1951
1952
菅さんの会見の短いこと。辞めるとだけ告げ、逃げたぜ。「学術会議任命拒否の説明なし。GoToトラベルとオリパラを強行し、感染拡大を感染爆発に至らせてしまったことの責任を取り、不出馬といたします」と、せめてそれぐらいのことは言えや。コロナ対策に専念する? 今まで専念してこなかったのかよ!
1953
菅さんの不出馬に、小池都知事は「大変驚いた」んだそうな。もっと気の利いた言い方はないのかね。「私はフリップ芸を始め、横文字を駆使するなど対策に専念して参りましたが、菅さんは口下手で何も仰いませんでした。その上オリパラのツケを私1人に押し付けるんですから、ひどい殿方ですわ」とかさ。
1954
自民党各候補がマスコミを席捲し、しばらく総裁選一色になる。それは存在が薄くなる野党の本気度が厳しく問われる魔の期間でもある。諸問題は勝った後で議論すればいい。目的は1つ、自公からの政権奪取である。ブレずに共闘し、恥も外聞もなくシャカリキに邁進してもらいたい。すべては勝ってからだ。
1955
菅さんは言葉を惜しんだ。蔑ろにしたと言っていい。科学を信じなかった。名だたる学者がどう進言しても聞き入れなかった。PCR検査がそれに当たる。どういうわけかワクチン一本槍だった。平行して打つべき対策があるのに頑なだった。国民との信頼関係が崩れれば、不出馬に追い込まれるのは必然なのだ。
1956
麻生さんの菅さんへの恫喝が評判だ。河野太郎さんを要職にと請うた菅さんに「おめえと一緒に河野の将来まで沈めるわけにはいかねえだろ」と言い放ったんだ。ヤクザまがいとかヤクザそのものと言われてるけど、菅さんも河野さんも麻生さんも、みんな一緒に沈んじまえば世の中うんとさっぱりしたのにね。
1957
菅さんはついに給付金を配らず終いだった。アベノマスクはともかく安倍さんは配った。安倍さんが偉いのではない。菅さんが冷酷非情なのだ。まるで国民を見ない人だった。いきなり自助と言ったのが正にそれで、食えなくなればそれは国民の自業自得なのだ。「最終的には生活保護もある」とも言ったっけ。
1958
パラの閉会式に菅さんと小池都知事が雁首を揃えたね。どのツラ下げて出たんだろう。親和性と多様性に満ちたビッグイベントを見て、学術会議の6人を拒否したことや、朝鮮人虐殺に追悼文を頑なに送らないことが頭をよぎらなかったのか。ましてや菅さんは、閉会式以前に総裁選不出馬を宣言しているのだ。
1959
メルケルはプーチンにドイツのスタンスを堂々と伝えた。辞めるが仕事をし続けている。比べて安倍さん菅さんは重要課題を置き去りにして総理を放り出した。万死に値する無責任だ。「無責任無責任無責任無責任--」と、無責任との言葉を80回ほどぶつけたい。体力を鑑みるとリアリティのある回数だと思う。
1960
マスコミは菅さんを「パンケーキ好き、苦労人、叩き上げ」と持ち上げ、パンケーキを食う会に嬉々として参加もした。コロナ禍が深刻度を増している最中にだ。今回の総裁選も政策そっちのけで、各候補の好物等を取り上げるのだろう。今こそ検査の拡充、自宅死、医療崩壊の現実を叫び、報じるべきなのに。
1961
【特集】立川談四楼インタビュー 東京五輪開会式を欠席した "出たがり男"の下心 | ZAITEN(ザイテン)過激にして愛嬌ありの経済情報サイト‐財界展望新社 安倍さんを踏襲し、菅さんも放り出しました。安倍さんは新総裁のキングメーカー気取り、超タカを担いで正体露わです。 zaiten.co.jp/article/2021/0…
1962
菅さんが辞め辺野古は置き去りにされた。県民投票の結果も無視、基地建設に邁進、寄り添うや丁寧な説明は口だけで、菅さんは「私は戦後生まれのものですから歴史を持ち出されたら困ります」と言った。その辺野古へ沖縄南部の遺骨が混じっているやも知れぬ土が投入される。新総裁はこれを強行するのか。
1963
進次郎さん、あなたは涙を流す相手を間違えてる。菅さんは世間の反対を一顧だにせずオリパラを強行し、感染拡大させた諸悪の根源、つまり元凶なのだ。あなたが涙すべきはコロナの犠牲者とその遺族、いまだに自宅に放置されてる人々、退院してなお後遺症に苦しむ人々にだ。なぜ肝心なところを間違える。
1964
菅さん、仕事を放り出して暇だろ?コロナ対策に専念すると大見得を切ったんだから国会開けよ。そこでこれでもかとばかりにドーンと予算をつけろよ。それが真のコロナ対策であり、あなたの最後の仕事になるんだ。立つ鳥跡を濁さずという格言を献じよう。せめてきれいに引き上げてくれ。まさか馬耳東風?
