河野真太郎/Shintaro Kono(@shintak400)さんの人気ツイート(リツイート順)

そういえばこの記事書いたの忘れてた。近年のアニメは地方を描くけど搾取的で、片渕須直作品は地方の中の「内的差異」を描いている点でひと味違うという話です。 bunshun.jp/articles/-/427…
これ最高(笑)。日本の夏にスーツ着てたら死ぬけど砂漠では快適というのがなんとも。 マンガ『マスターキートン』の知識「砂漠ではスーツがいい」は本当か? マジの砂漠にスーツで行ってみる - #ソレドコ srdk.rakuten.jp/entry/2017/01/…
『オビ゠ワン・ケノービ』に出演のモーゼス・イングラムに対する人種差別をユアン・マクレガーが非難したところ、作品レビューへの攻撃が行われ、Rotten Tomatoのスコアは71%から53%に低下。ほんと、こういうのがどうしようもない。 twitter.com/Independent/st…
「ねじハピ」の事例がものすごく面白い。子供がいかに早くジェンダー化されているかという。 「おもちゃとジェンダー」老舗メーカーが挑む難題 #東洋経済オンライン @Toyokeizai toyokeizai.net/articles/-/607…
学びたい人は年齢、性、経済力、現時点での「能力」(その定義が何であれ)にかかわらず教育を受けられる、というのは基本的人権です。
後者二人の地理的想像力は日本のせいぜい地方と、あとはネット空間(細田の渋天街もネット空間と原理的には同じなので)くらいで、両者ともたぶんそこに限ることによってこそ成功している。『すずめの戸締まり』はそれを煮詰めたけど、このあとどうするんだろうな、というのがまず抱いた感想でした。
トレンドの「男の性欲」って何だろうと思ったら、「男に性欲がなくなると女に優しくなくなるぞ」という話なのね……。女性だろうがなんだろうが、男性がいかにして他者への配慮をできるようになるか、というふうに、問題を組み直せばいいのだと思います。恥ずかしがって全部性欲に還元しなくてもいい。
今夜はバルス祭りですね。色んなところで言っているネタですが、『ラピュタ』のロケ地はウェールズで、最初の鉱山の場面をウェールズの人たちが見たらそれと分かるそうです。宮崎駿さんは1985年にロケに行っていますが、それは84年から1年にわたった炭鉱ストライキの余波の中で、宮崎さんは
SNSに限った話ではないですが、とにかく「すぐに反応しない」をみんなが心がけるだけで、色々円滑になるような気がしています。違和感のあることや心が動いてしまうことには、とりあえずすぐに反応はしない。半日、一日経つだけで、ああ、そういうことだったのか、となることが大半だと思います。
こちら、書かせていただきました。新著『新しい声を聞くぼくたち』の中心概念のひとつであるポピュラー・ミソジニー。従来のミソジニーと何が違うのかを簡単に解説しました。 現代を取り巻く「ポピュラー・ミソジニー」とは何か? その考え方が教えてくれること @gendai_biz gendai.ismedia.jp/articles/-/958…
自民党と統一教会との関係は追及されるべきですが、統一教会に全部コントロールされてるみたいな陰謀論はちょっと違う。むしろネオリベ的な財界の要請と、道徳的な保守主義との連携の一局面として分析されるべきで、ウェンディ・ブラウンの『新自由主義の廃墟で』の日本版が必要だなと思います。
妖怪が日本を徘徊している。無反省という妖怪である。 森氏、女性蔑視発言批判に不満 「本当の話をするので叱られる」 | 2022/6/7 - 共同通信 nordot.app/90689093486610…
うちの最寄りも止まってます。これ、なんでもっと問題にならないんだろう。みんなもっと怒らないと。 発がん性疑い「PFAS」汚染が広範囲に 取水停止の井戸34本、東京・多摩地域 米軍基地関連疑い:東京新聞 TOKYO Web tokyo-np.co.jp/article/223202
余談ですが、レイモンド・ウィリアムズのWelsh Europeanという自己認識と、宮崎駿における中央アジアの延長としての(西)日本のヴィジョンを比較する論文がもうすぐ出るはずです。英語論文ですが……。
「競争」をめぐる人類学ってないんですかね。皆が競争によって社会は良くなるんだという信に染まりきっている。そんな中で、今私たちが知っているような形での競争がそもそも意味をなさない時代や社会があったかもしれないというのは知っておきたいというか。
幾原邦彦監督の「改名」は結局悪ふざけなのでしょうか? だとしたらカミングアウトのレトリックを利用した予告ツイートとあわせて、やっちゃいけないやつですよ。
教育が競争である限りは、公教育にリソースを割きましょうという話にならない。よその家の子供にお金を出せという話ですからね。
行く学部を間違えることの傷を大きくしてしまっているのは、教養課程の廃止じゃないかと思う。私は90年代で、まだ教養課程的なものの残滓が濃かったこと、大学の学部の垣根自体が低かったことに救われました。(法学部に入って、学部はそのままに文学に転向。)
本当に、鯛が頭から腐っているという状況だと思うのです。モリカケサクラですよ。あれが不問に付されるような社会では、みんな自分だってやって大丈夫って思うわけ。
ケン・ローチ監督の『わたしは、ダニエル・ブレイク』と『家族を想うとき』の2作品が、10/14〜27の2週間、リバイバル上映されるそうです! 新たな資本主義経済に翻弄される「ふつうの人びと」(それは私たちかもしれません)の苦しみと支え合いを描くこの2作、未見の方も、リピートの方もぜひ!
ちなみに、米子市〜境港市の弓ヶ浜半島は、古代以来のたたら製鉄の排砂の蓄積で形成されたものなのですが、それを知ったときは本当に衝撃を受けました。「人新世」とはそういうことか、という体感を得たというか。
今回はちょっとだけ気になったことを言えば、取材されているのが「名門」の男子校であることでしょうか。ありていに言って、男性性の問題には階級問題が深く刻みこまれており、次の段階で考えるべきはそこかなと思います。
非常勤だけでなく、常勤も私の知るかぎりベースアップがないんですよね。大学。実質、ずっと給与は下がっている……。
「労働者階級というものがまだ存在するのだと感動した」といった主旨の発言をしています。冒頭場面の鉱夫たちの長屋の中には労働組合のポスターが貼られています。このストライキを背景とした映画としては『リトル・ダンサー』『パレードへようこそ』があります。
このウィリアムズの認識からブレグジットへ、という変遷をを考えると、parochialになっているのは日本だけではないよな、と思うわけです。