立川談四楼(@Dgoutokuji)さんの人気ツイート(新しい順)

1951
「五輪学校観戦チケット17万枚キャンセル 関東3県で中止続々」普通に考えりゃそうなる。親も教師も学童生徒を真剣に思えばその結論に辿り着く。容易にだ。感染のリスクに加え、熱中症を舐めてはいけない。気候温暖?どこがだよ。中止に踏み切れない教育関係者に訊きたい。一体何に誰に遠慮してるんだ。
1952
小池都知事は過労で入院中と伝わっている。私は都知事の政策に異論を持つ者だが、それでも麻生太郎さんのように不人情にはなれない。麻生さんは都議選の応援演説で都知事の過労に触れ「自分でまいた種でしょうが」と言い放った。選挙戦と言い戦いには違いないが、よくもまあ非情なことが言えたものだ。
1953
「都の協力で、五輪ボランティア7万人分のワクチンが確保できた」と組織委がドヤ顔だ。接種の日程を見ると、1回目が6月30日〜7月3日、2回目が7月31日〜8月2日、10日、11日。効果は約2週間後に出るから8月下旬、何それ五輪終わってるじゃん。ったく後手後手だな。お題目の安全安心はどこへ行ったんだ。
1954
「陛下の懸念」に菅さん、加藤官房長官、丸川五輪担当相は口を揃え「西村宮内庁長官個人の考え」とした。認めるわけにはいかないからだ。問題は陛下の国家元首としての開会宣言で、私は感染拡大に加担することになるから辞退されると思う。そのとき私は「あゝご体調がすぐれないのだ」と拝察するのだ。
1955
居酒屋で2名90分を楽しんでいると、中年男客が「生ビール、アサヒ以外で」と言い放った。コカコーラは飲まないとのツイートは見たが、脱アサヒに初めて接したから驚いた。丸川珠代さんがステークホルダーなんて言わなければここまでのイメージダウンはなかったのだ。いやアサヒ、踏んだり蹴ったりだ。
1956
経堂さばのゆ独演会後に着替えていると、お客さんが駆け戻ってきた。「忘れ物?」「違うの、駅前に山本太郎が」都議選の初日、山本太郎は看護師30年のふうさわ純子候補とともに街宣中だった。「どうぞ3ショットを」と言われての写真である。「オレ、豪徳寺」「アラ、私も」これが縁でなくて何なのだ。
1957
またしても超優遇だ。「IOC委員や報道関係者ら特例 コンビニ・個室飲食店容認」ときたよ。5万人が入国14日間以内でも利用できるんだってさ。野党が「バブルは穴だらけ」と怒るのは当然で、菅さんは開催理由を「プライドでも経済でもない、感染対策を講じられるからだ」と言ったけど、どこが感染対策?
1958
「陛下は五輪開催を懸念と拝察」と西村宮内庁長官。「拝察」は普段会っている人のギリギリの表現だろう。陛下が懸念を言葉にしている可能性もあるし、かと言って開催賛成とは国民に受け取られたくない。そこで「拝察」なのだ。西村長官は勇気ある人だと思う。明らかに国民の側に立って発言したからだ。
1959
「都の感染 リバウンド兆候鮮明」23日が619人で前週の501人より118人増えて、しかも4日連続の前週超えなんだ。このジワジワ感が怖い。更に京大の西浦博教授の言うことにゃ、五輪開幕の7月23日に「国内では感染力の強いインドに由来する変異株の割合が7割に達する」んだ。オイこれでも強行する気かよ。
1960
「夫婦別姓 再び認めず」15人中11人が合憲とはズレてるねえ。「国会で議論を」と大法廷は逃げたが、自民党政権だぜ。この件で珍しく稲田朋美さんが気を吐いたが党内ではパヨク扱いで、それを言ったのは安倍さん。その安倍さん任命の、元加計学園監事の木澤克之判事は案の定の合憲で、うんざりだよね。
1961
「ウガンダ選手団から2人目の陽性者が」恐れていたことが起きたね。最初の陽性者が出て「残り8人が貸切バスで合宿先に移動」となった時、8人は濃厚接触者では?と誰もが思ったはずだが、判断が遅れ、この結果となった。9人の来日でさえザルなんだ。ダダ漏れなんだ。これから大挙して押し寄せるんだぜ。