1965
河野太郎さんは自らを優秀だと思い、全能感を漂わせる。官僚を怒鳴り、有権者をブロックし、更にその意識を募らせる。しかしチキンだ。ワクチン不足を分かっていながら言い出せず、自治体を大混乱に陥れたりもする。かつて脱原発を唱えたことには口を閉し、氏の本質は「次の質問どうぞ」に尽きるのだ。
1966
「コロナはまがりなりにも収束して国際社会の中の評価は極めて高い。そういった意味では『まっとうした』という思いが(菅首相)にあったことは確かだ」って麻生さん、大丈夫か。熱はないか。動悸はどうだ。苦しくはないか。もしやマスクがズレて鼻が出てるんじゃないか。幻視幻聴となると血圧だろうか。
1967
「菅さんひとりぼっち」の姿が浮かんだ。パラ閉会式とG7だ。自ら話しかけず、誰からも話しかけられることがない。官房長官時代、領収書の要らない官房機密費を1日平均307万円、2822日間遣い続けて最高権力を手に入れ、人事権を行使したが、人そのものに興味はなく、また興味を持たれない人だったのだ。
1968
1969
岸田さんの改憲は通常運転だ。河野さんの原発再稼働にも驚かないが、高市早苗さんの「私のすべてをかけ働く」に続く「サナエノミクス」には仰天だ。何という安倍さんへのお追従、何という自己陶酔であろうか。この人のファシズムは分かるが、このナルシズムはどこからくるのか。恥を知らないのだろう。
1970
「『従軍慰安婦』や『強制連行』という表現は不適切だと閣議決定」これを受けた文科省が高校の歴史教科書の削除、訂正を申請ってんだけど、混乱に乗じた火事場泥棒だね。閣議決定のどこに権威と信頼性があるんだよ。「安倍昭恵夫人は私人である」ってなことを決定してるんだぜ。政治介入も大概にしろ。
1971
「緊急事態宣言3度目の延長 医療再構築を最優先」最優先? 保健所を減らしたのは誰なんだよ。ベッドを減らしたのは誰なんだよ。GoToトラベルを強行したのは誰なんだよ。オリパラを強行したのは誰なんだよ。PCR検査を拡充しなかったのは誰なんだよ。13万人が自宅療養中なんだぞ。一刻も早く国会を開け。
1972
新聞に「家族葬は○○社」というチラシが入り、そうか、すでに家族葬が前提なのだと思い知る。後世の人に「かつて通夜振る舞いというものがあってね、大勢で飲み食いしながら故人を偲ぶんだ」と言ったら信用してもらえるだろうか。故人がコロナに罹患してたら、対面がいきなりのお骨という時代なのだ。
1973
「福島第1 フィルターほぼ全て破損 原因究明せずに運転続ける」ってオイ、ALPSが壊れちまったら汚染水の処理ができねえじゃねえか。どこまで杜撰なんだよ。分かってるのか、あなた方が唱える「処理水」と言えなくなるんだぞ。それを海洋放出するって? 誰が許すかよそんなもん。ちったあ常識で考えろ。
1974
ひるおびの八代英輝氏が共産党を「暴力革命を党の要綱としている」とのとんでもないデマを飛ばした。弁護士が公器を使ってだ。綱領を要綱からして間違っているが、かつても今も共産党がその文言を記した事実は無い。このあまりな政権寄りのデマを、MCも評論家もスタッフも訂正せず、謝罪もしなかった。
1975
コロナ禍で心を病む人は多い。ベルギーではメンタルヘルスの医師が、美術館や博物館の無料券を処方し始めたという。さすがの発想と思うと同時に膝を打った。そういう人にお笑いを勧めるのはどうだろう。いや観劇やコンサート等もいい。エンタメ界の皆さん、一考の価値ありと思いますがいかがですかね。