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子ども時代は「逃げる」という選択肢がない。どんなにつらい環境であっても生きるために居なければならない。そこから逃げることは家や食事も失ってしまう恐怖である。そのため大人になって苦しい環境に置かれても逃げることに無意識に恐怖を感じ引止めようと反応するため耐え続けてしまうことがある…
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「1人で抱え込まずに相談しましょう」とよく聞くけれど、相談できなかったから行き詰まったのではないことがほとんど。助けを求めても助けてもらえなかったから、相談したらもっと傷ついたから行き場がなくなったケースの方が多い。相談する側よりされる側である支援者や親などが注意されなければ(自戒
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「許しましょう」が大合唱される根本は、「許せなさ」を抱えている個人のためではなく社会の安定のためではないか。周囲や社会は個人の「許せなさ」に向き合うよりも「許した方がいいですよ」と唱えた方が周囲が楽で短期的には安定させられる。。「教え」は往々にして"強者"が作り出しているのかも…
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「もっと人の気持ちを考えろ」「そんなつもりじゃない」「真面目過ぎる」等と言ってくる相手の主旨は「黙って言う通りにしてくれればいいのに」ということがほとんど。こちらを思うようにコントロールするために罪悪感や自己否定感を抱かせる言葉をいう。だから事実じゃない。相手より自分を信じたい
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「言葉で助けを求めても助けてもらえない」という経験を重ねると、人は助けを無意識に言葉ではなく行動で表すようになる。それが衝動的な行動だったり抑うつ状態であったりする。「不適応的行動」とされるものは、かつて周囲が助けられなかったことが原因であると捉える視点が必要であることが多い。。
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回復していく最中に「良くなりたいけど良くなるのも怖い」というジレンマを抱えることがある。それは「病気でいることにメリットがあるから」ではなく「良くなった状態がわからない」という「分からなさ」ゆえの不安や不慣れさからの恐怖であることが多い。矛盾する気持ちを抱えられることはすごいこと
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機能不全家庭に育つと、クリスマスやお正月は、「楽しいイベント」ではなく「苦しみ」であり、世の中は皆が楽しそうにしているように見えてすごく孤独感を強めてしまうことがある。。でも苦しみは声にできないから目立たないけれど、この時期が苦手なことはおかしいことじゃない。独りじゃない。。
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トラウマがあると「人と親密になりたい気持ちと拒絶」や「恥と自己顕示欲」など、矛盾した強い感情を抱え、本当の気持ちが何か分からなくなることがある。けれど、どれも必要な感情で意味があることがほとんど。。自分の中に居る気持ちをそれぞれ見つけてあげることが回復の助けになることも。。
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機能不全家庭に育つと、愛情や優しさを受けられなかったために心が飢餓状態になり、後に出ることがある。「人に評価されたい」「分かってほしい」と強烈に思い、他者に委ねているために不安定になってしまう…。かつての自分が心を満たそうと知らせていると捉え、大人の自分ができることをしてあげたい
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【記事紹介】
虐待や性犯罪などの被害に遭うと失われる「基本的信頼感」についてまとめました。
「基本的信頼感の欠如」は、病の原因になるなど心身に多大な影響を及ぼします。
被害の傷がどれほど深いか世の中の人の理解にもつながれば幸いです。
psychologist-neco.com/basic-trust/
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機能不全家庭では、子どもが親に「合わせる」という逆転現象が起きる。そうすると、子ども側は常に「自分の在り方はどこか間違っている」という思いを抱きつづけることになる。自然な感覚を否定して親に合わせ続けたことが、根深い自己否定感の根底であることも。自己否定は過酷な環境を生き抜いた痕跡
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「心の病はメンタルが弱いから」は大誤解。適応障害やうつ病になる人はメンタルが弱いのでなく「我慢強過ぎて、自分にだけやたら厳しい」ことが原因であることが多い。だから「メンタルを強くしなきゃ」は逆効果。「癒し方」や「耐えないスキル」などの「自分への厳しさの緩和」が必要なことが多い。。
