1901
共同通信が「感染急拡大の原因はデルタ株と首相」と見出しを打った。天晴れ天晴れ甘茶でかっぽれ、喝采だ。忖度した見出しが多い中、ズバッと決めて嬉しいよ。いやあメディアにまだ気骨が残ってたんだね。誰の案か知らないが、私ならこうアドバイスする。「急拡大より爆発の方がインパクト大だぜ」と。
1902
尾身会長にムッとする。発表される感染者より実際はもっと多いとした上で、理由は「検査の供給体制が間に合ってない」「無症状者が積極的に検査を受けようとしない」と言ったからだ。PCR検査を抑制したのは誰なんだ。誰もがいつでも検査を受けられる体制の構築をと政府に進言しなかったのは誰なんだ。
1903
「自宅療養中 40代母急死」って、切ない。夫婦と子どもの家族3人が感染、母親の症状が急激に悪化したんだ。「コロナ感染の妊婦 搬送先見つからず自宅で早産 赤ちゃん死亡」には胸が掻きむしられる。これら、あってはならないことが次々に起こる。この先も覚悟しなきゃならないのか。人災だと強く思う。
1904
日本医師会の中川会長が「野戦病院の設置を提言」大勢が言い続けたことではないか。あの時点で着手すればすでに完成し、機能している頃なのだ。遅すぎる、遅すぎるがやらないよりはいい。医療従事者が不足?五輪に備えた7000人がいるじゃないか。だからパラリンピックをやってる場合じゃないんだって。
1905
1906
「丸川五輪相、パラは『安全・安心』強調 学校観戦も推進」正気じゃねえな。救える命が救えない医療崩壊のどこが安全安心なんだよ。学校観戦?なぜ感染リスクに曝すんだ。熱中症もあるぞ。そうなったら子どもはすぐ入院できるのか。真に模索すべきは安全安心な修学旅行への道筋だ。何が大切か考えろ。
1907
『パンケーキを毒味する』企画製作『新聞記者』の河村光庸、監督内山雅人を新宿ピカデリーで観る。5割、つまり満席。菅さんの政治手法が横浜市議時代からつぶさに検証され、もっと踏み込めとも思うが、笑っているうちに背筋が寒くなり、選挙、投票の大事さを思い知る。誰かと語り合いたいが直帰する。
1908
「杉田官房副長官が発熱で検査入院 PCR検査は陰性」事務方トップが陰性でよかったとは思わない。検査もままならず、陽性となったら自宅放置で、時に命を落とす庶民との落差に萎えたのだ。そういう病院があり、高官は即入院できるシステムが構築されている。政府に棄てられたとハッキリ自覚する一件だ。
1909
東京新聞は仁鶴師の訃報を一面に。さすがは元都(みやこ)新聞、芸能を疎かにしない。「どんなんかな」のラジオDJ、「3分間待つのだぞ」のボンカレー、視聴率を5%上げる男としての超多忙時代、それと引き換えるように声帯を痛め「だからできない噺があるんや」と言ったっけ。後進への様々な示唆を感謝。
1910
国会が閉じて2カ月、臨時国会の開催を与党が拒んでいる。知事会までが言及するロックダウンをいかにしたら実現させ得るか議論せよ。国内にも福井モデルのある野戦病院の設置を広く議論せよ。非常時だ、法律だって成立するだろう。収束に向けての決定に反対する者などいるものか。さあ臨時国会を開け。
1911
女子ボクシングで金メダルに輝いた入江聖奈選手は、彼女に「女性でも殴り合い、好きな人いるんだね」等の暴言を吐いた張本勲氏の遥か上を行く。「いろんな意味でボクシングにスポットを当ててくださった」として、張本氏に「アッパレ」を献上したのだ。さあ張本氏、度量の差を見せつけられ、どうする。
1912
野戦病院の設置しかない状況なのに、豊富な医療資源があると言い張り、都は動かない。酸素ステーションでは治療ができないのは常識であり、あの西村大臣さえ「プレハブでもテントでも対応していく」と言ってるのにだ。小池都知事からは何がしたいのかが伝わってこない。まさかデルタ株を舐めてるのか。
1913
#報道特集 医療崩壊を目の当たりにする。自宅療養者を使命感に突き動かされた医師が往診する。入院すべきだが受け入れ先はない。医師はまさに命の選択を迫られる。「どうしてこんなことに」と嘆く家族に、医師がポロッと言う。「チラッと見たテレビに都知事が着物着て旗振ってて、愕然としました」と。
