51
精神疾患の方に必要だとされる「休養」は、健康な人の休養とは全く違う。「意識のある重体」のような状態。ツラくて苦しくて自己否定で心はいっぱい、身体は動きたくても動けないし痛いし眠れないし起きれない。。それでもそう過ごすことが治療となる時がある。「健康な人の休養」とは全く違うんです…
52
「わがまま」は呪いの言葉。言った側の言うことを聞かせたいためだけで、「わがまま」と責めた方がよほどわがままである場合は多い。自分の思い通りにしたいために相手に自己否定感を抱かせるのに強力な言葉。。自分がどう感じ考えるかは自由。行動を選べばいい。「わがまま」かどうかは判断根拠がない
53
機能不全家庭で育つと、いつも「我慢」している状態が通常になる。そのため「我慢」に気づきにくいために「小出しにする」「我慢し過ぎない」ができず、限界を超えてから気づくことが珍しくない。「我慢」に慣れてはいても「過去の我慢の苦痛」も伴っていることで自覚している以上に溜まっていることも
54
虐待的な環境で育つと、否定的感情に圧倒されるだけでなく喜びや休息などの肯定的な感情もトラウマになる。喜びや笑いは罰せられ、リラックスは攻撃される隙になってしまったかもしれない。そのため自分の楽しい感覚に気づくことすら傷ついていることもある。肯定的な感情に恐れを抱くことは無理もない
55
被害に遭うと衰弱する。精神的に不安定になって当然。その中で被害の傷と向き合うときには感情的になるのは当たり前。それを「冷静に」などというのは本題のすり替え。感情的になったことが悪いわけじゃない。命に関わる問題を動揺もせずに話せる方が不自然。誰かに動揺を責められても気にすることない
56
決めつけずに「あいまいさを持つ」ためには余力が要る。なのでストレスフルであるほど白か黒かの極端な判断になってしまう。一方、うつ状態であると些細なことも決断できなくなる症状があり、着ていく服も決められなくなることも。判断力や受け止め方に変化が起きていたら、ストレスフルであるサイン。
57
精神的消耗は、身体的な運動よりもはるかにエネルギーを消費する。だから本当はストレスがあるほど休む時間が必要になる。「休む」とは「眠る」など行動を抑制する対処はもちろんのこと、「遊ぶ」などの精神的な栄養になる行動も大切な対処。「遊べない」状態から「遊べる」状態を目指すのも回復の目標
58
トラウマがあると「ほどよく覚醒する」ことが難しくなり、抑うつなどの「低覚醒」と、イライラや衝動的な行動などの「過覚醒」という両極端を行き来するために、表面的な行動量は少なくても疲労感はかなり重くなる。「何もしてないのに…」ではなく、体は一生懸命調整しようとしている証ゆえの疲労かも
59
「人の気持ちがわからない」という中には自分の気持ちがわからないことが原因であることがある。決して自分のことだけ考えているわけではなく、自分の気持ちが耕されなかった環境だったために、他者の気持ちに実感が伴わないことで自然に共感できず、思考でカバーしていることも。冷たいわけじゃない
60
精神疾患は基本的に「治った」と明白に実感できる時が現れることは少ない。「また悪くなった…」というショックや不安を抱え続ける。「もう治ったの?」と聞かれてもそれがいつか一番知りたいのは本人。「治った!」と言えない思えないツラさを抱え、病との「付き合い方」を見出すことはものすごい努力
61
「愛情が欲しければ親の基準を満たさなければならない」という評価的な環境下で育つと、自身の弱さを嫌悪し間違いが許せない完璧主義になることがある。弱さや間違いは「見捨てられ」の恐怖を喚起するため認めることが難しい。「完璧主義はやめよう」としてもできないことで自己不全感が増すことも
62
【記事紹介】
誰かの不機嫌さにひどく動揺し、「自分が何か悪いことしたかな?」と自己関連づけを深めてしまったり、
率先して機嫌を取りにいったりというような「他者の不機嫌さや空気の悪さに耐えられないほど動揺する」メカニズムと対処法をまとめています。
psychologist-neco.com/grumpy/
63
機能不全家庭で育つと、誰かが困っていたり不調を訴えていると「何とかして」と責められているように感じたり、「自分が何とかしないと」と誰かの負担を負おうとし過ぎてしまったりする。。でも、今はもう何もしなくても誰も責めないかもしれないし、肩代わりしなくていい。そもそも自分のせいではない
