1976
「3ヵ月外出禁止 毎月20万円給付 社保・通信費無料 消費税廃止 日本ならできる」と山本太郎が政策を発表した。いいね。これなら凌げるし、コロナの収束も見えてくるぜ。さあ総選挙だ。共闘で勝ち抜いて政権を奪還、閣僚となって実現してくれ。夢じゃない。これまでが国民を見ない政権だったのだから。
1977
1978
総裁選の変節が痛い。河野さんは原発再稼働を口にし、岸田さんは森友問題の再調査を撤回するしで、国民に向けての発言はなく、派閥の領袖の顔色のみを見ている。高市さん当選なら女性初の総理と騒がれているが、我らに投票権がないことを幸いに思う。女性初に釣られ、うっかり投票する人がいるからだ。
1979
ワクチン2回接種でもブレイクスルー感染するという。重症化の例は少ないものの、3回目を促す意見がある。一方に「先進国の3回目より途上国の1回目」との声もあり、世界的に考えるともっともだと思う。そして毎年打つことになるのではとの懸念もある。変異株をも制圧する特効薬は、まだ先のことなのか。
1980
弁当と医療機器の廃棄で叩かれたのに懲りたか、五輪組織委がボランティアにユニフォームを再配布した。しかし棄てるよりマシだろうの短絡は不公平感を生み、箱で持ち帰る人もいれば、情報の届かないボランティアが続出し、そして案の定メルカリ等に出品されたのだ。さあ、組織委の収支発表が楽しみだ。
1981
『ひるおび』は謝罪から始まるものと思ったが、台風等のニュースが続き、デマを飛ばした八代英輝弁護士もシレッと普通にコメントしていた。おい志らく、突っ込めよって無理だよな。1時間半経過も謝罪なし。次があって離脱するが、まさか番組は「大した問題ではない」で片付けるつもりではなかろうな。
1982
お、マドンナか。いや腰が細い。ではデヴィド・ボウイか。えっ、これが氷川きよし? という経験をした。驚くべきは、この彼の変貌をファンが許容し、支えていることだ。私など『箱根八里の半次郎』のイメージのままだが、ファンとの強い信頼関係を思わざるを得ない。氷川きよしはそれを構築したのだ。
1983
「地上波を見てたら、私が右翼扱いをされているような気がして仕方がない」と仰る高市早苗さん。保守は雑魚で、今や極右、いやカルトの域まで達しているのに、右翼という半端さ。心中お察しします。テレビは権力に弱いもの、お得意の「停波」をチラつかせてください。すぐに極右と言ってくれますから。
1984
TBSが死ぬのはひるおびで2度目だ。八代弁護士は「政府の閣議決定に基づくもの」とは言ったが謝らなかった。八代氏が安倍シンパなのは選んだ道で勝手だが、TBSは『ひるおび』と『報道特集』の酷い質の差の説明がつかないだろう。そうか、八代氏の「今後はバランスを考え」は落差を埋めるつもりなのか。
1985
ハト派、護憲派を標榜する宏池会会長の岸田さんが「改憲」を口にするのも異様だが、広島出身の氏の「原子力は残さねばならない」にも驚く。仕上げは「学術会議、任命拒否『撤回せず』との菅さん踏襲宣言だ。何しろ自民党だから、誰が総裁になっても代わり映えしないが、ここまで正体を露わにするかね。
1986
山口敬之氏の逮捕を止めた中村格氏(当時刑事部長)が警察庁長官に就任する。安倍さんの友人が山口氏、菅さんの秘書が中村氏という間柄、官邸への忖度がそうなると噂され、どこかで歯止めがかかるだろうと期待したが、その思いは粉砕された。やはりそうなったのだ。現場刑事と伊藤詩織さんの無念を思う。
1987
「侮辱罪に懲役刑」は画期的だ。記事は「木村花さん母『大きな一歩』」と続くから、SNS上での誹謗中傷に、娘の名誉のためお母さんが方々に働きかけ、ここまで漕ぎつけたんだ。労苦に心より敬意を表します。お疲れ様でした。匿名の投稿者を特定しやすくなったのも大きい。誹謗中傷は逃げ切れないのだ。
1988
