Goro Matsui Works(@GML2014)さんの人気ツイート(新しい順)

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一緒に曲を作った作曲家で 一番多いのは 玉置浩二で198曲 ほぼ安全地帯 実は自分の書いた曲よりも 印象に残ってる曲がある 83年頃北海道の野外ライブで聴いた 「萌黄色のスナップ」 ブレイク寸前の渋谷のライブハウスで聴いた 「ワインレッドの心」 きっとはじまりはあのとき
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古い資料を整理していたら はじめて安全地帯の歌詞を 書いた時のカセットが出てきた セカンドアルバムの10曲 1曲しか頼まれなかったのに 1週間で全部書いてしまった それくらい玉置浩二の曲は 刺激的だった まだ歌詞のない仮歌 いまも失われてない響きがある 天が与えたくれた声だ
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8月に工藤静香さんの新譜が出る 出逢ってから30年近く ほんとうに多くの作品を 書かせてもらった 今回もまた新たな作品作りに 参加出来たことはほんとうに嬉しい そして更に 松井五郞×玉置浩二の新作を 工藤静香が歌うという 僕の作家としての 夢の実現 生きていてよかった
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6月30日は パク・ヨンハくんが 旅立った日 ラブソングの中には 別れの歌も多い そのためそういった語彙も多く使う 時々歌は残酷だなと思う 現実に起こる事との 折り合いがつかない事がある 自分の書いた言葉は 救いになっているのか 悲しみを煽るだけなら つらいなと思うこともある
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最近はコンペが多い ひとつの曲に 多くの作詞家が 歌詞を書く 採用されない場合 片翼だけの歌が残る 僕が若かった頃とは ずいぶん変わった 競うスタイルだけが残り 育てる環境が失くなりつつある その事は少しさみしい
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田村ゆかりさんの 2年ぶりの新曲の 「Hello Again」 先行配信がはじまった あえて比喩的な表現は 多用しなかった ストレートなLovesong でもLoveには いろんな意味がある 聴いてくれた人 それぞれの これからのLoveを 確かめてもらえることを 願って
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たくさんの作品に 関わらせてもらえるアーティストの場合 作品の流れを考える上で バラードでどんな作品を残せるかが 重要だったりする 田村ゆかりさんの作品作りで 2012年 微笑みのプルマージュは それまでとそれからを繋ぐ 意味のある歌になった
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A.B.C-Z 5 Performer-Zから Whippyの視聴が始まった 聴けるのは後半だけど 前半のグルーヴもGJ!! 彼らに書いた曲は 80年代テイストがあって 懐かしさもある 音楽の循環 A.B.C-Zだから新しくなる abcz.ponycanyon.co.jp/special_4thal/…
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はじめてレコードになった僕の作品は チャゲ&飛鳥の熱風 2ndALのタイトル曲でもある 万里の河がヒットしていた彼らは TV出演も多かった まだメールもない時代 書き上げたばかりの詞を 番組の控室にいた彼らに見せに行った 心には空気を伴う記憶がある あの日の記憶はまさにそれだ
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葛藤は 表現者にとっては 呼吸のようなもの 意識しようとしまいと 止めることはできない 朗読は道程がなく 完成などないかのように思える ただその葛藤から 生まれる美しさもある そして 野島健児君の朗読は 同じ詩を読んでも 二度とない瞬間を捕らえ 美しい風景を見せてくれる
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6月が近くなると パク・ヨンハを思い出す 玉置浩二が好きだった彼と 浩二のライブに一緒に行った 神戸だったな そこで浩二に新曲を頼んだ 子供のような瞳で 嬉しそうに笑っていた Truthとほゝえみをあげよう 時間は戻せないけど 彼の歌はいつまでも聴ける それは救いだと 今は思う
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6月に A.B.C-Zのアルバムが リリースされる 「Whippy」という楽曲で 作曲のmikitoさんとは はじめてのmake up パフォーマンスが 楽しみな曲に仕上がった 化学反応が楽しい 感性はBorderlessだ
