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大人になって大切な人に「依存してはいけない」と気にし続けている場合、依存しなければ生きられなかった子ども時代に充分な安心を得られず不安な中で自分を叱咤してきたことに起因していることが多い。だから「今の自分」に依存するなと厳しくするのではなく、「かつての自分」に優しい言葉をかけたい
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幼少期から感情を抑えていると、心の傷があやふやなままいくつも蓄積されてしまう。気持ちを聞いてもらえなかったからいざ表現するとなると「黙るか半狂乱か」といった両極端になってしまうことも。「自分の気持ちを認知して言葉にする」というスキルはハイレベルなのに自然に備わっている前提がつらい
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トラウマの傷は深いほど自分の感情からは遠ざからないと生きていけない。「自分の気持ちを大事に」「自分に優しく」ということは、かつては被害の危険性にすらなったかもしれない。だから自分を否定し優しくできないとしたら、その能力がないのではなく、かつて精一杯自分を守った強さの証であることも
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トラウマ的な環境で育つと「愛情と恐怖」や「苦痛と快感」などの区別がつかず、混乱する。そのことが「恥」や「自己嫌悪」を強めてしまうことがある。喜びや楽しみ、親密さに恥や自責がセットで感じられてしまうことで、自分がわからなくなったり自己不信を強めたりし、何をしても苦しみが伴ってしまう
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「精神的健康のためには依存先をたくさん持つ」と聞くけれど、人それぞれ「適度な刺激の量」は異なる。「依存先」を複数持てるほどの気力体力がなければできないしトラウマがあると「楽しむ」ことそのものが難しくなる。だから頼れる他者や趣味がなくてもなにも悪くない。助言が呪いになりませんように
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【記事紹介】
機能不全家庭で育つなど幼少期から「我慢することが通常」であった場合の「我慢」について整理しました。
「我慢し過ぎないがわからない」「小出しにするができない」といった場合の自己理解の助けになれば幸いです。
psychologist-neco.com/the-trauma-of-…
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子ども時代に「助けを求めても誰も助けてくれない」という体験をすると「自分は何もできない」というような圧倒される無力感と「人に頼らず自分で何とかしなけば」という両極端の苦しい世界観を抱かざるを得ないことがある。「無気力」と「衝動」といった両極を行き来するために相当な疲労を抱えがち
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機能不全家庭に育つと、大人になってからも意見や気持ちを聞かれても「何でもいい」と思う。本当に「何でもいい」ことが多い。自分の気持ちを感じ大事にできる体験が少なかったために、自分の気持ちや意志はとっさに言葉に出てこない。とにかくその場が穏便に済むことを自分の気持ちより優先しがち。。
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「自己嫌悪するのは自己評価が高いから」ということは実際は少ない。自分を過大評価してるからできないと嫌悪するんじゃない。できないことが許されなかったから、自分に対する「寛容さ」が持てないためであることが多い。自己評価の上下でなく、自分に対する不寛容さを理解して寄り添っていきたい。。
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「1人で抱え込まずに相談しましょう」とよく聞くけれど、相談できなかったから行き詰まったのではないことがほとんど。助けを求めても助けてもらえなかったから、相談したらもっと傷ついたから行き場がなくなったケースの方が多い。相談する側よりされる側である支援者や親などが注意されなければ(自戒
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カウンセリングや心理療法も含めて心のケアをすることそのものに疲れてしまうことがある。そもそも回復していく過程は決して楽でも楽しくもないし右肩上がりに良くなっていくものでもなくて、地道な努力の積み重ねだから。疲れて「もういいや」って投げ出したくなったらそれだけ真剣に取り組んできた証
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【記事紹介】
トラウマ体験や機能不全家庭で育った場合に失われがちになる「自分の人生の選択権」について整理しました。
嬉しいことや楽しいことを増やしていけるための自己理解の助けになれば幸いです。
psychologist-neco.com/life-choice/