「もっと早く菅首相には辞めていただきたかった」と言った野々村真は偉い。生死を彷徨ったのだから当然だ。「オレも(私も)言っていいの?」と後続がなったところで「言い過ぎました」はまずい。「コロナ対策に専念すると言ったはず、まず臨時国会を開け。今更何しに渡米?」ぐらいは言い続けるべきだ。
1989
スポンサーが『ひるおび』からの撤退を考慮中という。事の重大さが分からず、謝罪のようなもので済ましたから視聴者が激怒、唯一の手段「不買運動」に出て、局のみならず会社にまで苦情が寄せられると、敏感なスポンサーは考えざるを得ないのだ。現在「いっそDHCの1社提供」とのギャグが出回っている。
1990
1991
TBSと八代弁護士に対し立憲・安住国対委員長が立ち上がった。「日本共産党の立場を全面的に支援していこうということになった。共通の認識に立っており、黙って見過ごすことはない」と力強く宣言したのだ。共通の認識とは「野党共闘への卑劣な攻撃」と受け止めたからで、立憲の本気度を見直している。
1992
「遺族に申し訳なくて」と、飯塚幸三被告(90)が相談相手のNPO理事長に心情を吐露したという。この言葉がなぜ最初に出なかったか。被告は「車の異常でブレーキが利かなくなった」と主張し、世間のバッシングを浴びたからだ。控訴しないので禁錮形確定となるが、高齢でもあり、収監か否かが注目される。
1993
『ひるおび』ウィキのスタッフ冒頭に監修・刑部志保とある。この弁護士が八代英輝氏の相棒だ。何しろ事務所には2人の登録あるのみなのだ。刑部氏が番組の構成等に大きく関わり、八代氏がコメンテーター、時に司会で長く政権寄りの放送をしてきたが、今回、野党憎さのあまり、ついに馬脚を現したのだ。
1994
八代弁護士は「政府の閣議決定」を根拠に共産党へデマを飛ばしたが、「昭恵夫人は私人」「(沖縄県民に対する)土人発言は差別ではない」「セクハラ罪という罪はない」「『反社会的勢力』の定義は困難」「安倍総理はポツダム宣言を当然読んでいる」等の閣議決定は虚飾にまみれ、信頼性の欠片もないのだ。
1995
若者の会話から「コロナが晴れたら」と聞こえてきた。感染者は確かに減っているが、重症者、死者は依然として多く、まだ油断できない。寒くなれば第6波の懸念はあるしで、ましてや今は緊急事態宣言のただ中だ。でも旅に出たい、みんなと集まりたい。フッと出た「コロナが晴れたら」だが、いい言葉だ。
1996
靖国大好きの国会議員は「国のために命を捧げた尊い英霊の御魂に感謝の誠を」てなことを言うが、沖縄の戦没者は英霊ではないのかね。その遺骨混じりの土が米軍基地の移設工事に投入されると聞けば、怒髪天を衝く状態になるはずだが、静かだね。米軍への激しい怒りを表明しないね。ねえ、なぜか教えて。
1997
ワクチン接種は先進国に2ヵ月遅れた。コロナを普通に怖れて迅速に動いていれば、第5波の被害は格段に少なかったに違いない。若者に接種をとは言うが、その若者に順番はなかなか回ってこない。当の河野ワクチン大臣は総裁選に夢中で、人流抑制と水際対策を掲げるものの、ワクチンのことは忘れたようだ。
1998
「『森友再調査』野田氏が明言」ときた。野田聖子幹事長代行だけが「民主主義にとって非常に由々しき問題」と再調査を断言したんだ。野田氏が安倍さんから票を回してもらってないということだが、議員票、党員・党友票合わせて776票の中に、民主主義を守ろうとする反安倍派はどのくらいいるだろうか。
1999
共産党の志位委員長は寛容だ。八代弁護士のお詫びのようなものを「謝罪・訂正したものと受け止めます」とツイートした。私なら「現在の共産党の党綱領には、そのような記載は存しません」の「現在の」を突っ込む。「現在のとは何だ。現在のを強く2度言ったな。かつてあったかのように誘導するな」と。
2000
ワクチン接種は任意が前提だが、世界各国に義務化の動きがあり、デモまで起こっている。日本人は従順で、打てない人はともかく、自ら打とうという人が多いのだが、肝心のワクチンが間に合ってない。法整備を含めた諸問題を国会で議論すべきだが、ワクチン大臣は総裁選に夢中だ。本当にダメだな自民党。