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374年前の今日、細川忠興が亡くなりました。三斎様。利休七哲の一人。超一流の文化人・茶人で知識人。ですがその奇行は数知れず。妻ガラシャを見たというだけで植木職人を切り捨てる、人の茶器をパクって逃げる、息子の忠利に鮎の焼き方がダメだとわざわざ手紙で説教する、など面白すぎる武将です。
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こういうのいいなぁ。単なる書道展よりも確実に見たくなるもんね。 → 「自由すぎる書道展」10年目の開催へ 「やばい笑える日本史」「UMA」など - 弘前経済新聞
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1080年前の今日、平将門が亡くなりました。首だけ飛ばせるジオング武士。天皇を自称した「新皇」を僭称、朝敵となった将門は藤原秀郷・平貞盛に征伐され討ち死。反乱理由は諸説ありますが、関東領主の不満を代表した反乱とされ、これが武門の始まりとなり、後に神田明神に祀られ江戸の守神とされます。
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469年前の今日、織田信秀が亡くなりました。信長のお父さん。葬儀の際、息子さんに焼香をぶちまけられたお方。政略、軍略、流通経済にも長けた人物で、庶流だった弾正忠織田家躍進の基盤を作りました。尾張平定の為に戦い、今川と戦い、松平と戦い、斎藤と戦い、生き急いだ感のあるお父さんですね。
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523年前の今日、毛利元就が生まれました。中国の覇者であり謀神。中国三大謀将の一人。暗殺、策略、買収、乗っ取りなど悪どいことは全部やってる爺ですが非常に子煩悩(一部の子供のみ)。息子らが嫌がるほどに手紙で超くどい説教をしまくり、「会いにこないの?寂しい」「返事まだ?」などの内容も。
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416年前の今日、黒田如水が亡くなりました。家臣団には優しく人心掌握しますが、息子の長政だけには超絶くどい説教を度々かます可愛いお方。天才は間違いないが妙に抜けていることもあり、坂口安吾は「天才ではあるがただの戦争マニア。野心は二流」と評しました。野心家である説は後世での後付です。
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835年前の今日、壇ノ浦の戦いが行われ平家一門が滅亡しました。つまり平経盛、教盛、知盛、資盛らが亡くなった日。安徳天皇も。当初、水軍に長ける平家が優勢だったものの源氏が巻き返しますが、義経が舟の漕ぎ手を射て巻き返したのは創作で、源氏勝利の要因は潮の流れの変化など諸説あるようです。
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421年前の今日、前田利家が亡くなりました。槍の又左。死の直前の病床で家康が見舞いに来た際、布団の下に短刀を忍ばせ殺そうとしたとの逸話も。この男気は間違いなくカッコいい。正室まつも呆れるほどの吝嗇家ですが、財政に強く、当時日本ではまだ目新しかったソロバンを常時携帯し使いこなした方。
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447年前の今日、武田信玄が亡くなりました。戦の天才ですが、謙信や村上義清、国人領主に結構苦しめられています。現在のように神格化された背景には「かの権現様を負かした偉人」として江戸幕府公認のもとに流布された要因も大きいかと。あと、意外にも結構病弱で、芋虫が大の苦手だったそうな。
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142年前の今日、大久保利通が暗殺されました。維新三傑のひとり。征韓派と対立し西郷らを失脚させ、西南戦争を経たことが暗殺に至る遠因。厳格かつ冷徹な印象が強い利通ですが、私生活では非常に子煩悩で家族との食事を最も楽しみにしているような良き父親だったとか。冷徹を演じてたんでしょうね。
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153年前の今日、高杉晋作が亡くなりました。騎兵隊創設者、長州倒幕派の実質的リーダー。下関戦争の講和では、彦島租借を古事記を持ち出して煙に巻き、倍書金を幕府に全額押し付けるなど、変則な外交手腕の持ち主。辞世の句は「おもしろきこともなき世をおもしろく」。死に際まで色気のある男です。
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464年前の今日、斎藤道三が亡くなりました。家督を子の義龍(高政)へ移譲後、義龍の挙兵を受け長良川の戦いにて戦死。義龍を疎んで廃嫡を画策し対立が深まり、婿である織田信長に対して美濃を譲るという遺言書も書いているほど。この親子が仲が良ければ斎藤家も安泰だったかも。家臣団も優秀だし。
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185年前の今日、土方歳三が生まれました(新暦で)。ご存知新選組副長。局長の近藤勇を補佐、実質指導者として、単なる浪人の集合体であった新選組を実戦組織として機能させたお方。京では数々の女性から恋文をもらっており、それを故郷に送りつけて自慢してたり。鬼の副長の普通な若者の一面ですね。
