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そうやってくさしてる大河関連で、金稼ぎしていることに、忌憚なき意見をしたいものですね。参考にしてくれるんですよね。 twitter.com/info_history1/…
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皆様、スミマセン🙇あまりに忙しすぎて、 #時代考証の呟き が出来ません。いま少しお待ちくださいませ🙇それにしても、私や柴裕之氏、黒田基樹氏の最新の著書すら読まずに、色々言う人がいるんですね。一緒懸命書いてるので、まずは読んで下さいまし
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その通りです。あのですね、戦国期は今よりも気温が低く、寒冷期だったことは、中世史の常識です。そのせいで、永禄期は東国は「永禄の大飢饉」が発生していたんです。 #時代考証の呟き twitter.com/lawtomol/statu…
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管理職人事が発表されたので、そろそろ自分のことにも触れてもいいかなと思い、公表します。私は、3月31日付をもって山梨県教育委員会を退職します。早期退職です。33年勤務してきました。4月からは、心機一転、フリーとして活動していきます。詳細は、31日にまた公表しますね。教員はこりごりですな😫
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今までの大河ドラマを全く見てこなかったのでしょうか?それどころか、あらゆる時代劇、歴史の映画、架空の人物オンパレードですよ? twitter.com/aaaaanew/statu…
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えば、私が愛読していた山本周五郎の小説には、女性名の下に「女」が付いて、「~じょ」って読ませていましたっけ。
(参考文献)吉丸雄哉「望月千代女伝の虚妄」(吉丸雄哉・山田雄司編『忍者の誕生』勉誠出版・2017年)、平山『戦国の忍び』角川新書・2020年
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と付け、「おのこ」と読むのと同じです。例えば「太郎男」と史料に登場すれば、「たろうおのこ」→太郎という男子という意味です。名前の下にある「男」「女」の字を、「息子」「息女」と勘違いすることがありますが、それは系譜類の史料にほぼ限られ、文書や記録では男性や女性を指す言葉です。そうい
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大学の吉丸雄哉氏により提起されています。今回、登場人物名が「千代」→「望月千代」であり、「千代女」ではないことに異論が出てくることが予想されます。恐らく、「千代女」の「女」は、女性名の下に付けられる「女」(じょ)でしょう。なので読みは、「ちよじょ」です。これは、男性名の下に「男」
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巫女を統括し、諸国の情報を集め、武田信玄に報告していた人物としてゲームなどでも著名ですね。ただ、夢を壊すようで心苦しいのですが、望月千代女は架空の人物です。長野県に伝承と史料が伝わっていますが、少なくとも武田氏関係のものは、当時のものではありません。望月千代女架空説は、すでに三重
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(3)望月千代の登場
ドラマが進むなかで、千代がかの「望月千代女」で、武田信玄の指しがねとして三河に送り込まれた歩き巫女ではないか、との予想が飛び交っていましたね。お見事な推理でした。このドラマでは、今後も登場し活躍することでしょう。望月千代女は、信濃国禰津郷(長野県東御市)で歩き
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から和睦の申し入れがあったなど、和睦に至る過程は不明といわざるを得ませんが、私は一揆側だった渡辺守綱の証言である水野信元の仲介に魅力を感じます。
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〈家康が〉御和睦した。水野信元が仲介役〈扱い=仲裁〉となり落着した)とあるのです。この他に、『参州一向宗乱記』などには、水野信元が軍勢を率いて家康に加勢し、一揆勢と戦ったことが明記されています。『三河物語』『松平記』などは、大久保一族が家康を説得して和睦にもっていったとか、一揆側
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ほど登場しないからです。ただ『三河物語』は、水野信元が家康のもとに陣中見舞いとしてやってきて、会見をしたとの記事があります。残念なことに、会見の詳細は記されていません。ところが、一揆側だった渡辺守綱が語り残したとされる『守綱記』に「一揆御和睦、水野下野殿扱ニ而相済申候」(一揆と
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(2)一揆と家康の仲介者水野信元
今回は、家康の伯父水野信元が登場し、一向一揆と和睦せよと勧告に来た場面が描かれました。水野信元が、一揆鎮定や和睦斡旋に一役買っていた可能性は非常に高いです。なのにあまり語られることがないのは、『三河物語』『松平記』に、水野信元がまったくといってよい
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ストーリーとして扱われていました。こうした史実を知っていると、なるほどと思いますね。
(参考文献)藤木久志『雑兵たちの戦場』『飢餓と戦争の戦国を行く』『戦う村の民俗を行く』『土一揆と城の戦国を行く』
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れた夫丸(荷物運びの人夫役)などは、戦場での略奪で懐を暖めるしかなかったのです。その実態は、私の恩師藤木久志先生の著書『雑兵たちの戦場』をお読みください。今回は、幼い本多弥八郎と玉の残酷な別れが、乱取りによるものという表現がなされました。もちろん脚色ですが、物語の展開に重要なサブ
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りません。これは日本全国でみられた現象です。戦国大名の軍隊には、大名から知行を貰い、余裕があった者はごく一部で、ほとんどの兵卒は生活に苦慮していました。『三河物語』には、その苦しい生活ぶりがよく出てきます。特に、足軽として雇われた人々や、村町から動員された在村被官、村町から徴発さ
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課税の対象となりました)。棟別を負担する民衆は、まさに国を支える存在だったのです。当時の史料に、一国平均役や百姓役などを「国にこれある者の役」とあるのは、まさにそれを端的に示す文言といえます。戦国大名の領国(分国)=「国家」とは、武家のみならず、民衆をも含み込む存在だったというこ
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外されていました。また、棟別を負担すべき家は、村町の内部であらかじめ決められていました。それは、村町を構成する本家と呼ばれる階層で、新屋(新家とも、一族や本家に家の創設を認められたもと奉公人など)は負担させられることはありませんでした(但し、戦国時代後半には大名側の要請で彼らも
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名の主要財源は、諸役(公事)です。とりわけ、一国平均役の系譜を引く、棟別や段銭(反銭)が中心です。このうち、棟別は、家に賦課されていました。ただし、村や町にあるすべての家に賦課されていたわけではありません。後家、老人、芸能民等々(ここでは表記できない人々も含む)は、課税の対象から