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今年で25周年を迎える
NHK忍たま乱太郎
第26シーズン
4月2日からのEDテーマ
「やんちゃなヒーロー」
歌:Hay!Say!7
作詞:松井五郎
作曲:馬飼野康二
編曲:佐々木博史
また新しい季節がやって来る!!
www6.nhk.or.jp/anime/topics/d…
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A.B.C-Z
「Moonlight walker」
2015年release
もう5年が経つ
懐かしい曲を聴くと
Jのアーティストは
成長ぶりがよくわかる
デビュー曲や
その時期に歌詞を
書かせてもらってる
アーティストは
ちょっと親のような気持ち!
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「愛なんだ」の
分数4:56で
作った砂時計
青のイメージ
松井五郎「詞-uta-の時間」
2022/5/24 - 6/24
OPEN 11:00 - 17:00
CLOSED 日・月・祝日
ONE STROKE GALLERY
one-stroke.co.jp/gallery
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5人一緒に‼︎ twitter.com/nhk_kouhaku/st…
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大変な時こそ
助け合ったり
譲り合ったり
できるといいな
歌も力になると
言ってくれる人が
いるのなら
そうなれる歌を
届けたい
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サビは100%勇気と歌っているのに
題名はなぜ勇気100%なのかと
よく訊かれる
昨日作曲の馬飼野さんとその話になった
歌中を100%勇気にした理由は
歌いやすさや音の響きを考えてそうしたが
題名が勇気100%になった理由は
実は少し記憶が曖昧で
諸説あって面白かった
さて・・・
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光を放っている時は
人も集まってくるが
光量が衰えれば
人は離れていく
そんな時でも
見ててくれる
まなざしと
差し伸べてくれる
手なら
信じても
いいんじゃないか
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作られたのが
過去であっても
はじめて聴いたなら
それは新曲だ
更にいまの彼の歌は
過去のどれとも違う
常にはじめての歌を
聴かせてくれる
二人で書いた曲は
安全地帯 玉置浩二
他のアーティスト提供曲を
合わせると約200
未来1曲でも誰かが
憶えてていてくれたなら
力を尽くした意味がある
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シングルでもなく
ヒットしたわけでもないのに
アーティストが
大事に歌い続けてくれる
そんな歌を作りたい
そして
いつか自分が
この世界から
いなくなっても
どこかで誰かが
ふと口ずさむ
そんな瞬間を
夢に見る
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1985年に亡くなられた
坂本九さんを追悼して
玉置浩二と作った
「星空におちた涙」
という歌がある
「上を向いて歩こう」は
北極星のように
空に輝き続けている
日本語での全米一位は
歴史上この曲しかない
日本人ミュージシャン
誰も届いたことがない星
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実は
歌う人が歌詞を
書く事が一番
いいと思ってる
作詞家が失業するのは
悪いことでもないかな
だからどこかで
その人の分身のように
書けたらと
能力や技術の問題ではなく
もっと深いところの意味で
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玉置浩二SONGS良かった!!
「She Don’t Care」は
ロンドンのホテルで書いた
同じアルバムの
「Only You」はLA録音で
浩二は覚えてないかもしれないが
歌入れは二人でやった
安全地帯は青春だって
言ってたけど
20代半ばから30代半ば
確かに特別な空を
見せてもらった
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歌は
半分
行間で
できている
そこには
言葉にならない思い
声にならない思いが
潜んでいて
それに気づいた人だけが
見えてくる風景がある
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小さな子供が
例えば
「勇気100%」を
歌っている
僕がこの星から
消えた後も
その子の記憶に
この歌は
残るかもしれない
それを確かめることが
できないとしても
その可能性は
僕には価値がある
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今日は田村ゆかりさんのライブ
ライブで聴きたかった新曲が
何曲も聴けた
ちゃんと王国民に
届いているかな
そうあってくれたら
こんな嬉しいことはない
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チャンネルを変えたら
「Men and Woman」が
聞こえてきた
ASKAと作った歌
Made in ASKAのOn Air
2006年 深夜スタジオで
苦しみながら仕上げた
空気は心のどこかに残る
人生でたとえ
どんなことがあっても
軌道を疑わない力が
歌にあるなら
未来はまた見えてくる
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歌うって
水に
潜るような
もの
泳ぐには
息継ぎが
必要
僕が
うまいなと
思う歌手は
声を
出していない
ところでも
しっかり歌っている
そこにも言葉は
隠れているから
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「勇気100%」と
対のように生まれた
「世界がひとつになるまで」
1994年の曲が
2002年にYa-Ya-yahで
生まれ変わった
小学校の教科書にも
掲載して頂いて
作った時には
思いもよらない未来が
いつも待っている
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20代の頃
辛いことが続き
衝動的に飛行機に乗って
東京を離れた事があった
まだ携帯もない時代
地方の街でひとり
留守番電話を聴いた
「ゴローちゃん曲できたよ!」
それは玉置浩二の声だった
あっ帰らなきゃ…
ひとりでは見つからない
自分もいる
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スターダスト☆レビュー40周年
2日間で108曲演るって凄いな
1979年根本要君達と
杉山清貴君のバンドと
僕らのバンドとが
POPCON関東代表だった
その時賞を獲ったのは
要君のバンドだけ。
2006年には「いのちのこたえ」を
書かせてもらって再会
みんな頑張ってるって
43年前の自分たちに
教えたい