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404年前の今日、徳川家康が亡くなりました。鯛の天ぷらによる食あたりが死因とされてきましたが、今では胃がんであった説が有力になっています。自作の薬でこれを治そうとも試してたり。健康オタクですからね、天才ビビリストとして最も恐れたのは幸村などの人物でなく、自身の病気なんでしょうね。
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405年前の今日、後藤又兵衛が亡くなりました。大坂夏の陣にて伊達軍との交戦中に銃撃を受け討死。朝鮮の役では営中に出没した虎の眉間に一太刀喰らわせて即死させたという逸話も。この時は主君・黒田長政に「カッコつけすぎ(武勇自慢うぜぇ)」と叱責されています。本当、仲が良すぎて悪いですね。
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「シブサワ・コウ氏が出演し、「信長の野望」シリーズでは武将をどう描いてきたのかといった、制作秘話も紹介される。」
見ます! #信長の野望
game.watch.impress.co.jp/docs/news/1258…
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433年前の今日、大友宗麟が亡くなりました。みなさん大好きSO-RIN様。大友家の全盛と没落をたった一代で味わった名将で迷将。切支丹大名として有名ですが偏屈な敬虔さでして、人妻を略奪、他人の領地に勝手にキリシタン王国を作ろうとしたり、家出癖があったりと、奇行の宝庫なお方ですね。
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460年前の今日、桶狭間の戦いが行なわれました。ということで、今川義元が亡くなった日。この日の14時頃、桶狭間に滞留していた今川軍は、信長軍の奇襲に総崩れになり撤退。徳川家康は今川軍として参戦していましたがこの敗戦を機に独立しています。現在では奇襲ではなかった説が有力ですね。
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375年前の今日、宮本武蔵が亡くなりました。剣豪として有名ですが数々の合戦にも出陣しており、関ヶ原では黒田如水軍として九州出陣、大坂の役では水野勝成の客将として、島原の乱では小笠原長次の後見として出陣。将としての才も認められていましたが、なぜか仕官はさせてもらえなかったんですねぇ。
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437年前の今日、柴田勝家とお市の夫妻が自害しました。鬼柴田、かかれ柴田、瓶割り柴田。賤ヶ岳の戦いで秀吉に敗れ、越前北ノ庄に撤退し自害。どうも勝家というと「人のいいオヤッサン」な印象がありますね。なお、この夫妻の婚姻にあたっては、意外にも羽柴秀吉による仲介があった説が有力だとか。
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831年前の今日、源義経が自害しました。合戦中の独断行動、許可を得ない朝廷との接触等が原因となり頼朝と対立。後白河法皇の討伐院宣をもって朝敵とされ、奥州に逃亡。藤原泰衡に攻められ衣川館で自刃。頼朝へは「腰越状」で謝罪していますが、これ頼朝の立場として読むと無性に腹立つんですよね。
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460年前の今日、今川家の人質となっていた松平元康(徳川家康)が岡崎城に帰還しました。人質時代でも今川から厚遇されていましたが、屋敷が隣だった孕石元泰からは侮辱や嫌がらせ等の相当なイジメを受けていたそうな。実際、後年の高天神城陥落の際に孕石を捕らえた家康は速攻で切腹させています。
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455年前の今日、足利義輝が亡くなりました。室町幕府第13代将軍な剣聖将軍。松永久秀と三好三人衆襲撃時の二条御所での奮戦は有名。名刀コレクションの数々を畳に突き立て、敵を斬りまくり、血油で斬れなくなれば次の刀に替えてまた斬る、という。最後は畳で押さえつけられ殺されてしまいました。
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414年前の今日、榊原康政が亡くなりました。徳川四天王。家康の小姓として仕え軍功随一。小牧長久手の和睦の外交官となり、徳川家臣では初めて官位を叙任されました。のち老中に。加増を「老臣が権を得るのは亡国の兆し」と断った際に家康から感謝の誓文を貰っており、未来の榊原家を救ってもいます。
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151年前の今日、土方歳三が戦死しました。箱館戦争にて、新選組隊士も残る弁天台場救出に向かう際、一本木関門にて敵の銃弾を受け死亡したとされます。遺体埋葬先は不明。この時期は「人ノ帰スル事赤子ノ母ヲ慕フカ如シ」と中島登が伝えており、これまたモテそうな話ですよね。