現代日本ではない世界観設定のアニメキャラが、頼み事をする時に両手の平を合わせて頭を深々と下げる動きをする時、「このキャラの出身地域は仏教文化が根付いてたんだな」と解釈するか「手癖で安易な演技させやがって」と思うかは難しい所。
Gレコ世界、合掌文化は無かったと思うが、お辞儀文化はかなり根付いてた模様。多分スコード教が取り入れたんだと思ふ。
まあ何かバズった結果、割と「○○警察」的なイチャモンとしか認識してくれない人も結構多いんだが、実際この手の描写に対して視聴者としてどういうスタンスを取るか、どんなスタンスで見れるよう演出誘導された作品か、
まあ何が残念って「そんな細かいこと気にしてアニメ見るなよ」みたいに言ってくる水星ファンもいらっしゃるとこで、いやそういう細かい事気にしながら見た結果「ここってそうだったんだ!」な色んな発見があって、それをSNSで共有するのが楽しいアニメだったんじゃないんかっていう。
我々的には「そうなんです! 作中世界の独自文化のジェスチャーを何も説明せずにキャラにやらせて皆理解できずハア?ってなっちゃった凄えアニメが9年前にあったんです!」って返すしかない所。
富野由悠季の「女とは強い生物であることを分かれ」発言、「女が母性とか情念とか暴走させるとマジで男を支配できると思い上がって周囲に不幸を撒き散らす醜悪な存在になる事もよくあるからな?」みたいなのもセットだと分からんといかんからの。
鉄血の2期が不評なの、破滅エンドである事そのものより、破滅への道程がグダグダのグズグズでエンタメ性に欠けてたのが理由じゃない?と思ってる。もっとハイスピードで派手に転げ落ちるようにカタルシスある破滅だったら賛否あれどもっと評価されてたんじゃないかな? twitter.com/ichiro_sakaki/…
ここ最近の俺の好きな富野由悠季、「昔のインタビュー記事なんて持ち出されても、アニメ雑誌の月々の追いかけに反射で答えてただけで何も覚えてない」と、今まさにwebメディアのインタビューに答えてる真っ最中に言い出した奴ですね。