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加えて言えば、作品分析も「SNS的な切り取り批評」になっていることもあって(まさにTwitter的な文脈無視の批評)これは非常に心配。女性の胸や足を映したら悪。映画でいえばショットの編集など複数の要素で意味づけられるはずが、切り取り批評においては作家の批評性が徹底して見落とされてしまう。
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小津安二郎『東京物語』で東山千栄子が原節子の家に泊まった翌朝のシーン。わずか15秒の間に手前と奥で二人の人物が①画面を横切る②振り向く③物を拾うという身振りを一致させる。小津的ローポジション&フィックスの静謐な画面が活力を帯びる瞬間。この後に起こる名場面の絆を予見する見事な演出。
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CZUR Aura Proというオーバーヘッド型ブックスキャナーが凄すぎる。見開き2ページがわずか2秒でスキャンでき、すぐにPDFにしたりOCR(対応言語180以上)かけてWordに変換したりできる。自動補正機能もあり、指サックとフットペダルで綺麗に保存可能。これはアカデミアの革命といっても過言ではない。
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作家は自身の作品についてあまり多くを語らないほうがいいし、何を描いたかを細かく解説しないほうがよい。作者にも制御できない細部の連関や無意識に表出した豊潤なテクストが「作者の意図」によって縮減してしまう。多様な読解可能性を奪うことは創作物にとっても決してよいことではないだろう。
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岸政彦さんのこのご指摘とても重要。いま多くの大学で人を対象とした調査は研究倫理審査が必要になっていて、このやり取りが非常にストレスフル。この前、質的調査で聞き取りをする予定だった学生の書類が「対象人数が5人でどうやってコミュニティが論じられるのですか?」と突き返されたことがある。
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藤井風は本当に世界で通用するアーティストだ。宇多田ヒカル以降ようやく本格的な歌手が現れた。海外で活躍するバンドやグループはいるが藤井風は別格。岡山のローカリズムとブラックミュージックを身体化したグローバルな歌唱とグルーヴの融解、宗教的な詞の世界観が国境を超えて癒しを与えるだろう。 twitter.com/Kyohhei99/stat…
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近年の大学では新入生に「問いを立てろ」と言うことが多い。でもそんなこといきなりできるわけがないので無視してよい。大事なのは厖大な読書を通して知を身につけ、これまでにない経験を求めること。そして社会に違和感や不満を持つこと。それでやっと問題が発見できる。問いを立てるのはそれからだ。
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それから最近の大学ではアクティブラーニングと称して無理に他者と対話させ、自分の意見を言わせる授業が増えた。何度もやればそれなりに慣れてくる。でもそんな風潮に慣れなくていい。自分の意見を持ったり問いを立てたりするのには厖大な時間をかけた学びが必要である。焦らずにじっくりと学ぶこと。
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明日から授業開始。学びを始めるにあたってとりわけ新入生は「役に立つ/役に立たない」という価値観から解放されてほしい。他人から「それ何の役に立つの?」と言われることもあるかもしれない。だが、学び、経験したことがいつどのように役立つかは誰にもはかれない(自分さえも予測できない)。
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大学では「批判的思考力」を養えと言われるが、これは揚げ足を取って優越的立場を得たり、他人を論破したりする力を培い競争を優位に進める戦略ではない。自分が前提としている思考を疑って、身につけてきた価値観を取っ払い、当然と思われている社会通念を問い直すこと、いわば視座を複数化する力だ。
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今日、東工大大学院の表象文化論の授業で投票機能を使い「ヒッチコックという名前を聞いたことがある?」と質問したら39%が「ある」、「ヒッチコック映画を観たことがある?」と質問したら5%が「ある」だった。映像に興味がある学生でサンプルは159名。これを「ヒッチコック5%問題」と名付けておく。 twitter.com/Kyohhei99/stat…
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学び直すのは学部からというのは心から同意。人生100年時代に18歳で大学に行って22歳に卒業するなんて多くの人にとってすごくもったいないしリスキー。高校を出て自由に働いたり旅したり色々な経験をして学びたいことが定まってから25〜30歳くらいで大学に進学する社会が普通になればいいのに。
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ちなみに僕は高校を卒業して30種位のアルバイトをしながらフラフラ国内・海外を旅したり音楽活動をやったり好きな本を読んだり映画を制作したり観たりして暮らし、20代半ばで研究職を目指して大学に進学して本当によかったと思っている。人生には若い頃に何でも自由にやってみる期間が必要だと思う。
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昔は本も「3回読書」という読み方を実践していた。1回目は重要そうなところに手当たり次第、付箋を貼りながら読む。2回目はその付箋で必要ないところを剥がしながら読む。3回目は残った付箋を中心にノートにまとめながら読む。そうするとかなりのことが整理されて頭に入ってくる。
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蓮實重彦「サイレント映画を一本も見ていないような人が、映画監督になってはいけない。ところが、いまでは、映画の歴史も知らぬまま、ただただ映画を撮りたいというだけの男女が世界にあふれています。でも、画面を見ていれば、すぐにわかります、この人は無声映画を見たことがあるかどうか」に賛同!
