さむ(@urakutenism)さんの人気ツイート(古い順)

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碓氷峠(群馬と長野の県境)にいまも残る、明治時代につくられた信越本線の廃橋梁。かつては並行する国道18号もこの橋の下を通り抜けていました。
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今から24年前、1998(平成10)年に撮影した川崎駅と浜川崎駅を結んでいた連絡線の跡。途中にはレンガ造りの橋台があり、現役当時は京急線を跨ぐ形で鉄橋が架けられていました。オーバーパスしていました。
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陸上自衛隊の相馬原駐屯地がかつて米軍基地だった頃に行われていた、上越線八木原駅からの戦車輸送。
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今から30年ほど前、1989(平成元)年の伊勢崎駅で並ぶ 両毛線115系と東武伊勢崎線10000系。かつては貨車の受け渡しも行われていたため、構内でレールが繋がっていました。
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かつては全国各地ほとんどの駅で行われていた貨物の積み卸し。高度経済成長の中、道路網の整備が進んでいくと、ドアツードアで速達性の高いトラック輸送へ切り替えられ、このような光景も今ではすっかり見られなくなりました。
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"クロネコヤマト"でお馴染み、ヤマト運輸の社史より、今はなき秋葉原駅の貨物扱所。高架上のホームで貨車から降ろされた貨物はシューターを使い高架下へと滑り落として、配送先まで向かうトラックに積み込まれました。
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当時、秋葉原駅にはトラック用の通路を挟む形で両側に高架式の貨物ホームがありました。ちょうど今のブックオフあたりです。東北新幹線の建設工事にともない左側のホームが取り壊された後も右側のホームは暫くそのまま残されていましたが、再開発前夜の90年代中頃に姿を消しています。
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川崎駅前にあるミューザで開催中の企画展「鉄道操車場物語 -新鶴見から塩浜へ-」に行ってきました。会場では川崎市やJR貨物、神奈川臨海鉄道が所蔵している当時の貴重な写真や備品などを中心に展示されています。観覧は無料で開催期間は今月16日(水)まで。車扱時代の鉄道貨物に興味がある方はぜひ。
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1950(昭和25)年より秋葉原駅の総武線ホームで営業しているミルクスタンド。かつては1日1万本以上売れたという瓶牛乳も、自販機の台頭で現在は1日2000本程度にまで減ってしまいましたが、今でも朝の通勤時間帯には多くのビジネスマンが乗り換えの合間にここで瓶牛乳をぐいっと飲み干していくんだそう。
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解体工事の始まった浜松町駅前にある世界貿易センタービル。1970(昭和45)年の竣工当時は日本一の高さを誇っていました。150メートルを超す高層ビルの解体は国内初の事例になるそうで、完了は2023年3月末の予定。
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昭和30年代の碓氷峠。今では地中深くを新幹線が楽々と走り抜けていますが、かつては交通の難所と呼ばれ、峠越えの列車は特殊な機構を持った機関車に補助してもらいながら登り降りをしていました。在来線は新幹線開業と同時に廃止、奥の方に見える国道18号もルートの変更で現在は廃道になっています。
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例えばアナタが荷物を送るとき、伝票に宛先や中身を書いて📦に貼り付けていますよね?これは鉄道貨物も同じで、輸送の際は貨車1両1両に「車票」と呼ばれる荷札が取り付けられ、どこからどこまで何を運んでいるのか分かるようになっています。写真の例は南延岡(宮崎)から丸子町(長野)までの肥料輸送。
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再開発前夜の秋葉原駅前。かつて青果市場があった場所は1990(平成2)年の移転後に空き地となり、UDXやダイビルの建設が始まるまで、10年ほど手付かずのまま、バスケットゴールのある運動場として使われていました。
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今から50年ほど前、1970(昭和45)年の万世橋交差点。オノデンやシントクなど家電量販店が建ち並ぶ秋葉原の中央通りを、当時はまだ路面電車(都電)が走っていました。
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先日の高崎鉄道管理局に続いて、今回は東京北鉄道管理局管内で、昭和40年代から50年代にかけて存在した専用線をまとめてみたのでぺたり。 赤羽(東北本線)や亀有(常磐線)、池袋(山手線)に引き込み線があったなんて今の景色からでは想像も尽きませんね💦
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かつて横浜・山下公園の中を高架で通り抜け、その先の山下埠頭へと延びていた貨物線。主に輸入麦芽などが内陸のビール工場へと運ばれていました。1986(昭和61)年廃止。
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今から50年ほど前、柿生・百合ヶ丘間を駆け抜ける小田急線。かつては並走する津久井道に沿うようなルートでしたが、多摩線の開業に伴い新たに接続駅として新百合ヶ丘駅を設けるコトになったため、現在のルートへ変更されました。今でも下を旧線が通っていた箇所だけ橋脚のスパンが異なっています。
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DD12形が牽く横浜港行きのボートトレイン。現在遊歩道として整備されているこの場所に、かつては横浜港を発着していた国際航路(氷川丸によるシアトル便など)の乗客や輸出入貨物を運ぶための線路が延びていました。その後、航空機の台頭で旅客輸送は1960年に終了、貨物輸送も1986年に廃止されています。
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今から55年ほど前、昭和40年代の横浜・元町。当時はまだクルマの列を掻き分けるようにして市電(路面電車)が走っていました。奥に見える明治44年開通の本牧トンネルは市電廃止後に改修され、現在も道路として使われています。
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かつて菊名駅に存在した、横浜線と東急東横線を結ぶ連絡線。田園調布駅を発着する貨物輸送の他、田園都市線が長津田駅まで延びる前はここで新車の受け渡しが行われていました。
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今から48年前の1974年、建設中の新百合ヶ丘駅をバックに、百合ヶ丘から柿生へと向かう小田急線の下り電車。旧線は並走する津久井道(県道3号)に沿う形で勢いよく右へカーブしていました。
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東海道新幹線の開業前、横浜港で陸揚げされた試験車両を牽いて桜木町駅方面へと向かうDD13形。後ろに見えるのは三菱重工の横浜造船所。跡地はバブル期に再開発され、いまの「みなとみらい」地区になっています。
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「ゆるキャン△」の最新刊読んでたら、いきなり近所出てきた。
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かつて菊名駅に存在していた、国鉄横浜線と東急東横線を結ぶ、貨物受け渡し用の連絡線跡。廃止後に東横線側のホームがそれまでの対向式2面2線から島式2面4線に拡張され、同時に上下線の間へ折り返し線が設けられたこともあって、いまや連絡線の痕跡はほとんど無くなっています。
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こないだ初めて乗った大阪モノレール、思った以上にくねくねしてた