年末で職を失い途方に暮れている人たちに対して、「なぜ転職しなかった」「なぜスキルアップしなかった」「なぜ貯金しなかった」「なぜ人脈を作らなかった」「なぜこういう時に頼れる家族がいない」「自分の失態で助けを求めるな」という言葉を投げつける、12.3年前と変わらぬ投稿群を見て愕然とした。
小石を蹴とばしたぐらいにしかなりませんが、今日の比例代表の開票立ち合いでは、「無効票」とされた票の中から、共産党票3票、れいわ票1票を救出しました。
「ジェンダーロールを降りた男は女にとって魅力がなく、女は男にとって魅力がない。誰が望むのか」という意見がありましたが、私自身もふくめ、ジェンダーロールの押しつけをなくそうとする者は、そのような「異性に魅力的で、異性パートナーを得なければならない」強迫からの解放を訴えるものです。
FB友の投稿で知りましたが、子ども食堂やフードバンク、その他困窮者支援の団体からの現物支援を生活保護世帯が受け取った場合、「収入認定する」と言っている自治体があるようです。これは扱いとしても間違っています。子ども食堂やフードバンクは「原則収入認定しない」と問答集で明示されています。
現実にこうしたことをされて一時不登校になり、その後も苦しんだ女性を知っています。 ゲームにして茶化したり、「懐かしい思い出」風に語って良いことではありません。れっきとした加害行為です。 twitter.com/livedoornews/s…
「学術会議に任命されなくとも研究は否定されないのだから学問の自由の侵害ではない」という論は、「思想・信条を理由に公務員を不採用にしても、職業選択の自由があるのだから思想・信条の自由を侵害していない」という詭弁と同様のものだ。思想信条を理由に公職から排除することが自由の侵害なのだ。
今日の一般質問では、他党の議員が、中学校で女子生徒がズボンを選択できるようにすることを求めていた。このことには全く異議はないのだが、質問の文脈では「女子生徒がズボンを選択できること」を「トランスジェンダー」だと捉えているように見えた。これは軽視できない間違いだと思う。
今年のドラえもんの映画は見て辛かった、子どもに繰り返し見せたくはない、という親御さんがいた。 のび太たち子どもが武器を取り軍隊と戦うという展開が耐えられない、フィクションだからとか、相手は無人機(と言う設定)だとか関係なく、子どもが武器を撃つのを楽しく見れない、見せたくないと。
これは一生ものの「内申書」ということになりはしないか。データをもとに「あなたは不登校歴がありカウンセリングを受けているので、それに配慮してAではなくBのコースに」というような感じで「個人に合わせた配慮」の名のもとに教育機会を選別するために使われる危険が高い。www3.nhk.or.jp/news/html/2022…
あれから一周りの年月が過ぎても、自己責任論の病が膏肓に入っている感じがする。そして、こうした見解のボリュームゾーンは、おそらく自分と同年代、40代前半を中心とした30-50代の年齢層の男性だと思う。氷河期の中、一定の立場を得た者が同輩に対し優越感を抱くことは少なからずであっただろうし、
好きな人物や文物に対して、「好きだけれどこの点は断固批判する」「それに対する批判は正しいと自分も思うが、やはり好き」という態度を取ることや、そういう態度を受容することは、そんなに難しいことだろうか。少し前に記事があったが、実は現代日本は「批判の文化」が弱いのではないだろうか。
前RT)又聞きではありますが、東京都内で若い一人暮らしの人がコロナ陽性となり、しかしその後の連絡が数日何もなく、呼吸苦と発熱で本人が電話できないので勤め先の店主が代わって相談窓口に電話したところ「個人情報保護のため、本人か同居家族以外からの相談は受けられない」と対応されたそうです。
彼らに同情や共感を寄せることは、自らの努力、自らの人生を否定することのように思えているのではないかとも思う。そして、彼らと自分たちが何かの契機で入れ替わっていたかもしれない、地続きの存在であることを自己責任論を振り回して必死で消そうとしているのかもしれない。
「被差別者は差別されないように努力して自らを磨き、能力を認めさせて差別を解消すべきだ」という考え方、これが全く以て差別思考以外の何物でもないということに気づかない人は本当に多いと思う。なぜ「差別されない」だけで努力や承認を必要とするのか。差別側にある人はそれなしに認められるのに。
その後も必死で「生き残って」来た人生で、自分の幸運を喜ぶよりも専ら努力の結果と思いたくなる人も多いだろう。それゆえ、転落し路頭に迷った同輩に冷淡であるのだろうと思うが、いささか病的に、彼らを責める理由を見出して、彼らに同情や惻隠の感情が生じるのを打ち消しているようにも見える。
補足しますと、それらは「日本共彦党」「わいわ新選組」というような誤字でした。「選挙に出ていない政党名」と扱われて無効票になりかかっていたものです。 「単なる誤字であり、投票者の意思は読み取れる」としてきしたものです。
新型コロナを「インフル並み」の扱いにするには、「外来診察で重症化のリスクを判断でき、軽症で済むと判断した人には5日分程度の飲み薬を処方して療養指導をして過ごしてもらえばほぼ全員問題なく快癒する」という「インフル並みの診療」ができるようになってからですね。 news.yahoo.co.jp/articles/eba76…
この「考えなくてよかったことを考えさせられる不愉快」が、ジェンダー論や差別解消、多様性に対する執拗な反発の根っこにあると思います。 そして「考えなくてよかったこと」を可視化し議論する学問である社会学が彼らに攻撃されるのも道理と言えます。 twitter.com/muka_jcptakada…
今、「弔い合戦」という言葉が飛び交うのは、立場に関わらず失礼千万、尊厳を傷つける振る舞いだ。
潰瘍性大腸炎の悪化は、時に全身に症状を発し、大変な苦痛を伴います。ストレスも悪化要因と指摘されており、決して皮肉ではなく、治療優先は賢明であり回復を望みます。 同時に、これを以て、安倍政権下の諸問題が過去のものとして忘却・免責されることは勿論ありません。 www3.nhk.or.jp/news/html/2020…
「差別心は誰にでもある」「気づかず差別をしてしまう可能性がある」という現実と向き合うことと、「差別の行為や言動を、自由や多様性のもと容認する」ことは全く違う。「差別は絶対に許されない」という共通認識のもとでこそ、内面の差別心や文化に織り込まれた差別意識をどう考えるか議論できる。
こういう心理が「ウィークネス・フォビア」です。この「弱くあってはならない、弱く見られてはならない」という強迫が、「弱者」への嫌悪、特に自らの存在を主張する弱者への恐慌的敵意に繋がります。 その根底は、社会が作り出した「弱さ」へのスティグマの恐怖です。 twitter.com/mipoko611/stat…
ロシアが発表した「入国禁止リスト」に、日本共産党の志位和夫委員長の名前も16番目に上がっている。政党の党首で名前を上げられているのは、岸田首相を除けば唯一。 北方領土問題と侵略問題でのロシアに対する厳しい姿勢を「評価」されたものだろう。
これは「拒否」ではなく、「受け入れ不能」と表現すべきです。 「拒否」では、病院が主体的に断ったような誤認を誘います。 twitter.com/tbs_news/statu…
「医療現場に優先的にサージカルマスクを回すために布マスクを配布する」という言説があるが、2月からマスクが増産され医療機関等に配分されているはずなのに、現場のマスクは未だ十分でなく、毎日交換もおぼつかない。なぜそうなのか、政府は説明する責任がある。