学び直すのは学部からというのは心から同意。人生100年時代に18歳で大学に行って22歳に卒業するなんて多くの人にとってすごくもったいないしリスキー。高校を出て自由に働いたり旅したり色々な経験をして学びたいことが定まってから25〜30歳くらいで大学に進学する社会が普通になればいいのに。
今日、何度繰り返しこの動画を見ただろう。後景・中景・前景とすべてにおいてドラマがあり、細部が圧倒的な情報量を放っている。構図も素晴らしい。日常的な光景の中で、最後の審判のような終末を感じさせ、救済が訪れる。完全に映画を超えている。 twitter.com/TheFigen/statu…
はい、今年もレポートで散見事案。 ・本文中いきなり「箇条書き」開始 ・段落頭一字下げしない ・段落と段落の間に一行あけ改行 ・wikiを論拠にするのやめてくれ ・結論で「まとめると〜」(雑だ) ・教員に提出するレポートの冒頭「皆さんは〇〇をご存知だろうか?」で始まる←年々増えていってます
大学で人文学を学んでも「役に立たない」と言われることがある。だが、大学で学んだ哲学や文学、美術史や映画が生きるのに計り知れないほど「役立っている」ことを日々実感する。むろん研究生活のことではなく「生」それ自体においてである。感受性を鍛え上げることこそ豊かな「生」の獲得に繋がる。
話題の学習院大学学生の自分への謝辞──「私は素晴らしい学績を納めたので「おかしい」ことを口にする権利があった」 ネオリベの中で育てあげてしまった「強者」の論理。努力しない/能力のない「弱者」の口を封じること。このような選民的思考を育てないように、教育は授けられなければならない。
3校にいたる過酷な校正・校閲の目をかいくぐってきた君の生命力の高さを褒め称えたい。よく生き抜いた。
2000字程度のレポートに1万1千字以上書いてくる1年生。ネット記事だけでなく何冊も本を読んで脚注20個以上もつけて提出してくる学生。こういう学生は将来必ず伸びる。たった1単位の授業に異様というくらいエネルギーを注ぎこむ。東工大にはこんな学生がいる。めちゃくちゃ嬉くて誇らしい。
僕は昔からアーティスト自身よりもその人が生み出す作品に魅了されるので記事は流せるが、ただ藤井風が心置きなく音楽を作れる環境を守ってほしい。日本が居づらいなら海外に行ってもいい。あんな規格外のアーティストはもうしばらく現れないと思うので彼が幸福に音楽を奏でられる場所を守ってほしい。
それから最近の大学ではアクティブラーニングと称して無理に他者と対話させ、自分の意見を言わせる授業が増えた。何度もやればそれなりに慣れてくる。でもそんな風潮に慣れなくていい。自分の意見を持ったり問いを立てたりするのには厖大な時間をかけた学びが必要である。焦らずにじっくりと学ぶこと。
【情報解禁】NHK Eテレ「思考ガチャ!」に出演します。3月15日(水)夜10時放送。MCはSnowManの阿部亮平さん&お笑い芸人のエルフ荒川さん、ゲスト研究者として宇宙物理学の小林晋平先生、資源循環工学の所千晴先生、映像学の北村匡平でいま話題の「早回し」について喋ります!nhk.jp/p/ts/QJ4W13PP7…
「戦争を知らない子供たち」として『はだしのゲン』を読み、『火垂るの墓』を観て育ったわれわれ世代と、『永遠の0』や『この世界の片隅に』を観て育つ現代っ子では「戦争」の印象がかなり異なるだろうな。子供に『野火』をいつ見せようか迷うところ。
近年の大学では新入生に「問いを立てろ」と言うことが多い。でもそんなこといきなりできるわけがないので無視してよい。大事なのは厖大な読書を通して知を身につけ、これまでにない経験を求めること。そして社会に違和感や不満を持つこと。それでやっと問題が発見できる。問いを立てるのはそれからだ。
【悲報】妻不在で子供と過ごしていたら小学2年の娘に「ねぇ、ママが結婚するなら大学の先生はやめといたほうがいいよって言ってたよ(笑)夜も土日も働いてるし、理屈っぽいし、すぐ批判してくるし、一つのことに執着して面倒臭いって(←ここ意訳)」と告げ口がありました。 ※教員によって差あり
