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ちなみに僕は高校を卒業して30種位のアルバイトをしながらフラフラ国内・海外を旅したり音楽活動をやったり好きな本を読んだり映画を制作したり観たりして暮らし、20代半ばで研究職を目指して大学に進学して本当によかったと思っている。人生には若い頃に何でも自由にやってみる期間が必要だと思う。
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学び直すのは学部からというのは心から同意。人生100年時代に18歳で大学に行って22歳に卒業するなんて多くの人にとってすごくもったいないしリスキー。高校を出て自由に働いたり旅したり色々な経験をして学びたいことが定まってから25〜30歳くらいで大学に進学する社会が普通になればいいのに。
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今日、東工大大学院の表象文化論の授業で投票機能を使い「ヒッチコックという名前を聞いたことがある?」と質問したら39%が「ある」、「ヒッチコック映画を観たことがある?」と質問したら5%が「ある」だった。映像に興味がある学生でサンプルは159名。これを「ヒッチコック5%問題」と名付けておく。 twitter.com/Kyohhei99/stat…
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大学では「批判的思考力」を養えと言われるが、これは揚げ足を取って優越的立場を得たり、他人を論破したりする力を培い競争を優位に進める戦略ではない。自分が前提としている思考を疑って、身につけてきた価値観を取っ払い、当然と思われている社会通念を問い直すこと、いわば視座を複数化する力だ。
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明日から授業開始。学びを始めるにあたってとりわけ新入生は「役に立つ/役に立たない」という価値観から解放されてほしい。他人から「それ何の役に立つの?」と言われることもあるかもしれない。だが、学び、経験したことがいつどのように役立つかは誰にもはかれない(自分さえも予測できない)。
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それから最近の大学ではアクティブラーニングと称して無理に他者と対話させ、自分の意見を言わせる授業が増えた。何度もやればそれなりに慣れてくる。でもそんな風潮に慣れなくていい。自分の意見を持ったり問いを立てたりするのには厖大な時間をかけた学びが必要である。焦らずにじっくりと学ぶこと。
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近年の大学では新入生に「問いを立てろ」と言うことが多い。でもそんなこといきなりできるわけがないので無視してよい。大事なのは厖大な読書を通して知を身につけ、これまでにない経験を求めること。そして社会に違和感や不満を持つこと。それでやっと問題が発見できる。問いを立てるのはそれからだ。
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藤井風は本当に世界で通用するアーティストだ。宇多田ヒカル以降ようやく本格的な歌手が現れた。海外で活躍するバンドやグループはいるが藤井風は別格。岡山のローカリズムとブラックミュージックを身体化したグローバルな歌唱とグルーヴの融解、宗教的な詞の世界観が国境を超えて癒しを与えるだろう。 twitter.com/Kyohhei99/stat…
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岸政彦さんのこのご指摘とても重要。いま多くの大学で人を対象とした調査は研究倫理審査が必要になっていて、このやり取りが非常にストレスフル。この前、質的調査で聞き取りをする予定だった学生の書類が「対象人数が5人でどうやってコミュニティが論じられるのですか?」と突き返されたことがある。
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作家は自身の作品についてあまり多くを語らないほうがいいし、何を描いたかを細かく解説しないほうがよい。作者にも制御できない細部の連関や無意識に表出した豊潤なテクストが「作者の意図」によって縮減してしまう。多様な読解可能性を奪うことは創作物にとっても決してよいことではないだろう。
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CZUR Aura Proというオーバーヘッド型ブックスキャナーが凄すぎる。見開き2ページがわずか2秒でスキャンでき、すぐにPDFにしたりOCR(対応言語180以上)かけてWordに変換したりできる。自動補正機能もあり、指サックとフットペダルで綺麗に保存可能。これはアカデミアの革命といっても過言ではない。
