていた時、手遅れで取り返しのつかない事態になることがあるよね twitter.com/Akikun1124/sta…
クラピカ、ゴンたちに出会ったのマジで人生の救いで、中でも一番の光であるレオリオの扱いがめちゃくちゃぞんざいなのはたぶん「こいつに甘えたら自分はダメになってしまう」という意識があるからなんじゃないかと思う。お母さんからのメールにそっけない対応をしちゃう大学生と同じやつ。
FGO福袋、もうこんだけ数多いならふたつくらい引かせてくれ
@Higashide_Yu アイコンのケルベロスの頭部よりモリアーティの頭部の方が数が多いのずるくない?
幽遊白書、感動系から霊能力バトルに路線変更した時のことを今でも覚えている。俺は感動ものの路線がけっこう好きだったのでちょっと残念だったが、それ以上に霊能力とか妖怪とかで最高に昂った。狸とお爺さんの絆で涙した小学生の心は霊丸一発で「そっち」に持っていかれた。理屈ではなかった。
俺が大人の読者だったら「こういうバトルものは他にもあるんだから感動路線のままで行ってほしかった」みたいなことを考えただろうなと思う。でも小学生の俺は「どんなに狸とお爺さんの絆で泣かしても霊丸にはかなわない」という冷酷な事実を体感して、これは今でも訓戒として心に刻まれている。
ぼく「ヘッドショットおじさん退任か……新しい社長どうなんだろうな……FF14に優しいといいな……」 新社長「FF14コラボギター私物で買いました」 ぼく「はい」
新社長「FF14を宇宙一のゲームにしたい」 新社長「いま一番プレイしてるのは14です」 新社長「妻が先回りしてそのレベル帯の装備を作ってくれて」 ぼく「わかった もうわかったから!」
「母性がある」「家事が得意」などのファクターで成立していたママ系サーヴァント界隈に「大地母神なので」という問答無用のエクスキューズを携えて現れたティアマトは強いが、やはり「特になんの理由もエクスキューズもないが自分のことをマスターの母親と思い込んでいる」源頼光が際立っている。
これ『現代の小説にそんなルールはない』で大勢としては一致してると思うんですけど、実は「“……”や“——”の後に句読点を付けなかった風習」というのがあるにはあるので、若干めんどくさい話になってくる気がします。以下ツリーで語る。 twitter.com/tiamatdahlia/s…
例を挙げると、戦前の近代文学に遡る。みんな知ってる夏目漱石とか芥川龍之介とか。彼らは“……”や“——”の後に句読点を付けず、句読点を打つ場合は『前』に付けていた。 出典:夏目漱石『三四郎』(1908)、菊池寛『真珠夫人』(1920)、芥川龍之介『河童』(1927)
例として適当に書くとこうなる。 今: 私は……、どうして彼を殺めてしまったのだろう……。 昔: 私は、……どうして彼を殺めてしまったのだろう。…… 文末もしくは文節末において、“……”や“——”は文章から切り離して記述されていたようだ。