なんかこう、賞の候補作の作家に、「残念でした」って声をかけるのを見かけたけれども、「文学シーンを盛り上げるイベントに参加してくれてありがとう。お疲れ様」が適当なんじゃないかなあ、と思ってしまう。
私の話をします。二年ほど前にある文芸誌に「ある大作家に触られた」とエッセイに書きました。触られた人は他にもいるはず、そういうシーンを見た作家や編集者がたくさんいるはず、と思っていたので、「私も触られました」「そういうシーンを僕も見たことあります」という人が現れると考えていました。
私には今、友だちがひとりもいないが、ときどき遠い昔を思い出して、 「あの人のことは永遠に応援する」と考えたりして、友だちではなくなっても友情だけは片想いでもいつまでもあるのかも、と思ったりする。
この件で、その大作家の方に対して何かをしたい気持ちが私にはありません。ただ、性暴力が起こる土壌が文学シーンにあるというのは思っています。今後の作家たちが性暴力に遭わないよう、何ができるかはわからないけれども何かしたいです。 #文学界に性暴力のない土壌を作りたい
「原作者として、 映画業界の性暴力・性加害の撲滅を求めます」 ステートメントが公開になりました。 ぜひ、読んでいただきたいです。 …romtheoriginalauthors.hp.peraichi.com
おでんの傘を買いました。 かわいい。からしのボタンまでも!
でも、一切現れず、かといってそのエッセイがスルーされたという感じでもなく、ただ笑われたような雰囲気になりした。そのときは、「売れない作家が言っても気にされないんだな」「容姿が悪い作家が言ったら笑いにされるんだな」と、つい思ってしまいました。
モーセの十戒ポーチ買ってしまった。かわいすぎる……。
「配偶者は精神的に安定した人がいいよ」という意味合いのツイートを見かけた。原文にそういう意図はないと思うが、やっぱり、精神疾患を抱えている人はこのフレーズにドキドキしてしまうんじゃないかな。ただ、私は知っている。精神疾患を抱えながら結婚や育児を楽しくしている人はいっぱいいる。
自分の親を外で「父」ではなく「お父さん」と表現する人のことを「正しい敬語を使っていない」「品性がない」とバッシングする人がいるが、言葉にルールはなく、あるのは慣例なので、敬語に正しいも間違いもない。人の言語センスは尊重した方がいい。人の言葉遣いを良い悪いと批判する方が品性がない。
本を出すという行為は、遠くにいる人を信頼するという行為だ。 「遠くにいる人の方が身近な人よりも自分の仕事を喜んでくれる」「読者の方が家族よりも自分の言葉を理解してくれる」と信じているから書籍にする。 そうでなければ、こっそりテキストを作るだけでいいはずだ。
わあ、#文学界に性暴力のない土壌を作りたい を使って、ツイートをしてくださる方がたくさんいらして、 なんだか感動しました。 連帯というのを、どうしたらいいかわからなくて、 とりあえずハッシュタグのフレーズを考えてみたんですけど、そうしたらこんなふうに使っていただけて、力が湧きました!
生きやすい社会を私が作る。
また、今回の声明とは別の話になりますが、個人的には、性暴力の被害に遭うのは「女性」だけではない、という思いがあります。「女性」ではない被害者の声にも耳を澄ますことができる社会を作っていけたら、とも私としては考えています。
「『ブス』の自信の持ち方」 というエッセイの連載を始めます。 話題になりたいので、リツイートしてもらえたらすごく嬉しいです。 どうぞよろしくお願い致します。 はじめに | よみもの.com 43mono.com/series/busu_ji…
差別って、言葉じゃないのよ、文脈なのよ。
私はノンバイナリーなので、「女性の作家」たちによる今回のことに名を連ねる立場なのか、正直なところ悩みました。でも、素晴らしい文章に感動しまして、末席に名を連ねました。 私も責任を持ってやっていきたいです。
初版部数や実売部数を隠す必要はない、と私は考えている。 私自身、少部数の本を出していて、その数字を世間に出すことに抵抗を覚えない。 少部数はまったく恥ずかしいことではない。 少部数の作家でも、自由に発言する権利がある。
「ゴロウ・デラックス」を観てくださった方、ありがとうございます。 制作スタッフさん方にとても親切にしていただき、 出演者の皆様にも、稲垣吾郎さんにも優しくしていただいて、 貴重な経験ができました。感謝いたします。
「育児の人」と思われて、文学の話を振ってもらえなくなるのが怖くて、依頼をもらったときの返信も、こうやってSNSを書いているときも、出産や育児のことをどの程度伝えていいのかわからなかった。仕事がしたい、文学の道を進みたい、と思いつつ、どの方向に光があるのか、誰に相談すればいいのか……
人見知りで孤独好きな私のような者にとっては引きこもり生活はむしろストレスが減っており、いつもの暮らしが再開されると思うとつらい。周りの人が優しい人ばかりの私でさえ送り迎えが始まるのが憂鬱なのに、学校に行きたくない子どもはどんなに不安なんだろうか。 #夕方5時の小さな世界
人を生きやすくさせるのは、 アドバイスではなく選択肢。
テクストだけが文学だった時代は終わったのだと思う。「どう読むか」だけの議論では文学は残らない。社会でどう作用するかまでが文学。しかも今は双方向で社会を作っていく時代。誰を傷つけるか、誰を助けたいかまでも文学。作家も人間として生きている。文学はテクストの中だけにあるものではない。
書店さんの棚を「女性作家」「男性作家」で分けるのを法律か条例で規制してもらえたらなー、なんて夢想してしまう。どう分けるかは重要で、読まれ方が変わるし、棚を見て育つ若い人の思想によって国の文化も変わるし……。 性別で仕事をしていない人も多いですし、区分に馴染まない作家もいますのでね
いい記事だ……。 稲垣吾郎が文豪の墓参りへ 「ゴロウ・デラックス」終了も“主演”小説始まる(Book Bang) - Yahoo!ニュース headlines.yahoo.co.jp/article?a=2019… @YahooNewsTopics