寝子(@necononegot)さんの人気ツイート(新しい順)

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トラウマ的状況を生き延びるとは、異常な体験をしながらも、何事もなかったかのように日々の課題をこなしながら日常を過ごすことである。それがどれほど過酷であることか、まして子どもに背負えることではない。。それでも大人にたどり着くことができた。。なんて凄いことだろう。。。
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幼少期の親との体験が「危険と安全」が両方存在していると、葛藤や矛盾を深く抱えてしまうことが多い。その苦しみを緩和しようと自分の体験や感覚は断片化される。まとまりを持てないために中間がなく「白か黒か」や「見てほしいけれど消えたい」といった極端になっていたらそれだけ傷ついたということ
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心が苦しい人は「適切に」人を頼ることができない。全て自分で抱え込んでしまったり、頼る時は「爆発」して極端な頼り方になってしまったり、「病」となってそれでも頼れなかったりする。。「人に頼る」というのは健康な人が思ってるほど簡単ではない。必死に頼って傷つけられたら致命傷になってしまう
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「やりたいこと」なんて、なくたっていい。自分を好きになれなくても、自己肯定感が高くなくても自信が持てなくても、人に感心されるような目標などなくても、何も悪くない。「今よりも苦しみが少なく穏やかに生きていきたい」「現状維持」だって充分に素晴らしい方向性。
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虐待など理不尽な暴力に遭うと、注目されることを無意識に恐れるようになり「目立たないように居る」ことが生存スキルになることがある。そのため人前に出る機会では強い恐怖や不安感に襲われてうまくできなかったり、皆の前で褒められるという注目も恐怖を喚起するため、"成功"を自ら避けていることも
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「褒め言葉」や「励まし」などの他者からの言葉を疑ってしまう場合「自己否定が強いから」だけではなく、かつてそういったポジティブな言葉を、自分をコントロールするために使われてきたという経験ゆえの不信であることもある。「人の言葉を信用できない」としたら、そうする理由がちゃんとあるのかも
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大切な親が酷いことをしてきたり、して欲しいことをしてくれなかったりすると、子どもはそのショックをコントロールするために心理的に距離を置くことで「大丈夫な自分」でいようとする。そのことが大人になっても自分の悲しみや喜び等の感情を感じにくくしていることがある。過酷な環境で適応した証
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無意識の衝動が行動化することを「アクティングアウト」というが、それが内に向かうことを「アクティングイン」という。強い自己否定感や自己嫌悪、厳しい内省などを指している。それはトラウマ反応ともいえ、内面を傷つけ続けることでなんとか生き延びた現れかもしれない。今からしっかり癒したい。。
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家族療法では、不適応を示した人を「家族内の病理を代表した人」と位置付ける。家族の病理を背負って家族全体のSOSを体現した人。だから「まともだから病んだ」は真実である場合がある。「弱いから病んだ」わけでも「自分の病気のせいで家族が」でもなく、「一家の病理を1人で背負った」ということ。。
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自傷行為や暴食などの一見は不適応的行動は「関心をひきたいから」「ストレスからの逃げ」ではない。強い自己否定感や羞恥心などの耐え難いストレスの強烈性を、衝動的な行動で緩和することで心身を麻痺させる"ストレス対処"であることが多い。「甘え」や「逃げ」なんかではないと自分を理解し労いたい
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感情を認めてもらえない環境下で過ごすと、気持ちがあやふやなまま蓄積され、言語化する機会も少ないためによく分からないモヤモヤが心を占めていることがある。そのためいざ出そうとすると端的な言葉では追いつかないほど複雑でたくさんの苦しい気持ちが雪崩を起こし、コントロールできないことがある
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ずっと否定されていたら、何をどうやっても「自分は何か劣ってるんだ」という意識がつきまとう。どんなに頑張っていても、どんなにできていても。「認めてもらえない」というのは劣等感を植え付ける…。だから大人になってから自分を肯定するのはなかなか上手くできなくて当然。自分を待ってあげたい…