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実は安全地帯との出逢いには 小室哲哉君が絡んでいる 1983年TMでデビュー前 彼がプロデュースしたバンドの 歌詞を書かせて頂き それを見た安全地帯の関係者が 僕に声をかけてくれた つまりその仕事がなかったら その後の僕の人生は 大きく変わっていた でも小室君はこの話を知らない
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夕方ふとTVから流れてくる 忍たま乱太郎の勇気100% 光GENJI→Ya-Ya-yah →Hey! Say! JUMP→NYC →Sexy Zone→ジュニア Boys と歌い継がれ 1993年の5月から24年 自分をこれだけ 励ましてくれる曲になるとは 思ってもいなかった
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1997年 西城秀樹さんの歌詞を書いた時 作曲とプロデュースをされたのが YOSHIKIさんだった 彼は海外にいたので 打ち合わせは電話だけだったが あのしなやかな声は 深く記憶に残った 手術をされるらしい 早く良くなって欲しい 彼の才能を 神様が見捨てるはずがない
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1990年頃 TOKIOのデビュー前 ライブ用の作品を 書かせてもらった 当時リリースはされなかったので ずっと手元に音源がなかった それが去年やっと手に入った 幻の3曲 その中の1曲 「あゝ青春わからずや」 まだ声が若い でも あの瞬間 確かに彼らには 未来があった
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2015年 タッキー&翼の 今井翼君から 歌詞について直接打ち合わせしたいと 事務所を通して連絡があった ジャニーズでアーティスト本人と 打ち合わせをすることは それまでなかったので驚いた 黒夢の清春君の曲 完成音源を聴いた時 凄くいいボーカルだと思った やっぱり気持ちって大事だ
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僕の 作詞家としての はじめてのシングルは Chage & ASKA 1987年 光GENJIのデビュー曲 STAR LIGHTは ChageとASKAの作品 1995年 光GENJI最後のシングル Bye-Bye 作詞は僕だった この美しい運命 !? こういうことってあるんだな
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1998年J-FREINDSで マイケル・ジャクソンの曲に 日本語詞を書かせてもらった Children's holidayは 優しい歌だ A.B.C-ZのMoonlight walker このタイトルには 彼らのダンスに触発され マイケルへのオマージュも 少しだけ込められている
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Kinki kidsのデビュー当時 作品が通らなかった経験がある いつか彼らの歌を 書きたいと思っていた 2013年 作曲織田哲郎 編曲亀田誠治 最高の組み合わせで 「まだ涙にならない悲しみが」 が生まれた 16年かかった 続けていれば 願いが叶う日は 明日かもしれない
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永遠の36年 「放浪人」は 「たった一度の人生ならば」 なに思う
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窓越しに 雨音が聞こえると 思い出す歌がある 「雨のパンセ」 田村ゆかりさんには 気がつくと 40曲も 書かせてもらっていた それは 自分の作品群で ひとつの階層になった 日々創作してきた中で 高いモチベーションに なったことは 間違いない
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NHKラジオ深夜便の レギュラーゲストに なって3年目 その前の時間帯が Sexy Zoneの番組だ 2012年に書いた 「Lady ダイヤモンド」 メンバーの年齢も まだ12才~18才だった いつまでも歌える歌もいいけれど その時代に一番似合う歌もいい 眩しい時間の証のように
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ミュージックフェアを観た 「たった一度の人生ならば」 Chageの声が 言葉を放つ 歌うべき事を悩んで 歌うべき時を選んで 思いは形になる Chageの歌として 生まれた歌も 歌はそこから 巣立つ 誰かが 自分の事として 受け入れてくれたら 嬉しい
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筆が跳ねるような 書いていて自分でも 楽しくなる歌がある 2005年に書いた V6の「恋と弾丸」 坂本昌行君と 三宅健君のVocal こういう歌詞 ほんとは歌うの難しい 感情移入というのとは 違うアプローチが必要 でも いい感じ!! uta-net.com/song/56167/