鎧を着て射ると、あちこちが邪魔になって、弓を大きく引けないので、普段より強い弓を引くか、前のめりの姿勢で引く 木馬での追物射で弦が鳩尾の板に当たり、その後、前傾で引くと見事クリア。その様子が映像ではっきりと確認できる #紅葉台木曽馬牧場 #大鎧騎乗会 #甲冑装束騎乗会 #鎌倉もののふ隊 twitter.com/kerpanen/statu…
まさにこれですね 甲冑を着用して弓を引くと、前のめりになっていないと弦が鳩尾の板や、太刀に引っかかります で、ここで便乗宣伝 まーこさんがモデルを務めてくれている「赤絲威鎧武者写真集」現在、編集中。8月末、モデルカステンから発売予定。1/12鎌倉時代の鎧武者プラモデルには必須の資料です twitter.com/sh0hta/status/…
モデルカステンのデカールを貼った1/12「鎌倉時代の鎧武者」。各所の絵韋と籠手の家地、鎧直垂の文様がデカール。デカールは19日発売、1,300円 チャチャッと塗って、我ながら上手にできたと思ったんだけど、写真に撮って拡大なんてするもんじゃないね 13日発売の月刊アーマーモデリングに製作記事
巴御前、木曽義仲1/35騎馬武者フィギュア フィギュアセットと写真集の製作がスタート。映像はその取材のため3月17日に御猟野乃杜賀茂神社で撮影 巴御前を演ずるのは、これ以上の適任者はいないと思われる和式馬術の達人。馬ももちろん木曽系の和種馬 詳細は月刊アーマーモデリング4月13日発売号参照 twitter.com/kerpanen/statu…
巴御前、強さの秘密は馬術? 非現実的な大力伝説は巧みな馬術によって生まれたのではないだろうか。御田八郎師重を引き寄せたのは馬の力。太刀、薙刀の斬撃にも馬の推進力を用い。馬術で機敏に敵の死角に入り弓を引いた 馬上武芸の真髄は「馬に切らせろ、馬に突かせろ」馬の力を十全に使えなのである
どうも、この記事を読んで「やっぱり日本の馬は人が駈けるよりも遅い」と、だいぶ以前の妄説を再び確信した人がいるようです。それ間違いです そりゃ、家来が着いて来てる時には加減もしますよ 下の映像では最後尾の馬でも36-37km/h 本気を出せば40km/h以上は軽く出ます #紅葉台木曽馬牧場 #和式馬術 twitter.com/kerpanen/statu…
家来は辛いよ 一遍上人絵伝に描かれた主従。ご主人は軽快に馬で駈歩。家来は主人の胴丸鎧と太刀を自分の足で運んでる。弓と矢を盛った箙を運ぶ家来は、もう暑くて肌脱ぎ。主従とも裸足のようだ 幕末だが、従者が騎馬の主人に遅れず長々と着いて行くので驚いたと言う、西洋人の目撃証言があるらしい
この映像を見ずして鎌倉武士を語るなかれ 鎌倉武士と言えば騎射戦闘。その技量の優劣が生死を分かちました とにかくすごい、貴重な動画。@tono_mikadoさんは甲冑騎乗による実証実験の先駆者であるとともに現在でも第一人者。現在、この人に匹敵する甲冑騎射技量のある人って他に誰もいないですよね twitter.com/tono_mikado/st…
一回の戦闘で使う矢100本を作る手間 「射学大成」より。荒矯め1日半、削り2日、洗浄2日半、木賊磨き1日、仕上げ矯め2日、目漆(節陰、7回塗り乾かす)15日、筈と筈巻き、漆塗り2日、矢羽の鏝焼き2日、沓巻き根太巻き2日、同漆塗り1日半、矧3日、同漆1日半、鏃を入れる1日。計37日もかかる
鎌倉武士が一回の戦闘で使った矢の数 「源平盛衰記」には衣笠城防衛に当たり各人に「弓二、三張り、矢四、五腰を用意せよ」とある 一腰とは箙(えびら)一つ分で、矢25本が標準だが、16ないし32本を盛る箙もある。一人およそ百本強 弓を複数用意するのは、当時の弓が壊れやすかったということだろうか
大鎧を着用して弓力30kgの弓を引く 鎌倉武士の実戦弓40kgには及ばないが、大鎧を着用して30kgの弓を引いてみました この映像から、40kgはおろか、現代人が30kgの弓を渡されたらどんな有様になるのか、が、わかると思います #紅葉台木曽馬牧場 #大鎧騎乗会 #甲冑・装束騎乗会 #鎌倉もののふ隊 twitter.com/kerpanen/statu…
これが騎乗から見た時速40kmの騎射 速すぎて、騎射も撮影も失敗してます 速度計に注目、弓力24kgの弓を使っています。馬はこの牧場の最速馬、木曽系和種馬の「快佑(かいゆう)」 鎌倉武士はこんな勢いで攻撃して来ます。そして弓力40kg弓の狙いは外しません #サドルバック牧場 #馬上弓くらべスクール