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「トラウマに由来する対人関係の苦しみ」について整理しました。 「些細な指摘を全否定かのように受け取ってしまう」 「親しくなるほど不安になって関係性を絶ってしまう」etc。。 こういった対人関係で起きる苦しみについての自己理解に繋がれば幸いです。 psychologist-neco.com/problems-with-…
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精神疾患の全てが誰にでもなる病気とはいえない。けれど「適応障害」と「うつ病」は、本当にどんな人でもなる病気。どんなに自信満々でも。どんなに人生うまくいっていても。優しい人もそうでない人も。敏感な人も鈍感な人も。 だから、「なった人が弱い」とか「適応能力がない」とかでは全くない。
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機能不全家庭で育つと、誰かが困っていたり不調を訴えていると「何とかして」と責められているように感じたり、「自分が何とかしないと」と誰かの負担を負おうとし過ぎてしまったりする。。でも、今はもう何もしなくても誰も責めないかもしれないし、肩代わりしなくていい。そもそも自分のせいではない
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精神疾患の方に必要だとされる「休養」は、健康な人の休養とは全く違う。「意識のある重体」のような状態。ツラくて苦しくて自己否定で心はいっぱい、身体は動きたくても動けないし痛いし眠れないし起きれない。。それでもそう過ごすことが治療となる時がある。「健康な人の休養」とは全く違うんです…
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子ども時代は「逃げる」という選択肢がない。どんなにつらい環境であっても生きるために居なければならない。そこから逃げることは家や食事も失ってしまう恐怖である。そのため大人になって苦しい環境に置かれても逃げることに無意識に恐怖を感じ引止めようと反応するため耐え続けてしまうことがある…
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感受性が強い人は「他人の感情がそのまま伝染する」から「気にしない」では済まない。場合によっては本人以上に痛みを感じている。感情の中でも「不機嫌」「攻撃性」は特に波動が強いから近くにいるだけで傷ついてしまう。でもそれは自分のせいじゃない。痛みが分かるから優しさも人一倍なことが多い。
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すごく大事だと思うことは『思考の歪み』や『過剰適応』傾向があろうと、それが「悪いこと」ではないということ。「それだと自分が苦しいから変えた方がいいかも」ということであって、むしろ自分にストレスを課しながらすごく頑張って生きてきたということ。変えようとする前にものすごく褒めてほしい
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機能不全家庭で育つと、親との間に起きる感情は「この人が必要だけど嫌い」であったり「一番身近な人だけれど恐ろしい」等といったアンビバレンスな感情を抱く。それが大人になって他者に親しみを感じると、かつて「親しみ」と同時に起きた苦しい感情も連れてくるため強い怒りや不安などが生じてしまう
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体力が少ないと適切な防御もしづらくなる。精神を消耗しやすい「八方美人」とされる人の中には「好かれたい」というより「他者からの攻撃に耐えられないから未然に円満な関係を築く」であることもある。ただそれが更なる傷つきや消耗になってしまうことも多く、「自分を守る」とは簡単なようで難しい…
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「病気と付き合っていく」のは簡単じゃない。。「治したい」と思うし「この症状がこの先も続くのか…」というのは希望を失ってしまうこともある。ただ、症状を「ゼロに」と目指すと苦しみが増えてしまうこともある。自分なりの「付き合い方」を見出すまでけっこう年月がかかる。ものすごい苦労と努力
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「ここでやっていけないなら他では無理」「今逃げたらこの先も逃げることになる」「大人になったらもっとツライ」「何をしても無駄」などの、将来を悲観させる言葉は、今を黙って我慢させようとするただの脅迫。。呪いの言葉。。根拠のない大嘘。。
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自分の存在に無条件の肯定感が持てないと間違いを許せない完璧主義になることがある。他者からの些細な指摘を人格否定かのように受け止めたり、嫌なことを何度も反芻してしまったり苦しみを抱えることがある。それは無力な子ども時代に大人の役割を求められ必死に応えようとした懸命さの証かもしれない
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「大人への支援」も子ども支援と同じようにすごく大事。大人になったからって子ども時代のことがリセットされるわけじゃない。子ども時代の延長で大人になってる。「大人になったら自己責任」はおかしい。なんとか生き延びて大人になってやっと症状だとわかる、やっと治療が始められることはとても多い