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377年前の今日、南光坊天海が亡くなったとされています。天台宗の大師様なので入滅ですね。徳川家康の側近・参謀として有名ですがそもそもの出自、仕え始めた時期や理由はよく分かっていません。秀忠、家光にも仕え、天台関東総本山である寛永寺の創立など江戸の都市計画も行なったとされています。
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404年前の今日、徳川家康が亡くなりました。鯛の天ぷらによる食あたりが死因とされてきましたが、今では胃がんであった説が有力になっています。自作の薬でこれを治そうとも試してたり。健康オタクですからね、天才ビビリストとして最も恐れたのは幸村などの人物でなく、自身の病気なんでしょうね。
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384年前の今日、島原の乱が始まりました。天草四郎をリーダーとした切支丹の一揆。島原藩の悪政と切支丹迫害が発端となり、戦後、藩主の松倉勝家も処罰・斬首となります。長い江戸時代中、大名の斬首はこの1回だけ(他は名誉ある切腹)。鍋島勝茂も軍法違反の抜け駆けを行ない謹慎を受けています。
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1081年前の今日、平将門が亡くなりました。首だけ飛ばせるジオング武士。天皇を自称した「新皇」を僭称、朝敵となった将門は藤原秀郷・平貞盛に征伐され討ち死。反乱理由は諸説ありますが、関東領主の不満を代表した反乱とされ、これが武門の始まりとなり、後に神田明神に祀られ江戸の守神とされます。
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420年前の今日、細川ガラシャが亡くなりました。細川忠興の正室で明智光秀三女。夫・忠興の九州の役出陣中の隙にカトリックの教えを請い、洗礼を受けます。帰国した忠興は家中の侍女らが切支丹となったことに激怒し、侍女らの鼻を削ぎ追放。ガラシャは「忠興と別れたい」と宣教師に相談しています。
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185年前の今日、土方歳三が生まれました(新暦で)。ご存知新選組副長。局長の近藤勇を補佐、実質指導者として、単なる浪人の集合体であった新選組を実戦組織として機能させたお方。京では数々の女性から恋文をもらっており、それを故郷に送りつけて自慢してたり。鬼の副長の普通な若者の一面ですね。
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再現度高い!
完全憑依!岡田准一の土方歳三姿『燃えよ剣』新場面写真|シネマトゥデイ cinematoday.jp/news/N0126220
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376年前の今日、細川忠興が亡くなりました。三斎様。利休七哲の一人。超一流の文化人・茶人で知識人。ですがその奇行は数知れず。妻ガラシャを見たというだけで植木職人を切り捨てる、人の茶器をパクって逃げる、息子の忠利に鮎の焼き方がダメだとわざわざ手紙で説教する、など面白すぎる武将です。
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405年前の今日、後藤又兵衛が亡くなりました。大坂夏の陣にて伊達軍との交戦中に銃撃を受け討死。朝鮮の役では営中に出没した虎の眉間に一太刀喰らわせて即死させたという逸話も。この時は主君・黒田長政に「カッコつけすぎ(武勇自慢うぜぇ)」と叱責されています。本当、仲が良すぎて悪いですね。
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421年前の今日、前田利家が亡くなりました。槍の又左。死の直前の病床で家康が見舞いに来た際、布団の下に短刀を忍ばせ殺そうとしたとの逸話も。この男気は間違いなくカッコいい。正室まつも呆れるほどの吝嗇家ですが、財政に強く、当時日本ではまだ目新しかったソロバンを常時携帯し使いこなした方。
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447年前の今日、武田信玄が亡くなりました。戦の天才ですが、謙信や村上義清、国人領主に結構苦しめられています。現在のように神格化された背景には「かの権現様を負かした偉人」として江戸幕府公認のもとに流布された要因も大きいかと。あと、意外にも結構病弱で、芋虫が大の苦手だったそうな。
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406年前の今日、片倉小十郎景綱が亡くなりました。伊達政宗の近習、軍師。姉の喜多が政宗の乳母となったことで、その近侍となりました。苛烈なまでの忠誠の持ち主で、自分に嫡男の重長ができたとき、主君政宗にはまだ子がなかったことから、それを不忠としてまだ腹の中の重長を殺そうともしています。
