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私は「たかが名前」とは思わないな。中身が大切なのは言うまでもないこととして、子どもが見聞きする名前ひとつだって大事なものだと思う。「頼ってみようかどうしようか」「話してみようかどうしようか」子どもが判断する時、名前の印象も材料のひとつになるんじゃないかな。#こども庁でお願いします
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私は家庭じゃない場所で居場所を得た。それこそ先のツイートをくださった高知さんや紀子さんたちの愛は、私の心を健やかに育てなおしてくれるから。やっぱり大切なのは家庭そのものではなく、自分の安全を脅かさない他者との関係性(=安心できる居場所)だと思う。親・家庭がそうなら幸運だけど、ね。
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朝日新聞のインタビューを受けました。有料記事ですが、「こども庁」という名称の意味について話しています。
私はこの問題を、単なる名称をめぐる議論ではなく、子どもへの大人の眼差しそのものを考え直すきっかけだと思っています。
よかったら。
asahi.com/sp/articles/AS…
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署名キャンペーンを立ち上げました。来年の国会で名称が決定されてしまうまで、出来ることをやりたいです。
何卒よろしくお願いいたします。
「家庭単位じゃなく、子ども個人に目を向けてほしい!再度「こども庁」に名称変更を! #こども庁なら応援します」 chng.it/SkKjB4xZcm @change_jpより
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2021年3月9日、私は自民党の勉強会で「当事者の体験を票集めに使わないでほしい」「聞くだけ聞いて何もしないのは経験の搾取だ」と伝えました。その主張を重く受け止め、実際に声を反映させながらここまで行動してきてくださった議員の方々には、今も変わらず感謝しています。しかし、→
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話が進む中で「やっぱりなかったことにするね」「わかったけど我慢してちょうだい」とでも言わんばかりに、いきなり名称がひっくり返された。私はこの、「なかったことにされた」という点に、強い憤りを覚えています。なぜならこれは、家庭内で行われていた虐待の再現、その構造そのものだからです。→
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ずっと意思も存在も尊重されず、大人の都合で振り回されてきました。それでも諦めずに対話を試み続け、受け止めてくださる方が現れ、やっと声が届いた!と希望を持ったんです。それが急転、大人の都合で「やっぱり取るに足らない声でした」。政治がこれだから、虐待がなくならないのではありませんか。
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“「子どもは家庭でお母さんが育てるもの」「最近は学校に行かない権利を唱える子どももいるようだが、権利ばかり唱えても(よくない)。」”
途中でiPhone放ってしまった。
「子どもは家庭でお母さんが…」 こども家庭庁を選んだ政治家の意識:朝日新聞デジタル asahi.com/articles/ASPDN… #自民 #公明
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やっぱりそういう価値観に基づいた「こども家庭庁」への名称変更じゃないか。これまで家父長制や母性神話がどれだけの保護者を追い詰めてきたか。そして危惧してきた通り、子どもの権利も軽視だ。やっぱり名前は「たかが」じゃないよ。なんらかの思いがあってつけるんだ。
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「こども庁」の名称には、子ども個々人を尊重し、社会で守り育てる思いが込められていると思います。
以下のキャンペーンに賛同をお願いします!「家庭単位じゃなく、子ども個人に目を向けてほしい!再度「こども庁」に名称変更を! #こども庁なら応援します」 chng.it/YC56WHs65L @change_jp
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山田太郎議員に関する記述が訂正されたようです。 twitter.com/asahicom/statu…
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経緯は下記ツイートです。
私は、「6ヶ月以内に必ず当事者の声を聞く場をつくる」と宣言したその約束を守り、さまざまな経験をされてきた当事者、あるいは各分野の専門家たちの話を重く受け止め、その声をこども庁に反映させるべく動き続けてきた山田太郎議員らのアウトリーチに感謝しています。 twitter.com/yamadataro43/s…
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「こども庁」への名称変更を求める関連団体・専門家ネットワーク(仮称)を立ち上げました。
賛同してくださる団体、専門家の方がいらっしゃれば、ウェブサイトのお問い合わせフォームよりご連絡ください。よろしくお願いします!
kodomo-cho.net
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ハフポストで記事が出ました。署名を集めている仲間たちと一緒に取材を受けています。
名称変更と対話も、まだまだ諦めていません。ご一読ください。よろしくお願いします。
huffingtonpost.jp/entry/story_jp…
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予想通りのことですが、こども基本法も「こども“家庭”基本法」にするかどうか話し合われていますね。
たかが名前ではない証左ではないでしょうか。
こども庁も、基本法も、子ども個人のためだけにあってください。
自民、子どもの権利巡り紛糾|新潟日報デジタルプラス niigata-nippo.co.jp/articles/-/225…
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こども庁の名称に関して私が黙らないのは、当事者の声を議員が受け止めたという尊いプロセスが軽視され、一部の支配者による鶴の一声で「なかったことにします」と言わんばかりに結果がひっくり返ったからです。親という支配者の一声で全てが決まってしまう虐待家庭の構造と、何が違うのでしょうか。
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ただコミュニティの規模が違うだけ。どちらも支配者の一存で決まってしまう問題が顕在化したのだと思っています。つまり、このプロセスと結果を受け入れるということは、たとえ子どもが家庭という規模感のコミュニティ内で声を聞き入れてもらえなくとも、「決まったものは仕方ないから我慢しろ」です。
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私たちが言いたいのは、名称が嫌だからどうにかしろ、ということではありません。そういった構造を体現するような名付けのプロセスを容認していいのか、それでどうやって虐待を防止していく社会をつくるのか、ということを訴えたいのです。
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あの日の私が欲していた支援って、家庭からの逃亡支援だったけどな。結局いつも「子どもは親御さんと一緒にいるのが幸せ」的な考えに押しやられるから、誰のことも信じずに自分から逃げたし、トー横的な場所や、同じような若者のグループに行き着いたけども。そういう場所も結局は排除されていくから。
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かつての私は自傷に頼って生き抜いていたから、今でも心身の調子が悪くなりすぎると自分を傷つけたくなったりもするんだけど。そういうときは鍼灸院へ行くことにしていてね。だって皮下が鈍く痛んで、それでいて健康的なんだもん。終わった後はスッキリしててるし、夜も割としっかり眠れる。いいよ鍼。
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依存症業界にいるとほぼ常識になりつつある「タフラブ」。信じて見守り、待つという愛の形だ。向かう先を正し、厳しく指導することはイネイブリングと呼ばれ、かえって状況を悪化させていくファクターになる。大人たちから子どもたちへの眼差しも、これとあまり変わらない問題を孕んでいるように思う。
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子どもたちの学校関係のことで仕事に支障が出ている。通級の相談をしに行ったら、東京都は今年から通級の職員が2割減になったうえに、1週間に2日、しかも1日2時間にガクッと減らされているらしい。自閉症情緒の支援級もASDの診断がつかなければ入れなくて、打つ手がない。結局ロビイングしかないのか。
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結局、我々当事者は「支援してもらえなくなったらヤバい」から、「支援してもらえそうな態度と言動」を心がける義務感みたいなものが常に付きまとう。つまり、支援者と被支援者の間には見えない権威勾配がある。私たちは支援を人質に取られている感覚だよ。支援者はそれを理解しておく必要があるよね。