たられば(@tarareba722)さんの人気ツイート(古い順)

1851
日本には千年前から、父母を亡くし兄弟が配流され一族が政敵に敗れて幼い子3人を残し若くして亡くなった姫君を、あくまで賢く美しく煌びやかに書いた『枕草子』という作品があります。描かれなかったからといって、不幸や不運や抑圧を軽んじている、ということにはなりません。
1852
人にはそれぞれ得意分野があって、それは当たり前のようにあらゆる「作者」にもあって、だからこそ自分に一番適した方法で語り継ぐことによって、「忘れない」という一番手前の祝福を成し遂げる手法があるということは、何度でも言っておきたい。
1853
以前、『鉄腕DASH』の「0円食堂コーナー」の紹介記事に「調味料やガソリン代を使っているから0円じゃない」とコメントしている人がいて、文句を言おうと思えばなんにでも言えるし、だからこそ「なにをどう語るか」は語り手の心のありようを浮き彫りにするんだなあ、、と実感した。
1854
何かをけなすとけなす側に、褒めると褒める側に、ちょっとだけ心が動く感じがして、そういう「ちょっとだけ動く感じ」に敏感でいないと、いろいろまずい気がしている。
1855
北海道うまいもん食べまくり旅行決行中。北海道って、牛も豚も米も乳製品も海鮮も美味しいけど、ど真ん中にめちゃくちゃ美味しい「野菜」がいて揺るがないとこが、食の王国を王国たらしめているんだなと思う。写真は奥芝商店のスープカリーです。魔法がかかってるみたいに、ゴボウの天ぷらが美味しい。
1856
小樽駅前すぐ横の三角市場にて四色海鮮丼(いくつかの海鮮ネタから自由に4品選べる。わたくしはボタンエビ、中トロ、いくら、うにを選択)をいただく。あまりの美味しさに、これからこの料理は「罪深き丼」と呼ぶことにする。
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今回初めて似鳥美術館に立ち寄ったんですが、すごいですねここ。伊藤若冲、円山応挙、藤田嗣治、岸田劉生、横山大観、東山魁夷、平山郁夫、ルノワールやシャガールもあってびっくりしました。しかもお客さんが少ないからじっくり見られるという。小樽芸術村、次に来る時はもっと時間とって回ります。
1858
このセリフは、物語終盤でジョバンニが現実世界に戻ってから突然現れた「ブルカニロ博士」という登場人物が語る言葉で、胸を打つフレーズです。しかし賢治は本作を何度か推敲していたため、版元やレーベルによって文面が異なり、たとえば青空文庫版では登場しないんですね。 aozora.gr.jp/cards/000081/f… twitter.com/douwa_bot/stat…
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魔都・新千歳空港
1860
「小泉 国防や外国への対策を突き詰めると、独裁国家が一番良いということになる。自由民主主義の日本を守るために安全保障をやっているというドクトリン(原則)が必要。 技術論に陥って、中国を上回るために経済を軍事に全振りしよう、では意味がない。」 newsweekjapan.jp/stories/world/…
1861
今日お昼にテレ朝『大下容子ワイドスクランブル』を流していたら、コメンテーターの杉村太蔵元衆院議員が「今回の侵攻はアメリカも悪い」と言っていて、解説役として出演していた朝日新聞の駒木記者に「いえ、悪いのはすべてプーチンです」と即座に反論を受けていたのを思い出しました。
1862
半日働いてもう限界が近い。労働は体に悪い。
1863
ちなみに日本文学史上おそらく初めて「同人誌作り」が描かれるのは、『紫式部日記』「御冊子作り」(西暦1008年11月上旬頃)です。初産から二ヶ月後の中宮彰子が、紫式部を呼んで目の前で『源氏物語』の写本を(おそらく一緒に)せっせと作っている記述があります。 twitter.com/s_i_s_i_n/stat…