1914
ウィシュマさんを死に追いやった名古屋の入管職員は、業務上過失致死に問われるべきだ。医師も短時間業務とは言え、ウィシュマさんの体が発した重大なSOSを見逃している。軽い処分、黒塗りの報告書、木で鼻を括ったような上川法相の答弁等、何から何まで隠蔽に走っている。解体から着手すべきだろう。
1915
1916
「パラ関係者 入国後14日以降も行動制限へ バッハ氏の銀ブラNGに」バッハの銀ブラはどうでもいい。問題は記事がパラ開催を前提としていることだ。22日の選手を含む感染者はこれまで最多の30人で、12日からの累計は131人なんだぞ。感染爆発を招いたオリから何も学習しないのか。中止しかないだろうが。
1917
「『菅首相やめるんじゃないの?』ハマのドンが言い放つ」横浜市長選で山中竹春候補に当確が出て、菅さんが推した小此木八郎候補のメが潰えた瞬間、藤木幸雄会長がそう言い、支援者を沸かせたんだ。痛快だね。私の理想は田中康夫氏の当選だったが、でもいい。これが菅さんの終わりの始まりなのだから。
1918
「国 病床確保を初要請」医療機関が拒否すれば勧告や名前の公表ができるが、医師、看護師の人材不足は明らかで、国も都もやってる感のポーズに終わるだろう。最初から間違っていたのだ。コロナウィルスを舐め切り、せめてもの検査も拡充せず、オリパラの強行に邁進したせいだ。初動の失敗を思い知れ。
1919
「パラ観戦全児童にPCR検査実施の方向」小池都知事が開会前日にとんでもないことを言い出した。「検査を観戦の条件にしない」「費用、検査場所、いつ行うかは検討中」って滅茶苦茶じゃないか。おまけに「参加児童132000人が減少してるかは答えられない」とくれば、アリバイ作りが見え見えじゃないか。
1920
「組織委幹部開き直り 40人歓迎会」飲食無しでも感染爆発下の会合は不適切では?に、高谷スポークスマンが「質問の意図が全く理解できない」とキレた。「社会の慣習においては適切な範囲内の対応と強く考える」とも。高谷さん、コロナ禍の慣習は悉く変わってるんだ。我らは打ち上げさえ禁止なんだぜ。
1921
「工藤会トップに死刑判決」画期的だね。トップが現場にいないのに、間接証拠で首謀者と認定したんだ。逃げ切るつもりだった総裁野村被告は、裁判長に「あんた生涯後悔するぞ」と凄んだという。無期懲役の会長田上被告も「ひどいなあんた」と言い放ったとか。トップの極刑適用は初、さあ今後に注目だ。
1922
「都内のパラリンピックの学校観戦参加は2万人余」減ったとは言え港区、新宿区、渋谷区、杉並区、八王子市と行くんだね、度胸があるなあ。子どもが感染したら家族に感染るよ。でも入院できないよ。子どもの思い出?最後の思い出になったらどうするのさ。まだ間に合う。命には替えられないじゃないか。
1923
オリパラは様々を教える。ラグビー元日本代表の平尾剛氏を通して『スポーツウォッシング』なる言葉を知った。「政府や権力者などが自分たちに不都合なことをスポーツの喧騒で洗い流す」の意だが、まさに菅政権の手口で、メダルラッシュに国民熱狂、勢いを駆って総選挙という図式だ。横浜から崩れたが。
1924
バッハの銀ブラから入り「また来日してる」と尾辻かな子(立憲)議員。ここで尾身会長が「国民にテレワークを要請してるんだから、リーダーの挨拶もオンラインでいい(場内拍手)」とバッハにキレたんだ。これが本来だ。国民の疑問をぶつけると、国民が納得する答えが返ってくる。尾辻、尾身、グッジョブ。
1925
「小池知事 5年連続で関東大震災の朝鮮人犠牲者への追悼文送らず 式典実行委が都に抗議声明」1974年以来、歴代知事は、あの石原慎太郎氏さえ送ってきたが、小池知事は納得のいく説明がないまま送らないのだ。菅さんとよく似ている。学術会議の任命拒否6人についても、いまだになぜかを説明しないのだ。