鳥羽和久 KAZUHISA TOBA(@tobatoppers)さんの人気ツイート(リツイート順)

わかる人にはわかると思うけど、RMとSUGA、この子たちアイドルでもいける!と気づいたその人のそのときの目になってみたかった
「寄り添いすぎ」の結果、思春期の子供に拒否された親はたびたび子供への「寄り添い」を突如やめる。逆切れである。適度に寄り添うことが必要だったのにそれ自体を放り投げてしまう。放り投げた結果、いつも不機嫌で何か言いたげな祟り神(キングボンビー)と化し、子供の人生の袖を引っ張り続ける。
ふだんは己の過剰さを抑圧してるぶん、この話題になればハメを外して過剰さをむき出しにしていいというある種の野蛮さがTwitterでは共有されていて、その代表格がサイゼリヤだ。
高校生たちと選挙について話すと、特にこの傾向が強いことが顕著にわかります。彼らは「間違えたくない」と言うのですが、だから自民党に入れるという短絡的な帰結になりがちです。 twitter.com/levinassien/st…
アイドルなんてそんなもんでしょという見方があってもしかたないと思う。それが資本主義なんだから。でも、自分が正しいと思ってこういう声を上げる人たちは、自分の雑さはいつまでも棚に置いたままだから。
他人のために「何かしてあげたい」と思ったときは、何をしてあげようかと考えるよりも、何をしないほうがよいのかを考えたほうが結果的に正解に近いことが多い。
Yet To Come In CinemaでIDOLの良さを再発見。もともと曲がすごいんだけど凄まじいパフォ。ラプラがカッコいいのはもちろんだけど、テテの良さを再発見した。パフォの良さだけでなく、ステージ上での見せ方(魅せ方)、さらにメンバーどうしのコミュニケーションの発火点にたびたびなっていることなど。
自分に求められているものを察してそれに応えるという生き方は危険なのでやめたほうがいい。子供も大人も。
そんな仕事じゃ将来食っていけんわっていう大人が多いけど、生きようとする力があればなんとか食いつないでいけることのほうがずっとリアリティがある。なぜそっちを言わない?
ツイートに反応してくださるのも嬉しいですけど、こちら読んでください。全部書きました。 huffingtonpost.jp/entry/story_jp… BTSはいかにしてARMYに愛され、ARMYに何を与えたか。「推し活」で自分を愛し、世界とつながる
いまだにバンタンについて、英語曲ばかりいらない、以前の彼らに戻ってと言ってる人たち、バンタンに対する解像度が低すぎて話にならない。あとね、以前の彼らに戻るような表現者なんて話にならないわけですよ。なんか子供の変化を恨む親みたいだけど、そういう浅ましい本音は隠した方がいいです。
他人や推しを、いい人、やさしい人と持ち上げる人は多い。でも言われた側が複雑な気持ちになるのは、多かれ少なかれ誰もが「善くありたい」と切望する一方で自分の裡にある悪の手触りをジリジリと感じ続ける引き裂かれた存在だから。一面的なレッテル貼りは、それがたとえ良いことであっても苦しい。