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蓮實重彦は「救い」となる映画はあるかもしれないが「救い」を求めて映画を見に行ってはならないと断ずる——「映画を見る際に重要なのは、自分が異質なものにさらされたと感じることです。自分の想像力や理解を超えたものに出会った時に、何だろうという居心地の悪さや葛藤を覚える」
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昨日の書評の件で、これは書評じゃなく個人の感想、本当に推す気があるのか、といったツイートを見たが、そもそも書評は「推す」ものじゃない。必ずしも褒めなければならないものではなく、ちゃんとした作法のもと批判して一向に構わない。昨今の推しブームで書評は「推す」ものと勘違いされては困る。
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昔はつまらない講義がたくさんあった。適当に聞き流して本を読んだりできたし、いい意味で「自由」と「ゆとり」があった。昨今の授業は課題や対話をどんどんやらせて学生もそんな余裕はない。オンライン化でさらに加速化し、沈黙は授業から葬り去られた。効率よく情報を詰め込む予備校のようになった。
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大学へ「退屈さ」や「ゆとり」を取り戻すこと。などと言ったら反発を買うのだがLMSで隅々まで管理が行き届き、学生も息苦しいだろうと思う。RTのように「大学ってもっと自由だと思った」「高校と何が違うの」って感想は心が痛む。もっと管理から解放された「余白」が必要なのは間違いないだろう。
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博士院生(博士を目指す修士含む)にはとにかく研究と論文執筆の時間を確保し、学会誌に投稿して査読論文を書くことを最優先するよう指導している。人付き合いも大事だが学会や研究会で発表しすぎない、目先の商業媒体に書きすぎない、先生の論集本の仕事は受けすぎない(これは賛否両論あると思う)。
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映画系の授業(表象文化論)で東工大生162名(9名無回答)に「日本映画の巨匠」(黒澤明、小津安二郎、溝口健二、成瀬巳喜男、木下惠介)で名前を聞いたことがある人というアンケートを実施(複数回答あり)。
1. 黒澤(94.1%)
2. 溝口(16.3%)
3. 小津(15.7%)
4. 成瀬(4.6%)
4. 木下(4.6%)
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最近の学生は本を読まないというが(明らかにそうなのだろうが)読むものが偏重しているというのが実感。このテーマなら必読という本は悉く無視。特にコロナ禍で助長されたが「ネットで検索して読めるものしか読まない」という由々しき事態。だから参考文献がネット記事と紀要論文だらけになる。
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この傾向はもっと加速すること間違いない。どうすればいいか頭を抱えている。J-Stageなどオープンソースになった学会誌の査読論文に(紀要などとの違いを伝えつつ)促すことはできるが、電子書籍を簡単に購入できない/しない学生を、足を運んで本を手に取り読むというところまで持っていくのが難関。
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「伏線回収」がやたら使われるようになった。「伏線回収の物語論」という研究はありうる。無論昔からあるが明らかに近年「伏線回収の快楽」が重宝されすぎで(多分デジタル化と無関係ではないが)ジャンルを超えて鏤められた謎が解けたり、バラバラのものが一致したりする「だけ」で喜ぶ観客性がある。