#どうする家康 刀を振り下ろせずに帰りたいって泣きふした時点でもう、本当は決まっちゃってるんだ…つらいよ…
#どうする家康 そこで生き抜くために職場でボロボロになっちゃう夫と、家庭を守るためにボロボロになっちゃう妻と、それぞれ理由があるのに互いの痛みが見えないまま満身創痍になってく夫婦…あんなにキャッキャウフフの仲良しだったのに…
#どうする家康 インテリとして支配する側にもなりきれなくて、かといって暴力や恐怖で支配する側にもなれなくて、この微妙な身の置き場のなさがこの大河の家康かもしれんねえ
#どうする家康 逆ににどうやってこの信長討ち取ったんか酒向芳の光秀に聞きてえわ…立体機動で飛んで延髄切るか、呼吸込めた刀で首ごと一刀両断しないと倒せんのでは…。
#どうする家康 力の畏怖がなければ支配できないということを信長に、知性や人格の尊敬がなければ人を繋ぎ止められないということを今川義元に、それぞれ学んで彼がいつか「権現様」になるのだと思うと相当エモい
#大奥リアタイ 堀田真由ほんと凄い。性別がない。どっちもある、じゃなくて透明で「ない」
#大奥リアタイ 自分のロマンス小説読んで欲しい村瀬可愛いし、律儀に読んで困惑する吉宗様も可愛いな!
#どうする家康 この藤吉郎、親切にしてくれるし沈みがちな場を明るくしてくれるし、取りなして説明してくれるのに、ぜんっぜん「良い人」には見えないの。目が笑ってないムロツヨシ怖い(画面の端でもニヤニヤしてたりゆらゆらしてたり)
#どうする家康 氏真ぼっちゃまもストレスでギリギリなんやね…瀬名を冷徹に斬れず、残酷に扱えず、無能にも無情にもなりきれないのが切ない
#どうする家康 お市様にとって、水練で溺れた経験は、成長に伴う男女の体力の決定的な差の認知と諦念の芽生えであろうと思うのですね。でも竹千代はそれを咎めず馬鹿にせず、寄り添ってくれた。女として生きる諦めに寄り添ってくれた。
#明鏡止水 私この番組大好きなんだけど、武道に対する岡田准一氏の好奇心と慧眼って、ブラタモリにおけるタモさんの地形や文化へのそれよね
#大河ドラマが生まれた日 もうこれはアナザー #いだてん では。カッパも天狗も足袋屋も落語家もいる
#どうする家康 正信は武士の誇りなんかヘとも思ってなさそうなんだけど、その分だけ、武士と忍びの境界線で揺れる半蔵を下に見ないで対話が成立してるの面白いしときめくわー
#どうする家康 んもう、半蔵ったら職人さんと上手く折り合えない高学歴の現場監督みたい…タバコもパチンコもキャバも好きじゃなさそうだもんね…
#どうする家康 命懸けで働いておるものを笑うな!その言葉が最上です殿…たとえ不出来に見える部下の仕事でも、一つもおろそかに考えないことが、いつか誰しも部下が命懸けの仕事をする時に、殿なら分かってくれるという信頼に直結するから。
#どうする家康 家康と服部半蔵、リーダーとして相似形なのね。背負いたくないと思いながら逃げられなくて苦しい。苦しみながら向き合うしかない。
#どうする家康 まさかの母の言葉から漏れた策。裏切らぬはずのひとが裏切るから気をつけよと、序盤の正信の言葉が痛い。瀬名の心がまた凍ってく…
#どうする家康 俺の父は主君の父に、俺の祖父は主君の祖父に仕えて死んだ、それが誇りだ、俺もそうありたいと願う忠勝と、あなたの先代も先先代も部下の裏切りで死にましたよねぇ〜ねぇ〜って言う正信と、そりや合わん絶対合わん。でも生き延びるには両方必要だという。
#舞いあがれ 本当に自立した息子なら、生存だけでも家族に伝えながら雲隠れ、だろうから、ずーっと悠人の心は「僕を見つけて」だったんだろうなぁって。実家の近くまで来て実家に寄らずお好み焼きを食べて帰るところも。
#どうする家康 女大鼠は、親たるものが死のその瞬間に我が子を想うと想定して、その目線を観察し追った。冷徹で有能。
#どうする家康 やっと氏真ぼっちゃんが「父の息子」から、父ならどうするを探り始めることで1人の領主になった。氏真は瀬名を返し、駿府でのそれぞれの幸福な青春が本当に終わった。
#舞いあがれ 貴司くん、秋月史子の登場で、恋愛感情でない相手から恋愛感情向けられるしんどさを体感しちゃったから、自分が舞にとって「そう」なったらどうしようって、ますます怖くなっちゃったな…
#舞いあがれ ほんとドラクエのはぐれメタル同士が出会って連れ添うような恋だよ。2人とも臆病だし敏感だしすぐ逃げるし。本当によくぞここまで周囲お膳立てした。これといった恋の障害ないのにここまで手強い朝ドラカップル、他にないぞ
#舞いあがれ 目に見えない星なんて夜空にどれほどあるかっていう。自分と相手は別の人間であるという前提で、謙虚なのに、一生かけてあなたを分かる努力をやめません、というすごい情熱が伝わってくる…
あさイチ、赤楚さんのトーク。前に江口のりこさんが、彼のことを「体の大きな子役」と評したのが記憶に残ってて不思議だった。彼は言語能力高い、客観性も高い。でも屈折がなくて社会の善をまっすぐに信じて生きていられるこの透明度の高さと強靭さはいい意味で「子供」だと思う。