一生本を読んで暮らしたいと学問の道を志した人も多いと思うが、はたしてどれくらいの研究者が読書に耽溺できる人生を歩めているのだろうか。もしかして学問と関係がない仕事で定時で帰れる人のほうが「豊かな読書生活」を送れてはいないだろうか。
藤井風は本当に世界で通用するアーティストだ。宇多田ヒカル以降ようやく本格的な歌手が現れた。海外で活躍するバンドやグループはいるが藤井風は別格。岡山のローカリズムとブラックミュージックを身体化したグローバルな歌唱とグルーヴの融解、宗教的な詞の世界観が国境を超えて癒しを与えるだろう。 twitter.com/Kyohhei99/stat…
阿部亮平さんのこの本質的な質問、ドキッとした。答えを準備していなかったからよく覚えている。番組PR動画が毎日更新されているようです。収録時間は2時間、それが30分に。編集大変だろうなぁというトークだった。 twitter.com/nhk_syumicoco/…
段落頭の1字下げや段落と段落の間の改行をしないで書くことを授業で話したら、なぜ1字下げする必要があるのか、段落の改行も見やすくするための工夫だ、ネット記事の書き方で文章を書いて何が悪いのか、昔の文章形式になぜこだわるのか、というコメントがきた。人生初、ついにきたかという感じ。
藤井風の新譜『LOVE ALL SERVE ALL』は名盤だ。歌の表現力が一段と凄まじい。ローカル/グローバルの弁証法とでもいうべき音の和洋混淆と詞の俗世を超えた世界観。『まつり』のサウンドが素晴らしく『やば。』は本当にヤバい。初回盤のカヴァーはブリトニー・スピアーズ『Overprotected』が特にいい。
小津安二郎『東京物語』で東山千栄子が原節子の家に泊まった翌朝のシーン。わずか15秒の間に手前と奥で二人の人物が①画面を横切る②振り向く③物を拾うという身振りを一致させる。小津的ローポジション&フィックスの静謐な画面が活力を帯びる瞬間。この後に起こる名場面の絆を予見する見事な演出。
理工系大学で芸術の授業をすることで悶々するのは歴史的無意識や作家の無意識を探る営為が全く通じないケースが多いこと。人文学系だとこういう辛さはほとんどない印象だが、毎年作家の意図は作家に聞かなければわからない、作家の影響関係は作家が公言してないとわからないと当然のように反応がくる。
椎名林檎「1年に1枚という邦楽の狂ったサイクルに縛られるつもりは毛頭ないです。足りないもの(音楽)を作るのが私の仕事だと思ってるので。私が作らなくなるのは、世の中に素晴らしい音楽がいっぱいあると、私自身がユーザーとして思ってる時なんだと思ってます」って痺れるな。
地味な作品だが『半世界』(阪本順治)は炭焼き職人を演じた稲垣吾郎の静謐な佇まい、池脇千鶴のくたびれた生活臭、長谷川博己の苦悩と狂気が、見事に映像的な空間に描写された素晴らしい映画だ。役者もその土地にいる人物としてちゃんと成立し、阪本監督の円熟した技術を感じさせられた作品だった。
最近の学生は本を読まないというが(明らかにそうなのだろうが)読むものが偏重しているというのが実感。このテーマなら必読という本は悉く無視。特にコロナ禍で助長されたが「ネットで検索して読めるものしか読まない」という由々しき事態。だから参考文献がネット記事と紀要論文だらけになる。
新年度が始まる。新たに修士・博士課程に入って研究を進める人たちに言っておきたい。もっとも大事なのは研究成果ではなく心身の健康を保つこと。研究はいつでもやろうと思えばできるが(僕は30歳で修士)特にメンタルを崩すと回復が難しいケースが多い。研究自体楽しめなくなる。どうか心の健康を。
東工大の学生が手に取れるよう大学図書館に寄贈しようと持っていったら「寄贈は必ずしも受け入れられるわけじゃなくこちらで取捨選択します。趣味の本などは受け入れられません」と言われた。「授業の参考書にもあげるので学生にとっていいかと」と言ってもそう決められてるのだと。なのでやめました。