1963
沖縄戦の戦没者を悼む「慰霊の日」だ。この日に制定され60周年だそうな。無謀な戦争に突き進み、多くの沖縄県民の命が失われたわけだが、五輪に突き進む人たちよ、ちょっと手を休めて沖縄に想いを馳せてくれ。なぜ悲劇を迎えたのかを考え、自分の行為に間違いがないかを、胸に手を当てて検証してくれ。
1964
「五輪会場で酒を売る」に飲食店は「売るなと言い続け、今だって19時まだしか出せないのに」と怒ったね。Aビールは「意見を言う立場にない」って、何か言えよスポンサーだろうが。まあ民意に鈍感な組織委も激怒に驚いたようで、一転「販売を見送る方針」となった。凄いな、怒んなきゃ解らねえんだぜ。
1965
赤木ファイルが開示され「改ざん初日に『総理夫人』削除」とある。安倍さんの「私や妻が関わっていたら--」を受け、大慌てで動いたことが明白になった。この期に及んでも個人名は黒塗りだが、赤木俊夫夫妻の無念を思うと開示の意味は大きい。そして麻生財務相は公文書改竄経緯の再調査をまた否定した。
1967
G7後のイギリスはコーンウォールの新規感染者が2450%に急上昇した。厳戒態勢で臨んだはずなのこの数字で、誰もが震え上がったという。サミットには悪いが、東京五輪に蝟集する人数は桁が違う。規模が違う。にも関わらず、開催は最低1万人の観客で強行される。彼らを狂気が支配しているとしか思えない。
1968
元外務審議官の田中均氏はさすがだ。菅さんの手口をよく見ている。「『安心安全』の抽象的表現でごまかし、G7で先に支持を取り付け、五輪関係者は別枠として1万人の観客をなし崩し的に決定。説明せず、説得せず、責任を避ける、という3S政治を座視できますか?」3S政治が菅さんの正体を抉ってるよね。
1969
5者協議が「観客1万人開催」と決定した。しかも「大会関係者らは別枠」だとさ。更に「全国の小中高生らの観戦も別枠」で、専門家の「無観客が望ましい」は画餅と化し、菅さんは「安全安心」を唱えるのみ。おまけに酒も売るんだ。ねえ、国民に説明もなく一方的に事を進めるなんて、今までにあったかい?
1971
川淵三郎さんが選手村の村長になってて凄い挨拶をした。「ここまで来たのだから日本の国力、信頼感、日本のプライドを世界に発信していけるように支援をお願いしたい」と。思いっきり五輪は「国威発揚」のイベントだと言っちゃってるよね。だけど年寄りのネトウヨって、なんでこんなに哀しいんだろう。
1972
五輪中止延期論はどこへやら開催前提で話が進んでいる。加藤官房長官は、中止する基準について問われ「一律に示すことはできない」ときた。驚いたねえ。こういう事態なら中止という基準がないまま突き進んでるんだ。この人の無責任を言ってもしょうがないか。寄席をヨセキと読んだ官房長官なのだから。
1973
#報道特集 は見逃せない番組だ。膳場貴子さんが組織委を辞めた方に、その理由を伺ったという。するとその人は「将来子供に東京五輪の仕事をしたんだと胸を張って話せないから」と答えた。感染対策に気を遣う輸送部門の方だったが「感染の専門家が指示を出すことはまったくなかった」とも言ったという。
1974
「都内の五輪PV全面中止」小池都知事はやればできるじゃないか、遅いけど。いや都議選対策とはまったく思わない。見事な英断だ。この勢いで「五輪中止」と言っちゃいなよ。人気爆発だぜ。にっこり笑い、唇の端からチョロっと舌を出し「エヘヘ、ちょっと調子こいちゃいました」と言えばいいんだからさ。
1975
「東京五輪の開会式 観客2万人を上限に検討」ときた。組織委の考えは想像を遥かに超えていくね。尾身さんらが「無観客が望ましい」と提言してるのにだぜ。来日したウガンダ選手団から早くも陽性者が出ているのにだぜ。これから何万人やって来ると思ってんだよ。国立競技場に2万人?くわばらクワバラ。