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親の機嫌を伺って育つと、常に他者の機嫌を考える思考回路ができてしまう。だから大人になってからも他者の機嫌の悪さに敏感で、どうしても気になってしまう…。その回路を断つには不穏さより安全感に慣れることが必要。「安全に慣れていない」ことが不安を連れてきているこたも。慣れるには時間が必要
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トラウマ的な環境で育つと「愛情と恐怖」や「苦痛と快感」などの区別がつかず、混乱する。そのことが「恥」や「自己嫌悪」を強めてしまうことがある。喜びや楽しみ、親密さに恥や自責がセットで感じられてしまうことで「何をしても苦しい」となることがある。「傷つき」という表現では言い表せない…
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「許すのは自分のため」「親を許すことは自分を許すこと」とかって、過干渉な親が「あなたのためを思って!」って叫ぶのと似てるな…
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「怒り」をその場で感じるには身の安全や体力や慣れなどいくつも条件が必要。だから深い傷ほど怒りは遅れて感じられることがある。「なんで言い返さなかったのか」等と悔しい思いを強めることも。でもその時は身を守るために最善を尽くしたはず。。そこから少し回復し、やっと怒りまで辿り着けたのかも
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親との間に起きた感情が「この人が必要だけど嫌い」であったり「一番身近な人だけれど恐ろしい」等といった相反する感情を多く体験すると、それが大人になってトラウマ反応として現れる。他者に親しみを感じると、かつて「親しみ」と同時に起きた不安や怒りなどの苦しい感情も連れてくることがある。。
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機能不全家庭に育つと、大人になってからも意見や気持ちを聞かれても「何でもいい」と思う。本当に「何でもいい」ことが多い。自分の気持ちを感じ大事にできる体験が少なかったために、自分の気持ちや意志はとっさに言葉に出てこない。とにかくその場が穏便に済むことを自分の気持ちより優先しがち。。
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よく「お互いさま」とか「人を責めても仕方がない」とか言いますがそんなことはない。理不尽な被害に遭った場合は、一度ちゃんと被害者にならないと回復が妨げられてしまう。逆にいえば、ちゃんと人のせいは人のせいとできると次に進める。。自分のせいじゃないことを理解するってすごく大事。。
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トラウマがあると「乗り越えないと」「あの時に比べたらマシ」といった思考になることで自分を酷使してしまいがち。自分の痛みに鈍感なために病気になるほど頑張っても「大したことじゃないのに…」と自己否定を強めてしまう…。「大したことない」という思考より微かな不快感を信じていいかもしれない
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人間は社会的な生き物だから、対人関係で深い心の傷を負うと根本的な安心感も失われてしまうことがある。その傷つきにより世界観が否定的になってもおかしいことじゃない。「治さなくてはいけない歪み」とすると更に苦しくなるとしたら、「修正」よりも「安心」をどう増やせるかが大切であることも。。
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「許す許さない」なんて好きに選んでいい。「許さないと本当の回復じゃない」なんてことはないし「許せば乗り越えたこと」なんてこともない。そもそも「許す許さない」にこだわるかどうかも自由。自分の気持ちは自分で決めていい。「○○できるまで自分を本当には大切にできない」なんて、新しい呪い。
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ずっと否定されていたら、何をどうやっても「自分は何か劣ってるんだ」という意識がつきまとう。どんなに頑張っていても、どんなにできていても。「認めてもらえない」というのは劣等感を植え付ける…。だから大人になってから自分を肯定するのはなかなか上手くできなくて当然。自分を待ってあげたい…
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人に嫌われることを非常に恐れてストレスを抱える場合、子どものころに親の機嫌に振り回されていたからであることも。親に嫌われたら生きていけない。「そこに居るためには好かれないと」という切迫した生存スキルが対人関係全般で反応していることがある。「気にしない」という軽いレベルでないことも
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自己評価が低いと「断ったら必要のない人間になってしまうんじゃないか」という恐怖心からかなりの負担を引き受けてしまいがち…。できなければ「自分がダメなんだ」とさらに自己否定してしまう。。無意識に「自分には断る権利がない」と思っていることもあり、慢性的な過労状態になりがち。。