鳥羽和久 KAZUHISA TOBA(@tobatoppers)さんの人気ツイート(新しい順)

手袋を外して素手が見えるそのときに、身を震わせて盛り上がったユンギペンたちさすがでした。 #D_DAY
今夜、今年度最後の授業で高校生たちと共有した幸田露伴「趣味」の現代語訳を共有します。趣味と欲望のせめぎ合いと往還について、子どもたちと最後の日に話せてよかった。SNS疲れの方にも効く文章ですから、時間があるときにゆったりした気持ちで読んでみてください。(1)
Yet To Come In CinemaでIDOLの良さを再発見。もともと曲がすごいんだけど凄まじいパフォ。ラプラがカッコいいのはもちろんだけど、テテの良さを再発見した。パフォの良さだけでなく、ステージ上での見せ方(魅せ方)、さらにメンバーどうしのコミュニケーションの発火点にたびたびなっていることなど。
『「推し」の文化論』が晶文社より3/10に発売!情報解禁&予約開始となりました。BTSのChapter1を文学的に捉え直す試みです。「推し」という現象に興味がある方もぜひ。 amazon.co.jp/%E3%80%8C%E6%8…
小中高生の学びが観察よりも創作に重きが置かれるようになったのは、観察する科学よりも加工する技術を重視する資本主義産業の流れとパラレルで、クリエイティビティなんてきれいごとでは済まない事態。観察なしの創作なんてすぐに頭打ちになる。
このジジェクの動画の解説にもなってます twitter.com/jo2geor2/statu…
ジンのボウズ姿がどんなにステキでも、なぜボウズにならなくてはならないのかというそもそもの暴力性に対する強烈な違和感はいっときも忘れない。
JUNGKOOKがBTSのメンバーとしてデビューしたのは15歳のとき。一番年下で、当時は他のメンバーに比べると精神的に未熟な状態だったはずです。リーダーのRMにあこがれて+ マンネの解説記事より、タゴールの詩「祈り」を受けて #東洋経済オンライン @Toyokeizai toyokeizai.net/articles/-/623…
さかんに反省したがる人がいるが、その実は「卑屈になってもこの身勝手な欲望を認められたい」という思いの発露であることが多い。
好きなことを仕事にするという言い方は解像度が低い。好きなことには嫌いなことや苦しいことが混じっていて、それも含めて引き受けてやれるかということでしかない。また、好きなことを一度選ばなかったからといって全部捨てたわけではない。本当に好きなことは人生の途中で再浮上してくる。
いまだにバンタンについて、英語曲ばかりいらない、以前の彼らに戻ってと言ってる人たち、バンタンに対する解像度が低すぎて話にならない。あとね、以前の彼らに戻るような表現者なんて話にならないわけですよ。なんか子供の変化を恨む親みたいだけど、そういう浅ましい本音は隠した方がいいです。
自分に求められているものを察してそれに応えるという生き方は危険なのでやめたほうがいい。子供も大人も。
アウトタグつけて元推しのアンチ活動をする人生ってほんとみじめですね。みじめ。
日頃11歳から18歳に変化していく子たちを見ながら、男子たちが子供っぽさを捨てて社会の中で大人になるときにある種の必然性を帯びながら男性性を身に付けていく過程を目のあたりにしまくってるので、資本主義を含む構造の話なしに男性性の話をしてもおちょくりにしかならないのではという疑念がある。
東洋経済OLさんにベストセラー邁進中の詩集『愛しなさい、一度も傷ついたことがないかのように 』(リュ・シファ、 オ・ヨンア訳)からBTSメンバーに合う詩をひとつずつ選んでください!という依頼をいただき、選ばせていただきました。以下、リンクです。
BTSを公共物にしてはいけない。本人たちも危機感を抱いていると思う。
SUGAの問答がすごくよい。 Q.ありのままの自分とは? A.わからない。人は複雑な存在だから、一つをもってその人だとは言えない。 Q.信念はある? A.昔はあった。だが確固たる信念は人を苦しませる。それより今を柔軟に生きること。 Q.感情のコントロール法は? A.感情に意味付けをしないこと。
防弾会食でRMが発端だと責められたけど、そもそもBTSの発端がRMだから。あの日からBTSとARMYの関係性は少し変わったけど、彼らが変わったわけではない。むしろ不器用なほどの変わらなさを見せつけた。
中井久夫『こんなとき私はどうしてきたか』の中に、統合失調症患者の病理的な面に傾注する熱心な医者よりも健康的な面に光を当てる看護師がいるから患者は治る、のような話があって、子供たちと接するときに念頭に置いてきた。あなたにも問題くらいある。でもあなたは別にそのままでどうってことない。
いまの世の中を覆っているのは「既に私も配慮してるんだから、あなたの方もこっちが不快にならないように配慮して」という新しいファシズムで、こういう趨勢で割りを食う人たちをマイノリティと呼びたい。事実は単に人の心が蔑ろにされているだけだが。
ふだんは己の過剰さを抑圧してるぶん、この話題になればハメを外して過剰さをむき出しにしていいというある種の野蛮さがTwitterでは共有されていて、その代表格がサイゼリヤだ。
他人のために「何かしてあげたい」と思ったときは、何をしてあげようかと考えるよりも、何をしないほうがよいのかを考えたほうが結果的に正解に近いことが多い。
RT はなはなさん @oUF6p7JDRaKkPdM がまとめてくださった会食でのSUGAの発言とSeesaw/平行線の話の箇所。#推しの文化論 の中でも大切にしている部分で書籍化に向けてまとめているところなのでシェアさせていただきます。ユンギはバンタンのアンビバレンツなメッセージを背負う享楽(ラカンの言葉)の人。
学校へのいわゆる行き渋りがあって、週1は学校を休んでる子と喋ってるときに流れで「学校を続けるために休んでるんだよねー。すごいやん」と話した。こういう考え方って昔はできなかったので自分も変わってきているのだと思う。毎日行かねばというデフォルトの考えを外すのは案外大変なことなのだ。
RT #推しの文化論 の中でバンタン会食の中のジンについて(少し感情的に)話した内容の書き起こし(大意) です。ジンがチームにただいることの意味って言及されないことが多いと感じていたので。