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(4)伊賀者の活躍
三河に伊賀者がたくさんいたなんで信じられない、といったご意見を頂戴しています。でも、上記の研究で、伊賀者、甲賀者を始め、忍びたちが各地の戦国大名や国衆に銭で雇われていることはもはや疑いようがありません。なかでも、三河は伊賀者を始めとする忍びたちに関する記録が
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けっこう多いのです。ここでも、『三河物語』を事例に紹介しておきましょう。まず、刈谷城水野藤九郎信近を伊賀衆が暗殺したというお話し。同書によると、今川方が伊賀衆を呼び寄せ、水野領にやすやすと潜入し、何カ所にも渡って待ち伏せの忍びを伏せておき、遂に水野信近を討ったとあります。水野信近
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は、永禄3年桶狭間合戦直後、岡部元信によって討ち取られており、この逸話はこの時のものと考えられます。また、来週放送予定の、三河上之郷城攻めに際して、家康は「西之郡之城(上之郷城)ヲ忍取に取せ給ひて、鵜殿長勿ヲ打取、両人之子供ヲ生取給ふ」(上之郷城を忍びたちに攻め取らせ、鵜殿長照を
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(5)「半蔵様が死んだら、俺たちの妻や子に誰が銭を渡してくれるのか」という大鼠の最期の言葉に込められた史実
私は、この台詞を拝見して驚嘆しました。よくぞ、書き込んでくれましたと私が舌を巻いたのには理由があります。この台詞には、戦国大名に雇用される忍びたちの実態が端的に表現されてい
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るからです。皆さんは、銭で雇われた忍びたちが、銭を持ち逃げしたり、逃亡したりしないのか、信用できるのか、と疑問に思われると思います。それを防止するために、忍びたちの組織はい防止策を講じていました。まずは、忍びの主要メンバーを各グループに配置して、勤務評価や監視を行わせています。
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裏切りや逃亡は、追っ手がかけられ、殺害されます。これは武家も同様ですよね。そして、重要なのが、大名は忍びの妻子を人質として確保しているということです。これは武田信玄が、忍びたちの妻子を甲府に確保しておき、裏切りや逃亡を防いだと『甲陽軍鑑』に記されていることからも窺えます。ですがこ
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れは同時に、大名側は忍びたちの妻子を保護し、安全を保障してもいるのです。そして忍びは任務を全うすれば、足軽大将(忍びの統率者)を通じて、褒賞が支給されるのです。このことを、わずかな台詞で表現した古沢さんの力量と、そして大鼠、服部半蔵の演技に、私は画面前でただただ脱帽していました。
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(6)本多正信の台詞に登場する「師崎」について
本多正信が、服部半蔵に瀬名母子らの奪還を依頼した台詞で「夜陰に紛れて駿河の浜から船にお乗せしてしまえばこちらのもの。水野殿に師崎(もろざき)あたりの港をお借りし、お迎えすればよろしいかと。半蔵殿、任せたぞ!」とありました。お気づきに
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なられましたか?実は、第一稿では、「水野殿に××あたりの港をお借りし」とあって、地名が決められておりませんでした。私は第一稿を拝読したときに、駿河から元康の配下が瀬名たちを奪還したら、すぐにそのまま三河の港に入ればいいのに、なぜあえて水野信元を頼ろうというのか、と考え込みました。
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ですが、古沢さんは瀬名らが奪還したのが、元康の願いを受けた織田信長との共同作戦、というご自身の設定が込めているのではないかと感じました。元康自らが命じつつも、彼の願いを聞いて、同盟国織田信長が人質奪回を差配し、尾張の水野信元に協力させたと氏真に印象づけることで、織田・徳川同盟対
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今川氏真という対立の構図を、いっそう引き立たせる効果を狙っているのだろうと、私は解釈しました。そこで、どの港がいいか、考えました。そして、中世の太平洋水運および三河湾水運の担い手の一つであった知多半島の南端師崎に白羽の矢を立て、制作陣に提案したところ、採用されたものです。
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【お知らせ】「どうする家康」の公式HPにて、本日より「コラム―大河と歴史の裏話」の掲載が始まりました。よろしくお願い申し上げます。#どうする家康
nhk.or.jp/ieyasu/column/…
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「夫妻」は、夫と妻、つまり現在と同じ意味の言語として、『日葡辞書』に「Fusai (フサイ)。ヲット、ツマ」と登場する。それどころか、9世紀の『霊異記』、12世紀の『康頼宝物集』にも「夫妻」は登場しますよ。 twitter.com/yucchi_grace/s…
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あ、念のため、申し添えておきますと、アタクシの #時代考証の呟き は引き続き実施するつもりでありますので、お楽しみに←自分の首を絞めているような気がしないでもない😅😅今回のはちょっと待っててね。
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(1)上之郷城攻撃に忍びが活躍したこと
今回の上之郷城攻めでは、伊賀衆のほかに、甲賀衆らが参加していましたね。前回の解説で、『三河物語』にも、上之郷城は忍びによって攻略されたと記されていることを紹介しました。今回登場した甲賀衆の参加は、『武徳編年集成』を始めとする軍記物に記述があ
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(2)上之郷城に攻め込んだ忍びが火矢を揚げていた場面
上之郷城に忍びが突入するのを、今かいまかと待ち焦がれていた名取山本陣の元康らが、城から揚がる火花を見て、総攻撃を下知するシーンがありました。あれをみて「花火なんかあげるのか?」など、疑問を持たれた方もおられたようです。実は、これ
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は忍びに関する記録に登場し、しかも再現実験まで行われ、事実と考えられているのです。近世初期に成立した『万川集海』には、火薬などを利用した様々な火器が記録されています。このうち、「大国火箭」(たいこくひや)「飛火炬」(とびひたき)が、今回の火器に相当します。この「大国火箭」は、①通
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常の火矢として使用される場合もあり、②味方への合図としても便利で、③風雨にも消えない、という利点があった。三重大学国際忍者研究センターは、科学者も共同研究者に加え、『万川集海』などの忍術書に見える武器の再現実験を行っています。そして、「大国火箭」の再現と飛翔実験を、昼間と夜間に実