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409年前の今日、真田昌幸が亡くなりました。表裏比興。武田配下時代を経て、上杉・北条・徳川と大々名間を老獪に渡り歩く孤高の謀将。2度の上田合戦で徳川を返り討ち、家康が最高に恐れた男となりました。関ヶ原挙兵の際、義理の弟である石田三成に「もっと前もって教えろよ」と手紙を送っています。
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469年前の今日、織田信秀が亡くなりました。信長のお父さん。葬儀の際、息子さんに焼香をぶちまけられたお方。政略、軍略、流通経済にも長けた人物で、庶流だった弾正忠織田家躍進の基盤を作りました。尾張平定の為に戦い、今川と戦い、松平と戦い、斎藤と戦い、生き急いだ感のあるお父さんですね。
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162年前の今日、桜田門外の変にて井伊直弼が暗殺されました。通商条約締結など朝廷を無視した政策に孝明天皇が激怒。戊午の密勅が水戸に下され、巡って直弼は安政の大獄で弾圧。これが尊攘派水戸藩士による直弼暗殺へと。薩摩の同時率兵による幕政改革を期待するものでしたが斉彬の死により実現せず。
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437年前の今日、柴田勝家とお市の夫妻が自害しました。鬼柴田、かかれ柴田、瓶割り柴田。賤ヶ岳の戦いで秀吉に敗れ、越前北ノ庄に撤退し自害。どうも勝家というと「人のいいオヤッサン」な印象がありますね。なお、この夫妻の婚姻にあたっては、意外にも羽柴秀吉による仲介があった説が有力だとか。
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314年前の今日、富士山が噴火しました。宝永大噴火。南海トラフ全域に起きた史上最大とされる宝永地震の影響。地震と噴火による被害は甚大で、米は不作、物価は跳ね上がり幕府はさらに財政難。荻原重秀独断での貨幣改鋳もあり物価は高騰を続け、吉宗による倹約を基本とした享保の改革につながります。
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421年前の今日、関ヶ原の戦いが行われました。運動会日和な季節。島津豊久、大谷吉継、島左近らが亡くなった日。島津豊久は島津の退き口にて井伊隊らの追撃を受け討ち死。大谷吉継は小早川や脇坂の寝返りにより壊滅。島左近はどのように戦い討たれたか分かっておらず、生き残り伝説もあるくらいです。
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105年前の今日、斎藤一が亡くなりました。新選組三番隊組長。その寡黙な腕前から御陵衛士へのスパイ活動、隊士粛正等に多く関わり、永倉新八は「斎藤は無敵の剣」と評しています。明治期に結婚した時には旧主・松平容保が仲人をしています。晩年の撃剣師範の頃はもの静かで優しい老人だったとか。
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こういう史跡の楽しみ方もいいですね。
JR飯田橋駅に「史跡眺望テラス」7月開設 江戸城外堀と城門石垣が丸見え(乗りものニュース) - Yahoo!ニュース news.yahoo.co.jp/articles/f8a1e…
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うわ、見よう!
再放送情報「新選組!スペシャル」「新選組!!土方歳三最期の一日」 | 再放送情報 | NHKドラマ nhk.or.jp/dramatopics-bl…
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414年前の今日、榊原康政が亡くなりました。徳川四天王。家康の小姓として仕え軍功随一。小牧長久手の和睦の外交官となり、徳川家臣では初めて官位を叙任されました。のち老中に。加増を「老臣が権を得るのは亡国の兆し」と断った際に家康から感謝の誓文を貰っており、未来の榊原家を救ってもいます。
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421年前の今日、長宗我部元親が亡くなりました。四国の覇者。鳥なき島の蝙蝠。若い頃は姫若子と呼ばれるほど軟弱だったり、禁酒令を出しておいて自分だけこっそり飲んで福留儀重に大説教を食らったり、秀吉の四国攻めでは黒田官兵衛にボコボコにされたりと、妙に人間臭い魅力的なお方ですね。
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375年前の今日、宮本武蔵が亡くなりました。剣豪として有名ですが数々の合戦にも出陣しており、関ヶ原では黒田如水軍として九州出陣、大坂の役では水野勝成の客将として、島原の乱では小笠原長次の後見として出陣。将としての才も認められていましたが、なぜか仕官はさせてもらえなかったんですねぇ。