結局、俺は半月ススキノの路上で客引きし、上京ぎりぎりで20万円貯められた。そのキャバレーが真っ当だったかどうか…正直、よくわからない。客が暴れると、そのヤクザ風の人が数名で店に駆け込んできて、一瞬で騒ぎが納まった。赤いドレスのホステスの腕に、喧嘩の返り血がべっとりついてた時があった
土壇場で助けてくれた人が、その人にとっていい人なのだ。本当に困った時、ヤクザは話を聞いてくれ、同情し、手をさしのべてくれたりするのだ。その後、ヤクザ取材でさんざん嫌な思いをしたので、口が裂けても義侠とは言いたくないが、暴力団がいまだ生き残ってるのは、そんな理由かもと思ったりする。
最後の日、キャバレーでヤクザと思われる兄ぃに報告して礼を言った。兄ぃは俺が着てる分厚い上着を見て、「東京じゃそれは暑いだろ。薄手のジャンパーでも買えよ」と3万円くれた。俺にはルフィーたちがススキノにたどり着き、ネオン街に巣くった様子が想像出来る。殺伐とした毎日ではなかったはずだ。
あれから約40年、まさか56歳になって伏線回収、とは思ってなかったけど。
あ、そうだ。兄ぃは「札幌で最後のラーメン食ってけよ。東京のラーメンはなまらまずいぞ」とも言った。俺と兄ぃは狸小路『富公』のファンで、よくその話をしてたから。上京し、新宿ではじめて桂花ラーメン(熊本の店だが)を食ったのだが、めちゃうまくてビビった…というオチになりますw
もう少しどうにかならなかったのか。
「鈴木さん、本当に○○から嫌われてますね」と告げ口なのか、アドバイスなのかわからんが、言ってくるヤツいるじゃん。フォローしておきましたよ!と付け足して。 俺の人生経験からはじき出される結論は 「こいつは人間関係を掻き回すトラブルメーカーだ。俺を嫌ってるのはこいつだ」 です。
叩かれた人は忘れない。人前でメンツを潰されたら黙っていられない。だから細心の注意を払って言葉を選ぼう。というごく当たり前の気遣いが、なぜTwitterではすっ飛ぶのか。
桜の木の下、地べたに予約の紙が貼ってあった。
たしかにむごかった。憎悪コメントでPV数をアップさせるシステムをわかってて、出版社のアカウントもそれに乗っかって記事を作っている。見出しもヘイトを誘発するようにつける。計算尽く、わかってやってるのだからマナーや道徳うんぬんで解決するはずない。まるごとぶっ壊さなきゃたぶん終わらない。 twitter.com/tsuda/status/1…
出所しました。「世話になりました」「もう戻ってくんじゃねぇぞ」的なやり取りはなかったですw しかし、やっぱ自宅はホッとしますよね。窓から見えるいつもの景色が落ちつ…落ち…落ちつかねぇ!
病み上がり仕事第一弾です。/山口組系組長のラーメン店店主が厨房で銃殺 ラーメン屋が暴力団の「シノギ」として人気になった背景|NEWSポストセブン news-postseven.com/archives/20230… #NEWSポストセブン
昭和か。どんな時代だったかな。殺人も交通事故も多かった。銀行強盗や誘拐、ハイジャックとか爆弾テロとか立てこもりとか、凶悪犯罪もよくあった。大人たちがそのニュースを不謹慎ながらも楽しそうに、わくわくしながら観てたのを覚えている。あと若者が山で滑落してよく死んでいた。
暮らしているエリアを離れ、知らない場所に逃れ、身分を明らかにせず住み込みで働けた。叔母はススキノのホステスで子供がおらず、俺をときどき店に連れて出勤した。店の同僚や客に素性のはっきりしない大人がそこそこいた。
商店街が賑やかだったよね。あちこちにわんさと人がいた。喫茶店がたくさんあった。飲み屋もあちこちにあった。酔っ払いがあちこちにいて、どこでも立ち小便をしていた。
大人はみんな新聞を読んでいたな。食事中も、通勤中も、帰宅してからも。いまのスマホ中毒と何ら変わらない。
パソコンで文字を書いて出力…なんてできないので、街中のいたるところで手書きの文字を目にした。そしてみんな字がうまかった。雑誌記事のタイトルや見出しも、レタリングといって手書きだった。
教師がよく子供を叩き、殴ってたな。授業中、たばこ吸ってる先生もいた。俺の小学校には、敷地内に住んでる先生もいた。なんだったんだw
本に作家の住所が書いてあったな。他人が住民票を取得できた。誰かを探すような取材はずいぶんらくそうだ。あと警察から個人情報がとれた。警察署の中を、生命保険やヤクルトのおばちゃんがうろうろしてた。
映画が二本、三本立てで、入れ替えなしで、いつでも入れた。途中から観た映画は、もう一度上映した際、そこまで観て脳内でつなげて出てきた。上映中は禁煙だったけど吸ってた大人がよくいた。紫煙に光が当たって綺麗だったな。
けっこう普通に、けっこうな人が、中途入社で正社員になってたな。っつーか、そりゃあバイトはいたろうが、派遣なんかなかったもんね。社員が強く、相互の交流が盛んで、労働組合に力があり、ストがしょっちゅうあったな。交通機関も止まってた。
トイレが汚かった。というか、コンビニがないので、出先のトイレに困った。いつもどこにトイレがあるだろうと意識していた。男はたちションでいいけど。あとナビがないので、よく道に迷った。ドライブの際に彼女と喧嘩になるw
いろんな場所で写真のフィルムが売ってた。土産物屋のレジ横の、さんさんと日光を浴びる場所に、フジカラーやサクラカラー、コダックのそれが並んでいた。飯屋で出てきた料理を撮ってるやつはいなかったな。
旅行先では駅に出向いて、待合室の看板みて電話し、旅館に泊まった。夏になると、でかい都市の主要な駅には若者が野宿していた。
電話で天気予報と時刻を確認してたよね。あと混線電話でナンパをしてた。遠距離電話は通話料が高いので、さっさと話が終わるよう要点をまとめてから電話した。公衆電話があちこちにあった。待ち合わせ先の店に電話したりした。手紙やはがきもよく書いた。電報も打った。まぁ、メールがないからな。