スシローでの出来事が問題になっています。この行為は擁護するものではないですが、ふと自分の人生で思い出すことがありました。私は昔から「ノリ」というものに敏感でした。どんなに小さい集団でもノリがあります。このノリに乗ることは集団にいつづけるための大事な要素です。
私の経験を付け足します。才能ある選手にとって大事なことは「陸上が嫌になった時はやめられる状況であること」がとても大切です。実際にやめて違う人生を歩む幸せもありますし、陸上をやるにしてもやめる選択肢があることで「やりたいからやっているんだ」ということを感じ続けられます。
具体的には以下の対応がいいと思います。 ・担当者を決める←これが一番大事! ・本人の意向を聞いて、各社担当の方に連絡。シャットアウトではなく良い関係を作ることを目指し、取材は担当者に集約。 ・合宿、入学、初試合、などメディア側が撮りたい試合はきちんと担当者から連絡する。
少し心配です。誰かメディアの窓口をやれないでしょうか。中学生らしい生活を送ることが将来を考えても大事だと思います。 twitter.com/nhk_news/statu…
温情が残酷な未来を招き、冷徹さに感謝する日がくるわけです。
日本人は社会に出たら勉強しないと言われますが、それは一気に変わると思います。なぜなら実力がなければ本当に振るい落とされる世界がくると予想しているからです。そうなれば未来は明るいです。本気になればきっとキャッチアップできると思うからです。
遅刻癖があるチームメイトがいたのですが、先生が大事な試合を本当に置いて行ってしまったことがありました。それで完全に遅刻しなくなりました。「ああ、本当に許されないんだ」と理解したことは人間必死になります。
「がっかりしました」を口にする人には要注意!
学校や行政はクレーマーで業務に支障が出ていることが多いので、対応を全てテレビ電話にして全て録画したら、電凸の様子も少し変わるのではないだろうか。
「何でも好きなものを選んでいいのよ」 「じゃあ僕これが食べたいな」 「それはちょっと体に良くないかもね。ねえこっちの野菜は美味しそうよ」 このような何気ないやり取りで、こどもは結局主体的に動いても相手の意向に従わざるを得ないのだということを学び、沈黙していきます。
人の主体性を奪うには「提案をさせて採用しない。意見を言わせて受け取らない」を繰り返すと効果的です。命令で押さえつけるよりもこの方が無力感を覚えさせます。
最も競技者の心理状態がいいのは、 ・低い期待値 ・決定的な問題がない です。この状態のアスリートは期待を裏切る恐れがないので、大胆に攻められるからです。 岸田内閣支持率28.1% 最低を更新“危険水域”突入 news.tv-asahi.co.jp/news_politics/…
少し自分なりの考察を書きます。長くなるのでご容赦ください。年をとると話が長くなるものです。 グーグル幹部は非常事態を宣言した…ネット検索を根本から変える「ChatGPT」の恐るべき可能性(プレジデントオンライン) #Yahooニュース news.yahoo.co.jp/articles/f18a8…
これに興味を持たれた方は「プルーストとイカ」を読まれると面白いと思います。失読症の世界を垣間見られるのと、文字を読むことがいかに不自然な行為なのかがよくわかります。 正確に文章が読めない人の話。 blog.tinect.jp/?p=80089
理想は豊かでなければ追えません。余裕がなくなり、「止むに止まれず」意思決定がなされたあとは、厳しい現実が待っています。美しさや正しさよりとにかく生き残りに必死になります。思えばあの頃はまだ理想を語れる余裕があった、とその頃に思うのかもしれません。
理想はいつも素晴らしく、そして美しいです。非の打ち所がない。ところが理想はそうであったらいいという願望であり、目の前にあるのは現実です。現実は理想から程遠く、理想になるべく近づけるために妥協と戦略を持たなければなりません。意思決定はいつも現実です。
しかし追い込まれる前に決めることは大変です。誰もそんな決定したくありませんが、しなければもっと状況は悪くなります。データを集め、理想ではなく現実に目を向け、センシティブな領域に踏み込み本質的な議論をし、何をして何を捨てるかを決める、ことが必要です。要するに覚悟が入ります。
もっと早く意思決定していればリソースが温存されたり、選択肢も残っていたものの、ギリギリになっての決定なのでほとんど選択することができません。これがデメリットです。一方メリットは、誰の責任かよくわからなくできることでしょうか。あの状況なら誰でもそうするしかないと皆が思うからです。
日本の意思決定の特徴は「止むに止まれず」という状況でなされる点だと思います。追い込まれて、どうしようもなくなって、本当はそうしたくはないのだけれど、というところで厳しい意思決定をくだします。誰かの意思ではなく、もうしょうがないよねここまできたらという空気が決めます。
世の中のほぼ全ての人は「人はいつか死ぬ」ことを理解しています。どのように人生を終えるかは人生を一つの物語と捉えると大変重要なことです。ところがいかにして生きていくかという方法論は世には溢れていますが、いかにして人生を終えていくかという議論があまりにもなされていないように思います。
「わかる」と「できる」は違います。わかってもできるとは限らないし、できてもわかっているとは限らない。
私の経験でとてもおすすめなのが「直接相手に聞く」というものです。日本では相手の気持ちを慮ったり、直接言えば角が立つと考えたり、自分で意見を言ってリスクを取ることを嫌う傾向にあります。ですので、何か思っても言わないか、周辺に伝えるか、または先生に言いつけるかの三つが選ばれがちです。
問題なのはサラリーマンなんですよ。今まで何十年と給料の3割も天引きされ続けた挙句に「はい!もう社会保障おしまい!解散!これからは自分で何とかしてね」って言われて、はいそうですか、って納得するんですかね? 民主党小川議員の消費税25%発言 jyoshige.livedoor.blog/archives/10209…
他者と比較して苦しい。競争が嫌だ。自分を大きく見せたい。このような感情はやり切ってみるといつの間にかなくなります。「ああ、これが自分なんだ。この自分で生きていくんだ」と腑に落ちます。そこまでいけば比較や競争という言葉に敏感ではなくなります。隠しているから敏感になります。