寝子(@necononegot)さんの人気ツイート(いいね順)

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子ども時代は「逃げる」という選択肢がない。どんなにつらい環境であっても生きるために居なければならない。そこから逃げることは家や食事も失ってしまう恐怖である。そのため大人になって苦しい環境に置かれても逃げることに無意識に恐怖を感じ引止めようと反応するため耐え続けてしまうことがある…
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感情を認めてもらえない環境下で過ごすと、気持ちがあやふやなまま蓄積され、言語化する機会も少ないためによく分からないモヤモヤが心を占めていることがある。そのためいざ出そうとすると端的な言葉では追いつかないほど複雑でたくさんの苦しい気持ちが雪崩を起こし、コントロールできないことがある
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トラウマ的な環境に育つと「目をつけられないように居る」ことと「生きるためには面倒を見てもらわないと」という適応策が混在して育つことで、大人になって「注目されるのが怖い」気持ちと「見てほしい」気持ちとがうまくコントロールできずに現れることがある。トラウマ反応であり自意識過剰ではない
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感情を認めてもらえない環境下で過ごすと、気持ちがあやふやなまま蓄積され、言語化する機会も少ないためによく分からないモヤモヤが心を占めていることがある。そのためいざ出そうとすると端的な言葉では追いつかないほど複雑でたくさんの苦しい気持ちが雪崩を起こし、コントロールできないことがある
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人に嫌われることを非常に恐れてストレスを抱える場合、子どものころに親の機嫌に振り回されていたからであることも。親に嫌われたら生きていけない。「そこに居るためには好かれないと」という切迫した生存スキルが対人関係全般で反応していることがある。「気にしない」という軽いレベルでないことも
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親の機嫌の悪さに傷つく経験が多いと、「不機嫌は人を深く傷つける」と心に刻まれて、自分の負の感情を少しでも出すことができなくなる。。いつも笑顔で明るくいようと頑張り続ける。。でも、八つ当たりではない「負の感情」は出していい。。拒否しても相談してもいい。全世界の機嫌を伺わなくていい。
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機能不全家庭で育つと自分の気持ちを感じる余地がなかったために、大人になって出来事に対する感情を感じるまでタイムラグがあることがある。自分の気持ちを瞬時に理解することは、たくさん経験して慣れていないとその場では分からないことはおかしくない。それだけツライ環境の中で頑張ったという証…
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感情を抑圧せざるを得ない日々を過ごすと、いざ感情を出そうとしても圧倒されて固まってしまう。自分の気持ちより他者の気持ちを慮ってきたことで自分の感情を瞬時に察知することはできなかったし、まして言語化できる状況にもなかった。「自分はどう感じているか」がすぐに分からなくてもおかしくない
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機能不全家庭に育つと、クリスマスやお正月は、「楽しいイベント」ではなく「苦しみ」であり、世の中は皆が楽しそうにしているように見えてすごく孤独感を強めてしまうことがある。。でも苦しみは声にできないから目立たないけれど、この時期が苦手なことはおかしいことじゃない。独りじゃない。。
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「もっとつらくても頑張ってる人もいるんだから」と自分に言い聞かせるときは、かなり危険な状態。心も体も限界だから「根性」に頼るしかなくなってる証。自分を救えるのは自分だけ。「もっと辛くても頑張ってる人」なんて全く同じ人は居ない。今の自分のツラさは誰と比べることはできない大事なサイン
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毒親やDVする人ほど被害者意識が強く、被害に遭ってる人ほど「自分が悪い」という罪悪感や加害意識が強い傾向がある。だから、それぞれがどう思ってるかに従ってしまうと危険。。加害者ほど被害意識が強いこと、罪悪感で動かされる関係性は健全ではないこと、知人が同じ立場だったらどうかを気にしたい
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自分の体を家電製品みたいに扱ってること意外と多い。「文句言わず動いてたら気にも止めない。壊れたらめんどくさいと思う」っていう感じ。。体は道具じゃなくて一緒に生きている同じ生命体だから、たまに意識的に体に気を向けることはとても良いと思う。手を当てて「調子どうですか?」って。ホントに