1864
中宮とともに夜通し作業していたようで、彰子の父・藤原道長が「大事な皇子(のちの後一条天皇)を産んだ直後のこんな寒い日に!」と呆れながらも、上質の紙、筆、墨、硯まで次々持ってきて彰子にプレゼントするパパ道長と、もらった直後にそれを紫式部へあげちゃう彰子さまの姿が最高にキュートです。
1865
(『源氏物語』は成立過程にも内容にも藤原北家の政治的文脈が伝わる作品ではあるけれども、「それだけで残ったわけじゃないよな」と強く信じられるのは、成立直後のこういった「彰子の作品愛」を感じられるからなんだよなぁ、、とも思うなど。彰子さまはどの妃に自分を重ねて読んだのだろうか)
1866
(以下、『紫式部日記』「御冊子作り」より私訳) 「(出産後に)内裏へ還御なさる時期が近づき、そのため女房たちがあれこれと慌ただしい中で、中宮(彰子)様は御本作りをなさるという。そこで私は、夜が明けるとすぐに彰子様の御前へ上がり、差し向かいでお仕えして作業することになった。」
1867
「さまざまな色の料紙を選んで、その紙を整えて、物語(『源氏物語』)の原稿を添えて、それに清書の依頼状と共にあちこちへ(写本作りのため)配る。そのいっぽうで、清書が終わったぶんを綴じ集めて、整える。この作業を、夜が明けるまでやって、日が暮れてゆく。」
1868
「[いったいどんな子持ちが、この冷たい時季にこんなことをなさるのか]と殿(藤原道長)がおっしゃりながら、上質の薄様紙、筆、墨などを、次々とご持参なさる。しまいには御硯までご持参なさって(中宮様にそれを渡し、中宮様がそれを受け取るとすぐに)、それらをわたし(紫式部)に下さる。」
1869
「すると殿は、なんともったいない…と騒いで、[お前(紫式部)というやつは、うわべは取り澄ましておいて、その実こんな(ちゃっかりした)ことをしおる」とわたしをお責めになる。 それでも殿は、墨挟み・墨・筆などを下さった。」(以上、『紫式部日記』角川ソフィア文庫版より原文から私訳)
1870
というわけで、すべての同人作家と編集者は、紫式部先輩、中宮彰子、藤原道長の後輩だと思うわけです。(了
1871
書評です。古典文学を学ぶ醍醐味は、その「揺るがなさ」に触れるところにあります。家の柱に身長を刻むと「成長具合」がわかるように、たとえば百人一首の好きな歌には、その時々の自分の心が映し出されます。 #ちはやふる 「すこしだけ優しい自分」に出会う切… gendai.ismedia.jp/articles/-/949… #現代新書
1872
「嫌いなものでなく好きなもので自分を照らすこと」の第一歩が、「推しは今日もすばらしい」と呟くことだったりします。土曜日ですね。
1873
「生きることは変わってゆくこと。だから2000年たっても新たな解釈が加えられて変わってゆくのは嬉しい」というシシン先生。解釈完全一致。あと楽しそうに語るのが何より最高。 【アルゴノーツ 】古代ギリシャ研究家と見る『FGO』の英雄たち【イアソン&メディア編 #03】 youtu.be/JCiI__qob3I
1874
古典解釈の醍醐味のひとつに「なぜあのキャラクターはこういう性格なのか」という、作中で描かれている(あるいは「あえて描かれていない」)生育環境からの類推があって、『源氏物語』(光源氏)の場合、「(原文では)母親である桐壺更衣は生前一度も子供についての言及がなかった」ということから、
1875
つまり『源氏物語』(原文)と『あさきゆめみし』を並べて読むことで、「母からの愛情というのは、それが"最初から与えられなかった"と考えるほうが心のダメージは大きいのか、それとも"いったん与えられてから失う"ほうが大きいのか」という、新たな読み方、考え方が生まれるわけです。