小菅 信子 Nobuko M KOSUGE(@nobuko_kosuge)さんの人気ツイート(古い順)

大坂なおみさんの勝利と戦いには感銘をうけたし、すごいと思う。 同時に(at the same time ね、but じゃないです)、アスリートやサポーターがいっせいに政治的主張を競技場に持ち込んだら、最悪、殺し合いが起きると思う。
「学者の国会」であるわけないじゃん。いつ日本学術会議の会員を選挙で決めた? twitter.com/Asahi_Shakai/s…
マスコミが嫌われて、今度は学者が嫌われる番になりました。
日本学術会議を「学者の国会」って呼ぶのは止めてくれないかなあ。私は投票なんてしてないし、同開院を学者の代表だなんて思ったことはぜんぜんないんだよね。 「かつては "学者の国会" とも言われた」で、よくね。
学術会議を掘れば掘るほど、学界の闇がどれだけ深いかわかってしまうと思う。
「理系にだって人文に造詣の深い学者がいる。」 だ か ら その逆がまずいないから問題だっつーの。
戦争の恐ろしさは骨身にしみているようだけど、学生運動の怖さとなると実感できない人が多いみたい。
桃を食べてるだけで「人〇し」と罵られ、たまねぎが分球したのは放射能汚染のせいじゃないのかと煽られ、巨大キュウリができただの、巨大タンポポが咲いただの、八木沢峠でセミが鳴かないだの、放射能の味がするだの、 いまからでも遅くないからファクトチェックしてみたらどうなんですかね。
「放射能で汚染されたリンゴ」と嫌がられて、実ったまま収穫期を迎えてしまったので、格安で売りますと宣伝したら「無料ならほしい」と言ってきたひとたちがたくさんいたこと。忘れてないからね。
「戦争の悲惨さを忘れない」というのであれば、私は「学生運動社会運動の残酷さも忘れない」。
朝日新聞社は、先人が築いてきたなけなしの信用を食いつぶしちゃったんだね。6年経たないうちに185万部減らして、1年そこそこで300億円の赤字って、そういうことよ。
私が子どもの頃だと、「ウルトラ警備隊の給料っていくらなの?」と考える子っていなかった。 それが、鬼滅だと大違いで、お館様がどうして大きな家に住めるのか、無惨様はどうやって食ってきたのか、鬼滅隊の給料と出世の仕方、それから誰が戦場を片付けているのかまで描きこんである。
そうそう。リアルでも SNS でも「正義を叫ぶ人のパワハラ・セクハラの確率が高すぎる」。私の人生経験ですけど。人権人権と連呼する人の方が、やばいんです。
「温泉むすめ、なんとR18絵師が名義も変えずに堂々と参加」したから何か?  ここまで来ると、反芸術だね。
「ヘイト」って言葉が乱用されたように、「性的搾取」も軽々しく用いられているなあ。まさに消費されてるって感じ。
追加。これも再三いうけど、言論統制って政府がいきなりやりだすものじゃない。まず民間団体が圧力かけるんだよね、一定の政治力のある民間団体がね。
わからないことを「わからない」と言う専門家は誠実。問題は、ジャーナリストや新聞記者は、職種柄、「わからない」とは書けないし言えない。だから断言してくれる「専門家」を登用しちゃうんだ。TVでも同じ。で、これがしばしば大問題をひきおこす。
私、こういう言い方はしないように心がけているんですが、言っておこう。 だから言ったでしょう? 何度も言ったでしょう。学者だの知識人だのが言うことに心酔してついて行くのは、本当に危険なの。いざとなったら先導者はするりと逃げる、でも全力でついて行った人たちはそのまま崖から落ちるのよ。
大学の先生って「世間知らず」なのに、一番ものを良く知っているのは自分で、自分は尊敬されて当然だって思ってる人、多いです。気難しくて、目立ちがり屋で、「これじゃ社会でやってけないわねぇ」って感じのタイプはたしかに多いです。
ドラマ版「新聞記者」の文春報道、つらいなあ。制作側はいくらでも反論できるけど、「死人に口なし」だし御遺族は言論人でも作家でもない。 つらい話だね。
「まさかの『ウクライナ分割』を提案する司会者」 それって…… <
みんな、もうSNSでいがみ合うのはやめよう。 平和に好きな手紙の話でもしようよ。 オープンレターと内容証明郵便とどっちが好き?
「鬼滅の刃」が世界的なインパクトを与ええた理由って、とどのつまり、鬼退治の話なのにシンプルな勧善懲悪劇ではなくて、宗教的(一神教的)価値観/イデオロギー優位でもなくて、「完璧な」登場人物がいなくて、「表現の自由」を堪能できる作品で、アニメの作画力が高かったにつきるような気がする。
結局、反安保のシールズ集会で発信された、敵と「飲んで話して平和を守る」云々って提案を実践したのは、「同じ未来を見ている」って言って相手と20回以上食事した首相(当時)だったのかもね。
ウクライナ戦争でキエフを「キーウ」に変える、恵比寿駅のロシア語表記はやはりそのまま残す、こういうことは簡単ではあるけれど深い含意を持つ。そう考えればわかるだろうが、原発事故で福島表記が「フクシマ」という他者表象になってしまったことに日本人は鈍感過ぎた。