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子ども時代が苦しい環境であると「耐える」ことしか選択肢がない。そのため、自分の人生の選択意識をしっかり持つことができず「自分の人生は自分以外の他者次第」と無意識に刻まれることがある。意識的には選んでいるかのように「今の環境に耐えてなくては」と自分を叱咤し我慢をし過ぎてしまうことも
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「死にたい」という言葉を「そんなこと言っちゃダメ」と封じないでほしい。更に追い詰められる…むしろ死を考えることが唯一の気持ちの拠り所となっていて、なんとか生きられているケースは少なくない。「死にたい」と思うのは何も悪くない。「表現できないほどツライ」「それしか希望がない」心の叫び
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トラウマがあると「人と親密になりたい気持ちと拒絶」や「恥と自己顕示欲」など、矛盾した強い感情を抱え、本当の気持ちが何か分からなくなることがある。けれど、どれも必要な感情で意味があることがほとんど。。自分の中に居る気持ちをそれぞれ見つけてあげることが回復の助けになることも。。
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トラウマを抱えていると、自分で自分の調子を整えることが難しくなる。さらに、対人交流においても安心できないために「他者との交流を通して自己調整する」ことも困難さを抱えることが多い。そのため、どうしても孤立してしまうし、苦しみが軽減される機会が得られずに生活が制限されがち。。
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親の機嫌を伺って育つと「場の空気の悪さ」や「人の機嫌の悪さ」に耐えられないほど動揺しがちで「自分がなんとかしなくては」と、攻撃的だったり不安定な人の機嫌を取ろうと自分から関わることを繰り返し、トラウマ記憶を行動として再現していることがある。「今は大丈夫」と自分を安心させてあげたい
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「自分を守る」には、一定以上の体力と自尊心、自己主張できる環境など、実はいくつかの条件が必要になる。だから理不尽な被害に続けて遭ってしまったり傷つく環境から逃げられないこともおかしいことじゃない。「断る」ことは体力や自尊心を奪われたらできなくなる。「断ればいい」で済むことじゃない
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「わがまま」は呪いの言葉。なんの根拠もないのに、たった4文字で一切の事情を無視して罪悪感を抱かせ、希望を完璧に退けさせることができる強烈な言葉…。説明の手間すら省き、相手をコントロールできる罪深い言葉。言葉自体が根拠なきネガティブなので「自分はわがままでは」と考えることは止めたい
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機能不全家庭では、子どもが親に「合わせる」という逆転現象が起きる。そうすると、子ども側は常に「自分の在り方はどこか間違っている」という思いを抱きつづけることになる。自然な感覚を否定して親に合わせ続けたことが、根深い自己否定感の根底であることも。自己否定は過酷な環境を生き抜いた痕跡
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<新規投稿>
機能不全家庭で育つなど幼少期から「我慢することが通常」であった場合の「我慢」について整理しました。
「我慢し過ぎないがわからない」「小出しにするができない」といった場合の自己理解の助けになれば幸いです。
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「心の病はメンタルが弱いから」は大誤解。適応障害やうつ病になる人はメンタルが弱いのでなく「我慢強過ぎて、自分にだけやたら厳しい」ことが原因であることが多い。だから「メンタルを強くしなきゃ」は逆効果。「癒し方」や「耐えないスキル」などの「自分への厳しさの緩和」が必要なことが多い。。
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精神疾患の全てが誰にでもなる病気とはいえない。けれど「適応障害」と「うつ病」は、本当にどんな人でもなる病気。どんなに自信満々でも。どんなに人生うまくいっていても。優しい人もそうでない人も。敏感な人も鈍感な人も。
だから、「なった人が弱い」とか「適応能力がない」とかでは全くない。
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トラウマ的な環境に育つと「目をつけられないように居る」ことと「生きるためには面倒を見てもらわないと」という適応策が混在して育つことで、大人になって「注目されるのが怖い」気持ちと「見てほしい」気持ちとがうまくコントロールできずに現れることがある。トラウマ反応であり自意識過剰ではない
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親の機嫌を伺って育つと、他者の不機嫌さに過敏になり、不機嫌の原因を真っ先に自分ではと考えたり、自分への些細な注意を人格否定のように受け取ってしまい、何度も反芻してしまったりするようになる。それはかつて、必死に親を穏やかにしようと考え続け、否定に深く傷つき続けていた現れであることも