小菅 信子 Nobuko M KOSUGE(@nobuko_kosuge)さんの人気ツイート(いいね順)

ウクライナ戦争でキエフを「キーウ」に変える、恵比寿駅のロシア語表記はやはりそのまま残す、こういうことは簡単ではあるけれど深い含意を持つ。そう考えればわかるだろうが、原発事故で福島表記が「フクシマ」という他者表象になってしまったことに日本人は鈍感過ぎた。
へえ、TBS も重信房子氏を。ほんとこういう言い方したくないんだけど、国 際 社 会 に 恥 ず か し い。
歴史修正主義という語にかんする一件は、「訴訟上の屁理屈を越えて学問上の不誠実さを示しています」の一言に尽きると思う。
追加。これも再三いうけど、言論統制って政府がいきなりやりだすものじゃない。まず民間団体が圧力かけるんだよね、一定の政治力のある民間団体がね。
私、こういう言い方はしないように心がけているんですが、言っておこう。 だから言ったでしょう? 何度も言ったでしょう。学者だの知識人だのが言うことに心酔してついて行くのは、本当に危険なの。いざとなったら先導者はするりと逃げる、でも全力でついて行った人たちはそのまま崖から落ちるのよ。
10年以上繰り返してますけど、災害や事故の「デマは人を殺す」から、とくに画像や動画は警戒です。AI登場以前もそうで、東京電力の福島第一原発事故の時にもデマ画像・デマ動画などの扇情的な情報が、ツイッターで大拡散されましたよね。
「理系にだって人文に造詣の深い学者がいる。」 だ か ら その逆がまずいないから問題だっつーの。
私の経験から言っても、日本の文系学者には「学者生命を終わらせてやる」「学会から追放してやる」「職場からも追放してやる」「さあ、電話やメールを」と言い出す人たちいます。出版社に「小菅に書かせるな」とねじ込んだり、ネットに書き込んだり。とくに、
大坂なおみさんの勝利と戦いには感銘をうけたし、すごいと思う。 同時に(at the same time ね、but じゃないです)、アスリートやサポーターがいっせいに政治的主張を競技場に持ち込んだら、最悪、殺し合いが起きると思う。
NHKはこういうタブーについてのドキュメンタリーも制作したらいいのに⇒「中核派に危害を加えられる恐れがあるとして、殺人事件であるにもかかわらず、裁判員裁判の対象から除外された異例の審理」渋谷暴動 叫ぶ傍聴人「今度やったら退廷」 裁判員除外、異例の公判 a.msn.com/01/ja-jp/AA13l…
結局、反安保のシールズ集会で発信された、敵と「飲んで話して平和を守る」云々って提案を実践したのは、「同じ未来を見ている」って言って相手と20回以上食事した首相(当時)だったのかもね。
「自由な議論は民主主義の根幹です」。当然のことだと思っていたんですが、当然ではなかったのよね。まあ、でも、そこそこにしておきます。何を言おうが「差別だ」「原発御用学者だ」「学生運動を愚弄する」だの、罵倒に暴言を集団で延々と年単位でクソリプするわけで。さらに学者活動家に加えて、
個人的に私の12年余にわたるツイ廃生活で、最も失望したのは尊敬していた歴史研究者や地域研究者が「オープンレター」に名前を連ねていたこと。あれだけ聡明で優秀な学者たちが、ああいう結末を予想していなかったなんていわせない。集団でああいうことをしたらどうなるかわかっていて当然なのに。
「戦争の悲惨さを忘れない」というのであれば、私は「学生運動社会運動の残酷さも忘れない」。
「表現の自由」は大切に大切にしてた方がいいと思います。表現規制に傾くと、とどのつまりは「目をつけられた」人から見せしめにされます。例えば、私はそれほど過激な主張をした覚えはないのですが、でもどの方向からにせよ「目をつけられた」ら終わりです。そういうものなんです。
原発事故の発生後、お子さんたちの鼻血が止まらないというお母さんのインタビュー記事。その後、その子たちはどうなったんでしょう? 心配ですよね。
SNSがますます発達してきて、扇動家とはどういう者(たち)か扇動とはどのようなものか見えてきたと思うんです。先頭を切って過激な言動で人びとを煽る、いざとなったら他を責めて自分(たち)は旋回して逃亡する。ついていったらダメなんです。
日本の一部で共有されているのは、「キャンセルカルチャー」というより、吊るしあげなんだよなあ。
そうなんですよ。集団で暴言・クソリプ・ツイを切り貼りされ大量の非公式RT、記者を騙る人物からの取材、新聞記者が過激「反原発」をSNSで露骨に支持、年単位の脅し・嫌がらせ、勤務先に私の「懲戒」を要求する書き込み等。 3.11以降の苦難にはキリがありません。 twitter.com/29silicon/stat…
あのさ、なんか勘違いしているみたいだから言うけどさ、新聞記者がプロフに「RT やいいねは社を代表するものではありません」という但し書きをしても、それで悪口RTしたりいいねしたりして批判非難から免れられるわけないんだよね。あくまでもそれは「社論ではありません」って但し書きで、
異論はあるでしょうけど、テロリストの言い分を大手新聞が大きく扱ったり、元首相の銃撃に屁理屈こねて容疑者に共感してみたり、反論すれば執拗に中傷罵倒恫喝、あるいはいんてり風吹かせて正当化してみせる。かなり危うい状況だよ。
院生・非常勤時代にうけたハラスメントが TL に多数流れてきて、読むのも辛い。学界はハラスメントが常態化している。私もそうだった、非常勤時代にずいぶんハラスメントうけた。あれは、「元締め」がいるんですよ、「元締め」が。だから子分は勇気づけられていくらでもいじめてくる。
わたし「あなたの論文はここ、ここ、こことここ、ここ……が事実誤認です。」 あなたの人「被害者を非難するんですか!!! オーラルヒストリーは歴史ではない、学問ではないというんですね!!! 誹謗中傷は止めてください!!!」 私「(あ、もうこれ放っておくしかないな。)」
もう10年ぐらい前の話ですが、英国で戦死者追悼の日のその瞬間に国民は2分間の黙とうを捧げよう、どこにいてもという呼びかけがあったんです。論争になりました。あえて鳴り物入りで反対した人たちはいなかったようでしたが、通りで黙とうする人たちとしない人たちの対照的な映像をBBC等が報道。
いくら「謝罪」しようが「訂正」しようが「削除」しようが、いーっつも同じようなことを繰り返してきた人を「謝罪したからヨシ」と評価はできませんね。この場合、問題は「謝罪した」か否かにはもうないと思いますが?