これが本来の鎌倉武士 大鎧は確かに重すぎ。それはそもそも騎乗のための鎧だったからです 大鎧で地上を歩くのは例外的なことで、鎌倉の鎧武者は映像のように騎乗で突撃して来ます 総重量100kgを越える大鎧武者と装備一式を乗せても日本の在来馬は時速40キロ以上で疾走できます #紅葉台木曽馬牧場 twitter.com/kerpanen/statu…
@4233ara どうやら鎌倉時代、今とは取り懸けが違っていたらしく。この方法で引くと素手でも痛くないと言うことでした。ただしこの映像の弓は弓力13.7kgなので、これで40kgを引いたらどうなるのかはわかりません。
太刀の長さが間違ってました。刃の長さが76-79cmです。訂正してお詫びします。
数字で見る鎌倉武士 平均身長159cm。体重は50-60kg。平均寿命24歳。大鎧の重さ25-30kg。主武装の弓は長さ227cm、弓力40kg超。矢の長さは90cm。一人が携行する矢は箙に25筋。弓の直射有効戦闘距離36m。軍馬の体高130cm前後(前肢、肩迄の高さ)。軍馬の最高速度40-50km/h。太刀の長さ76-79cm(刃は約60cm)
内兜を狙え 兜の内側に見えてる顔を内兜(うちかぶと)と言う 甲冑武者同士の騎射戦では互いに相手の顔を狙うのだ つくづく鎌倉武士に生まれないで良かったと思う さて射程9m。近いと思うだろうけど、映像で騎乗から放った矢が慣性で大きく曲がってゆく様子がわかる。 近くても、中てるのはなかなか大変 twitter.com/kerpanen/statu…
流鏑馬の的 なぜ近いの? 鎌倉武士の武芸の象徴、流鏑馬。ある流派の射手さんは「なんで的が近いの?」とよく聞かれ「実戦では敵の内兜を狙うから」と答えていると言う 武藝訓でも騎射の射程は五間(9m)。騎乗では矢尺いっぱいまでは引きにくいので、それ以上の射程では中っても鎧が貫通できないからだ
弓返り(ゆがえり)は鎌倉時代から 弓返りは、矢を放った瞬間に弓を自然に一回転させ、矢を速く真直ぐに飛ばす日本の独特の射法 弓返りを記した最古の文書は九州探題、今川了俊(1325-1420年)の「了俊大草子」だが、鎌倉時代後期の1309年に描かれた「春日権現記紀絵」にも、弓が半分返っている描写がある
弓で甲冑は射抜けたのか?  矢で鎧の裏をかく(貫通)のは当時から困難で、矢21本を受けて衣笠城に斬り込んだ金子家忠(右下)、橋板を外された宇治橋を強行突破した源氏方の僧兵、筒井明春(左下)は甲冑を脱いだら矢が61本刺さっていたと言う。負傷十数カ所とはいえ、大鎧の防御力はやはり生半可ではない
弓戦の射程 故実では「218mで始まり55mで盛になり18mで衰える」としている 「武藝訓」ではいかに強弓の武士でも55mで鎧は貫通できず「55mで足軽の遠矢(放物線を描く矢)から始まり、27mで盛んになり、9-13mで衰え刀槍をとる」が実態としている。弓道の近的28mは差矢(水平に狙う矢)で鎧を貫通できる射程
鎌倉武士の取り懸け 現代の弓道とは少し違う、鎌倉武士の弓の引き方を実験 これは筑波大の松尾牧則先生による「素手で引いても痛くない取り懸け」と、「木弓故実摂録」、「後三年合戦絵巻」の図、「高忠聞書」などの記述から推定しました 慣れれば違和感なく引けます。弓力24kgの弓を使いました
後三年合戦絵巻の取り懸けをためしてみた。左上は弓道の形 右上は親指と人差し指で矢を挟む形 下は後三年合戦絵巻の形。左は人差し指を矢に添え親指で中指、薬指を包み込む形。下右は親指でより強く薬指を包む形 弓道以外は、頼朝の話通り、薬指に圧力が集中するので下右の引き方が一番具合良かった twitter.com/sakone_shogen/…
大鎧で準実戦級の弓力30kgの弓を引く 弓力13.7kgで引尺いっぱいに引こうとすると、弦に色々引っかかりそう。ちょっと引いても威力のある30kgの弓なら、そこはクリア? 12月12日に開催された第四回大鎧騎乗会では鎧と弓の関係を色々と試してきました #甲冑装束騎乗会 #鎌倉もののふ隊 #紅葉台木曽馬牧場
和種馬の乗型と駄型の違い、特徴が一目でわかる素晴らしいイラストですね。言葉や写真の説明だけでは、ちょっとわかりにくいところも一目瞭然です。特に肩甲骨の角度の違いが示されているところがすごい。 ただ、背中の後部は「白会」ではなくて「百会」と言うようです。 twitter.com/kisocrane/stat…