日本は挑戦する勇気がないと言われますが、同じぐらいかそれ以上に止める勇気がないと思います。続いていることがやめられない。始めたことがやめられない。やめることを言い出せない。これらは変えることをめんどくさがることと、そして本質の議論を嫌がることが影響していると思います。
私は広島出身ですので、はだしのゲンは何度も読みました。はだしのゲンを読んで私が学んだことは「空気」が最も恐ろしいということです。一部の悪人ではなく、民衆が一つの空気に染まった時、最も恐ろしいことが起きるという教訓をぜひ残しておいてほしいと思います。
早い段階で日本一になりましたので、離脱していく選手をたくさんみてきました。そのような選手にある特徴は本人より周りが興奮していることです。親と指導者が選手の才能に興奮して舞い上がっている場合、その選手の才能が潰れる可能性が高くなります。なぜなら最も重要な主体性が損なわれるからです
あれほど不倫を叩いたメディアが未成年児童の性被害に沈黙していることがこれから注目される点だと思います。 〈動画公開〉「大きな落ち度があった」ジュリー社長の“ジャニー氏性加害”謝罪で判明したジャニーズ事務所の“異常経営” #文春オンライン bunshun.jp/articles/-/628…
こちらに意見を書きました。沈黙は賛同であると言われ、強く反省しています。 私はいかなる性差別にも反対します。そして、理事会での森会長の処遇の検討を求めます。 原理原則を守り、良い方向に変わっていける国へ tamesue.jp/blog/archives/…
日本語の字幕がついています。とてもフェアな報道だと思います。 twitter.com/bbcnewsjapan/s…
上位3チームのタイムを見ると、あれぐらいリスク取らないと確かにメダルは難しかったのだろうと思います。
私は日本のスポーツ報道に常々不満があって、それは科学やデータを重視する観点が欠けていることです。今大会ではいくつもとても興味深く面白いトピックがありました。フィギュアの四回転半、トリプルコーク1440、スキージャンプ、スピードスケート、ショートトラックなどです。
幸福でいるコツは自分の機嫌をよくすることで、機嫌をよくするコツは気分のパターンを知ることだ。機嫌がいい人は、機嫌が良く生まれてきたわけではなく機嫌が良くなるように努力している。しかし、自分の機嫌をよくすることができると知らない人は、先天性であるかのように不機嫌な自分は諦めている。
ひっくり返してみると、ストレスに強い人間は何かを我慢できるというよりも、辛いときに辛い自分を認め、弱いときに弱い自分を認められることなんだろうと思う。辛いときに自分を責め、弱いときにそんなはずはないと取り繕ろおうとするなら、自分を説得するだけで体力を使い果たしてしまう。
第二次大戦について本をいくつか読むうちに自分が想像していたものと実際はずいぶん違っていたと思うようになりました。以前は、軍部に影響された政府が嫌がる国民や反対するメディアを押し切って戦争に引き摺り込んだというイメージをもっていました。
運動中、マスクはしないでください。 体育や部活で「脱マスク徹底を」 熱中症予防、文科省が10日通知(共同通信) #Yahooニュース news.yahoo.co.jp/articles/43c11…
一部の才能ある子のためではなく、全ての子供たちのためのスポーツとはなんなのか。全ての国民のためのスポーツとはなんなのか。その前提から始めないと、全ては空虚になってしまうと私は思います。
99.9%以上の選手はオリンピックに行けません。アスリートで食っていけるのもそのぐらいの確率です。ほとんどの選手はアスリートという職業にはつけません。だからこそ競技から学んだことにどの程度の普遍性があるかが重要になります。では普遍的な学びとはなんでしょうか。
私は強くLGBTQの方への差別に反対しますが、ジェンダーの話と生物学的性とはきちんと分けるべきだと思います。では、トランスジェンダーの方のスポーツをする機会は失われるのかという指摘は最もです。これは、別のカテゴリーを作るか何らかのハンデを伴うしか今の所良い考えがありません。
まず若年層の全国大会が成人になってからの競技力向上に役に立っているかというとマイナス面の方が多いと考えられます。その理由の一つには早すぎる最適化があります。子供は大人が小さくなったというわけではなく大人と子供では特性に違いがあります。発達にばらつきがあると言ってもいいです。
ということは子供の世代の柔道は大人の柔道のミニサイズではなく勝利のためには違う戦略が求められるということです。早すぎる最適化とはこの子供時代の勝ち方に最適化してしまったが故に、大人になって本来行き着くレベルまでいけなくなってしまうことを指します。つまり器が小さくなるということです
よく出演依頼が会社に来るのですが、わかっているなこの人という時と、この人わかってないなと思う時があるので、その差は何かを書いてみようと思います。これがわかれば思わぬ大物も落とせるかも?しれないということで、特に誰かをキャスティングする必要がある方は、ヒントになればと思います。
アスリートやその他の表現者の方も含め様々な方々が自分の夢に向かって一生懸命頑張っていることは何一つ咎められるようなことでもなく素晴らしいことで、それで勇気をもらう人もたくさんいると思います。ただその舞台を行うかどうかはまた別の話で冷静に判断することになりますが、それは別の話です。
私は政府はしっかりとコロナは永遠に無くならないということを宣言するべきだと思います。いつか何かのきっかけで終わる類のものではなく永遠に存在し続けるものだということが理解できた方が現実を受け入れやすいと思います。
つまり言われた通りやる人間を作ることです。しかし、このような選手は引退した後、苦労します。自分の体ではある程度のことはしてきたわけですが、一体それがなんだったのか本人がわかっていないからです。考える力が育っていません。
我が国には「世間をお騒がせ罪」が存在します。このお騒がせ罪の背景には同調圧力の強さがあり、そこには三つの特徴があると思います。 ・ルールではないマナーの範囲が広い ・マナーを統一しようとする力が強い ・マナーに基準がなく空気で決まる 多様性もイノベーションもこれが阻害しています。
それは少なくとも自分が何をしようとしているかを知り、何が起きたかを理解し、どうすればいいかを考えることができることで成立します。リフレクションです。ただこの能力は育つのに時間がかかります。若年層だけで活躍させようとするならば、この手順を省く方がうまくいきます。
どうして我が国はこんなにやめることを恐れるのか