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「嬉しい楽しいことを否定される」ことは、傷つくだけでなく「喜んだ自分は恥ずかしい」という羞恥心を伴う。だから「二度と恥ずかしいことをしないように」と深く心に刻まれてしまう。加えて「恥ずかしい=隠さないといけないこと」となるので癒されない。でも、本当は恥ずかしいことなんかじゃない
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よく「お互いさま」とか「人を責めても仕方がない」とか言いますがそんなことはない。 理不尽な被害に遭った場合は、一度ちゃんと被害者にならないと回復が妨げられてしまう。逆にいえば、ちゃんと人のせいは人のせいとできると次に進める。。 自分のせいじゃないことを理解するってすごく大事。。
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「心の病はメンタルが弱いから」は大誤解。適応障害やうつ病になる人はメンタルが弱いのでなく「我慢強過ぎて、自分にだけやたら厳しい」ことが原因であることが多い。だから「メンタルを強くしなきゃ」は逆効果。「癒し方」や「耐えないスキル」などの「自分への厳しさの緩和」が必要なことが多い。。
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家族療法では、不適応を示した人を「家族内の病理を代表した人」と位置付ける。家族の病理を背負って家族全体のSOSを体現した人。だから「まともだから病んだ」は真実である場合がある。「弱いから病んだ」わけでも「自分の病気のせいで家族が」でもなく、「一家の病理を1人で背負った」ということ。。
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機能不全家庭に育つと、大人になってからも意見や気持ちを聞かれても「何でもいい」と思う。本当に「何でもいい」ことが多い。自分の気持ちを感じ大事にできる体験が少なかったために、自分の気持ちや意志はとっさに言葉に出てこない。とにかくその場が穏便に済むことを自分の気持ちより優先しがち。。
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機能不全家庭に育つと、愛情や優しさを受けられなかったために心が飢餓状態になり、後に出ることがある。「人に評価されたい」「分かってほしい」と強烈に思い、他者に委ねているために不安定になってしまう…。かつての自分が心を満たそうと知らせていると捉え、大人の自分ができることをしてあげたい
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「自分が考えているほど他人は自分を気にしていない」と思っても人目を気にしてしまう場合、安心感がないからであることが多い。なので「自意識過剰」と捉えてしまうと自己否定が強まるだけのことも。「今いる所に安全感が持てていない」なら危機に備えて過敏になるのは当然。適切に自分を見つけたい…
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「自分を守る」には、一定以上の体力と自尊心、自己主張できる環境など、実はいくつかの条件が必要になる。だから理不尽な被害に続けて遭ってしまったり傷つく環境から逃げられないこともおかしいことじゃない。「断る」ことは体力や自尊心を奪われたらできなくなる。「断ればいい」で済むことじゃない
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「自分で選んだんだから」といって、合わないのに我慢し続けなくていい。また選べばいい。一度選んだら変えちゃいけないなんてことはない。誰かに「自分で選んだんでしょ」と詰められたかもしれませんが、未来予知などできないんだから、やってみて違うというのは何も悪くない。1つの経験になった。
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子ども時代は「逃げる」という選択肢がない。どんなにつらい環境であっても生きるために居なければならない。そこから逃げることは家や食事も失ってしまう恐怖である。そのため大人になって苦しい環境に置かれても逃げることに無意識に恐怖を感じ引止めようと反応するため耐え続けてしまうことがある…
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「体力のあるなし」は実生活にすごく影響する。精神疾患を抱えると体力が少なくなり、かつ一定に保つことが難しくなる。さらに刺激に敏感になるため消耗しやすい。体力は気力にも当然影響する。なので「頑張れ」等の精神論は衰弱するだけ。。精神疾患は精神症状だけではない。背負うハンデが大き過ぎる
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「怒り」をその場で感じるには身の安全や体力や慣れなどいくつも条件が必要。だから深い傷ほど怒りは遅れて感じられることがある。「なんで言い返さなかったのか」等と悔しい思いを強めることも。でもその時は身を守るために最善を尽くしたはず。。そこから少し回復し、やっと怒りまで辿り着けたのかも
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機能不全家庭で育つと自分の気持ちを感じる余地がなかったために、大人になって出来事に対する感情を感じるまでタイムラグがあることがある。自分の気持ちを瞬時に理解することもはたくさん経験して慣れていないとその場では分からないことはおかしくない。それだけツライ環境の中で頑張ったという証…