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小津安二郎『東京物語』で東山千栄子が原節子の家に泊まった翌朝のシーン。わずか15秒の間に手前と奥で二人の人物が①画面を横切る②振り向く③物を拾うという身振りを一致させる。小津的ローポジション&フィックスの静謐な画面が活力を帯びる瞬間。この後に起こる名場面の絆を予見する見事な演出。
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加えて言えば、作品分析も「SNS的な切り取り批評」になっていることもあって(まさにTwitter的な文脈無視の批評)これは非常に心配。女性の胸や足を映したら悪。映画でいえばショットの編集など複数の要素で意味づけられるはずが、切り取り批評においては作家の批評性が徹底して見落とされてしまう。
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学生の書く論文に年々ポリコレ的な批評が散見されるようになってきている。もちろんこういう視点は重要。だが、これで批評したことになっているケースもある。それからフィクション=虚構/現実の境界がなく、映画が現実社会と地続きに捉えられ、どう描くのが正しくて何が悪かの価値判断も多い。
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大学も同じで何も高校卒業してすぐに進学する必要はないと思う。僕は20代半ばで大学に行きたいと思って勉強を始めた。だから大学ではどの授業も楽しかった。修士課程に入ったのは30代になってからだった。学びたくなった時に行った方が絶対に楽しく実りある時間を過ごせる。
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今日、何度繰り返しこの動画を見ただろう。後景・中景・前景とすべてにおいてドラマがあり、細部が圧倒的な情報量を放っている。構図も素晴らしい。日常的な光景の中で、最後の審判のような終末を感じさせ、救済が訪れる。完全に映画を超えている。 twitter.com/TheFigen/statu…
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修論執筆がピークを迎えるが、メンタルのケアだけは最優先してほしい(無論体の健康も疎かにしてはいけない)。研究はいつでもできるが一度心を病むと研究自体が苦痛になり回復にも時間を要する。特にこの2年コロナ禍で思いのほか負荷がかかっているはず。心の健康を害してまで頑張りすぎなくていい。
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学生にオープンアクセスの紀要ばかりが読まれ、査読付き論文(学会誌)が参照されない問題。最近かなり学会誌も電子版が公開されている印象。問題は査読の制度をはじめとして紀要や学会誌の違いが理解できていないケースが多く「CiNii→機関リポジトリ→紀要」で気軽に参照するケースが多い気がする。
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ファンというのはカリスマ性に陶酔し、圧倒される受動性があるが、「推し」というのは対象へと一歩踏み込んで「支えている」「変えられる」「関係する」という能動性があり、きわめてSNS時代的なモードのような気がする。ぼくも「推し」の気持ちってさっぱりわからない。だから気になっている。
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ここ数年で強く思うようになったが、本を全体として論理的に読めなくなっている人が増えているような印象を受ける。切り取ってその部分しか理解していない。それが全体であるかのように歪曲して解釈する。コンテクストや繋がりが読めない。SNSとまったく同じ読み方。これはかなり問題だと思う。
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椎名林檎「1年に1枚という邦楽の狂ったサイクルに縛られるつもりは毛頭ないです。足りないもの(音楽)を作るのが私の仕事だと思ってるので。私が作らなくなるのは、世の中に素晴らしい音楽がいっぱいあると、私自身がユーザーとして思ってる時なんだと思ってます」って痺れるな。
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新年度が始まる。新たに修士・博士課程に入って研究を進める人たちに言っておきたい。もっとも大事なのは研究成果ではなく心身の健康を保つこと。研究はいつでもやろうと思えばできるが(僕は30歳で修士)特にメンタルを崩すと回復が難しいケースが多い。研究自体楽しめなくなる。どうか心の健康を。
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年々読むレポートが「ネット記事の語り口」になっていく傾向がとまらない。たぶん本当に本を読まなくなっている。近年は本にもネット口調のものが溢れているし。この問いかけ、語りかけてくる文体は、移動ショットがやたら多い最近の映像文化にも通ずるところがあると思う。