Goro Matsui Works(@GML2014)さんの人気ツイート(いいね順)

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きっとほとんどの アーティストが 30年後なんて わからないまま 歌い続けている そこに到達できるのは やはり限られた人 その中でも道程を辿るだけでなく 常に新しい一歩を踏み出す姿は 美しいと思う そして工藤静香は Rockだなと改めて感じた
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僕の 作詞家としての はじめてのシングルは Chage & ASKA 1987年 光GENJIのデビュー曲 STAR LIGHTは ChageとASKAの作品 1995年 光GENJI最後のシングル Bye-Bye 作詞は僕だった この美しい運命 !? こういうことってあるんだな
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オーディエンスが 10人であっても 1万人であっても 歌はひとりひとりと 向かい合う 見えているものは重要ではあるが それだけで計ると 届かない距離がある 人の心は遠いようで近く 近いようで遠い 加減を誤れば どんなに美しい言葉も ゴミになる 息を吹き込む 言葉に 息を吹き込む
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146勝121敗 記録なら 上はまだいる なのに 記憶は 光を放つ どう勝ったか どう負けたかが 大事だと 星野仙一さんは 教えてくれた
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パク・ヨンハ君の イベントに伺った 亡くなって以降 止まったままの時間を 心のどこかに抱きながら 過ごしている人も 少なくないだろう ただ彼と一緒に 残すことができた歌が いまも絆になっているなら ほんとうにありがたい 彼はやっぱり いつもそばにいるんだ
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氷室京介ソロデビュー30周年 勿論BOØWYの頃は逢ってたが 彼のソロで僕が最初に書いたのは 「ALISON」という曲 ほぼ完成していた 「FLOWERS for ALGERNON」 何曲か共作した 翌年「NEO FASCIO」の制作がはじまり 再会したのは横浜のスタジオだった 窓からは港が一望できた 永遠の記憶 彼の目を覚えてる
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宮本敬文 カメラマンです SMAPや中田英寿の写真集など たくさんの素晴らしい作品を残し 2016年の8月3日 50才の若さで亡くなりました 出逢いは彼がまだ大学生だった頃 そしていくつ年を重ねても 少年の人でした 彼がニューヨークで撮った一枚
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2015年 タッキー&翼の 今井翼君から 歌詞について直接打ち合わせしたいと 事務所を通して連絡があった ジャニーズでアーティスト本人と 打ち合わせをすることは それまでなかったので驚いた 黒夢の清春君の曲 完成音源を聴いた時 凄くいいボーカルだと思った やっぱり気持ちって大事だ
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ミュージックフェアを観た 「たった一度の人生ならば」 Chageの声が 言葉を放つ 歌うべき事を悩んで 歌うべき時を選んで 思いは形になる Chageの歌として 生まれた歌も 歌はそこから 巣立つ 誰かが 自分の事として 受け入れてくれたら 嬉しい
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6月30日は パク・ヨンハくんが 旅立った日 ラブソングの中には 別れの歌も多い そのためそういった語彙も多く使う 時々歌は残酷だなと思う 現実に起こる事との 折り合いがつかない事がある 自分の書いた言葉は 救いになっているのか 悲しみを煽るだけなら つらいなと思うこともある
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水樹奈々さん2010年に 「囚われのBabel」を 書かせて頂いてから もうすぐ10年が過ぎる そして今回New albumで 「Light Births Shadow」を。 去年宮野真守君とのDuet 「結界」以来の作品 どんな仕上がりになったんだろう? 発売は12月11日 もしかしたら 誕生日最初に聞く曲? mizukinana.jp/special/2019_c…
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ソン・シギョンさん ニューアルバム「君がいるよ」 クリスタル・ケイさんとのデュエット曲「愛はなぜ」 とてもいい仕上がりになった そしてシギョンさん作曲の「ただ青空であるように」 歌だけでなく彼の作曲のポテンシャルは高い なによりその声から生まれる旋律は 美しい水の流れのようだ
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はじめてレコードになった僕の作品は チャゲ&飛鳥の熱風 2ndALのタイトル曲でもある 万里の河がヒットしていた彼らは TV出演も多かった まだメールもない時代 書き上げたばかりの詞を 番組の控室にいた彼らに見せに行った 心には空気を伴う記憶がある あの日の記憶はまさにそれだ
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実は安全地帯との出逢いには 小室哲哉君が絡んでいる 1983年TMでデビュー前 彼がプロデュースしたバンドの 歌詞を書かせて頂き それを見た安全地帯の関係者が 僕に声をかけてくれた つまりその仕事がなかったら その後の僕の人生は 大きく変わっていた でも小室君はこの話を知らない
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一緒に曲を作った作曲家で 一番多いのは 玉置浩二で198曲 ほぼ安全地帯 実は自分の書いた曲よりも 印象に残ってる曲がある 83年頃北海道の野外ライブで聴いた 「萌黄色のスナップ」 ブレイク寸前の渋谷のライブハウスで聴いた 「ワインレッドの心」 きっとはじまりはあのとき
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A.B.C-Z 5 Performer-Zから Whippyの視聴が始まった 聴けるのは後半だけど 前半のグルーヴもGJ!! 彼らに書いた曲は 80年代テイストがあって 懐かしさもある 音楽の循環 A.B.C-Zだから新しくなる abcz.ponycanyon.co.jp/special_4thal/…
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2010年ジュンスの「悲しみのゆくえ」 JYJ「いつだって君に」 2011年東方神起「Winter Rose」 ノンフィクションを 書くわけではなくても アーティストにとっての リアリティは意識する 表記上はなにげない言葉でも そこに血が通ったとき 歌は別の物語になる
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窓越しに 雨音が聞こえると 思い出す歌がある 「雨のパンセ」 田村ゆかりさんには 気がつくと 40曲も 書かせてもらっていた それは 自分の作品群で ひとつの階層になった 日々創作してきた中で 高いモチベーションに なったことは 間違いない
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6月が近くなると パク・ヨンハを思い出す 玉置浩二が好きだった彼と 浩二のライブに一緒に行った 神戸だったな そこで浩二に新曲を頼んだ 子供のような瞳で 嬉しそうに笑っていた Truthとほゝえみをあげよう 時間は戻せないけど 彼の歌はいつまでも聴ける それは救いだと 今は思う
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永遠の36年 「放浪人」は 「たった一度の人生ならば」 なに思う
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歌が好き 演技が好き そこがはじめに あったとしても あたりまえだが スターは大衆が作っていく 自分のポテンシャルよりも 運や縁を口にするスターは多い なりたい力の強さも必要だが 求められる力が備わってない人は やはりたどり着けない場所がある
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「結界」歌ってくれるのか 二人が歌うシーンを観るのは初めて 楽しみな夜になりました twitter.com/miyanomamoru_P…
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1990年頃 TOKIOのデビュー前 ライブ用の作品を 書かせてもらった 当時リリースはされなかったので ずっと手元に音源がなかった それが去年やっと手に入った 幻の3曲 その中の1曲 「あゝ青春わからずや」 まだ声が若い でも あの瞬間 確かに彼らには 未来があった
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6月に A.B.C-Zのアルバムが リリースされる 「Whippy」という楽曲で 作曲のmikitoさんとは はじめてのmake up パフォーマンスが 楽しみな曲に仕上がった 化学反応が楽しい 感性はBorderlessだ
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最近はコンペが多い ひとつの曲に 多くの作詞家が 歌詞を書く 採用されない場合 片翼だけの歌が残る 僕が若かった頃とは ずいぶん変わった 競うスタイルだけが残り 育てる環境が失くなりつつある その事は少しさみしい