64
【記事紹介】
「気持ちを言おうとしても固まってしまう」「泣き喚いてしまってうまく伝えられない」等といった極端な表現に焦点を当て
『感情表現の難しさ』について整理しました。
「うまく言葉にできない…」等と悩む場合の自己理解の助けになれば幸いです。
psychologist-neco.com/difficulty-in-…
65
感情を認めてもらえない環境下で過ごすと、気持ちがあやふやなまま蓄積され、言語化する機会も少ないためによく分からないモヤモヤが心を占めていることがある。そのためいざ出そうとすると端的な言葉では追いつかないほど複雑でたくさんの苦しい気持ちが雪崩を起こし、コントロールできないことがある
66
虐待的な環境では、嬉しいことやうまくいっていることは親の怒りをかうことが多い。そのトラウマが、大人になって安定し幸せになり始めたときに「自分なんて幸せになれるはずがない」とフラッシュバックが続くことがある。「人生がうまくいく」ことが危機をつれてきた過去に脅かされているということ
67
無理し続ける状態が小さい頃から日常であると「無理しない」が分からない。「無理しない」ためには自分を知ることが必要。でも自分より他人を気遣わないといけない環境であったら、自分のことも何が無理かも分からない。だから「病」は懸命な知らせで、自分で自分を助けようとしたからであることも。。
68
体力が少ないと適切な防御もしづらくなる。精神を消耗しやすい「八方美人」とされる人の中には「好かれたい」というより「他者からの攻撃に耐えられないから未然に円満な関係を築く」であることもある。ただそれが更なる傷つきや消耗になってしまうことも多く、「自分を守る」とは簡単なようで難しい…
69
トラウマを負うということは「何もできなかった」という「自分自身に裏切られた」という感覚が根深く刻まれることになる。そのために自分を信用できず嫌いにすらなってしまう。だからこそ「当時は適応的な対応だった」と生き延びた身体反応を理解して労い、"今"を意識しながら生来の強さに気づきたい…
70
「もっとつらくても頑張ってる人もいるんだから」と自分に言い聞かせるときは、かなり危険な状態。心も体も限界だから「根性」に頼るしかなくなってる証。自分を救えるのは自分だけ。「もっと辛くても頑張ってる人」なんて全く同じ人は居ない。今の自分のツラさは誰と比べることはできない大事なサイン
71
大切な親が酷いことをしてきたり、して欲しいことをしてくれなかったりすると、子どもはそのショックをコントロールするために感情から距離を置くことで「大丈夫な自分」でいようとする。そのことが大人になっても自分の悲しみや喜び等の感情を感じにくくしていることがある。過酷な環境で適応した証…
72
無力な子ども時代に、暗黙のうちに何かの役割を課せられて「それを果たさないと居てはいけない」というような体験をしていたら、子どもにとっては生命の危機的恐怖になる。そのトラウマによって大人になって他者からの些細な指摘が「全否定された」「自分は価値がない」等と存在の否定感が伴ってしまう
73
フラッシュバックは「鮮明な映像」だけでなく「ダルさ」などの身体感覚や「自分には価値がない」などの思考としても繰り返し起きる。加えてトラウマは行動として再現される。強烈性は弱い慢性的な鈍い苦しみなど"今まさに起きているかのように"思わせる認知や行動こそトラウマ反応である可能性が高い…
74
トラウマ的な環境に育つと「目をつけられないように居る」ことと「生きるためには面倒を見てもらわないと」という適応策が混在して育つことで、大人になって「注目されるのが怖い」気持ちと「見てほしい」気持ちとがうまくコントロールできずに現れることがある。トラウマ反応であり自意識過剰ではない
75
被害の傷の回復過程では、どれほど理不尽なことであったか認識されていくために、加害者だけでなく助けてくれなかった世の中に対しても強烈な怒りを持つことがある。その怒りは踏みにじられた尊厳の分だけ必要で、その苦しみも理不尽だけど、怒りは自分の尊厳を一生懸命取り戻そうとしている証。。